記事トップ

BUSINESS 2021.06.21 Mog-lab取材スタッフ

龍谷大学大学院農学研究科博士後期課程 初の修了生を輩出。3名の有名料亭料理人は大学院でどんな研究をしたのか?(前編)

20184月に開設した龍谷大学大学院農学研究科。ここに、京都を代表する有名料亭の料理人が第1期の社会人大学院生として入学しました。一子相伝なかむら6代目主人 中村元計氏、京料理直心坊さいき3代目主人 才木充氏、京料理木乃婦3代目主人 髙橋拓児氏の3名です。

そしてこの度、博士後期課程を修了し、博士(食農科学)の学位を取得。彼らは龍谷大学大学院でいったいどんなことを研究したのでしょうか。そこで、龍谷大学の入澤崇学長と3名の研究指導を担当した龍谷大学名誉教授 伏木亨先生を交えての座談会が開かれました。その模様を2回にわけてお伝えします。

(今回の座談会に当たり、感染リスクを十分に配慮し対策を講じた上で開催しております。)

 

入澤崇 龍谷大学学長

日本料理とのペアリングを目指したワインとは?

入澤:この度は皆さん、博士後期課程を修了され、おめでとうございます。

380年以上の歴史がある龍谷大学は、大学の中では、言うなれば「老舗」です。伝統があると言われますが、それは長い歴史の中で常に刷新をしてきたということでもあります。受け継いでいく面がありつつ、刷新を重ねることが非常に重要だと考えています。今回は、老舗をあずかる料理人である皆さんのお話を伺えるということで、大学運営にもヒントを得たいと思っています。

また、料理人の方が博士(食農科学)の学位を取得されるのは世界初の画期的な出来事で、大変喜ばしいことです。皆さん興味深い研究をされてきたと聞いています。本日は伏木先生にもコメントをいただきながら、お話を伺っていきたいと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

髙橋拓児氏(京料理木乃婦3代目主人)

髙橋:私の研究対象は、ワインです。
今まで日本をはじめとする世界各地の醸造所は、フランスワインを目指してきた経緯があるのですが、私はフランスワインを目指すというのは「フランス料理に合うワインを造る」ということと意味合いは変わらないと感じていました。
そんなワインのラインナップの中から日本料理に合うものを探さなければいけないことに対する疑問から、「日本料理に合うワインを造ろう」と考えるようになったんです。そこで、日本料理に合うワインにはどんな要素が必要なのかを、科学的に立証しながら研究しました。

例えば、ワインに多く含まれる鉄分は魚の生臭さを増幅させてしまうので、鉄分を少なくするためにはどうすればよいか。バラやライチの香りは日本料理に合わせづらいので、日本料理に合うような柚子や檜の香りなどをフレーバーにしたワインをどうすれば造れるか、などです。
酵母やぶどうの選定を含めたテクノロジーの目線で造るワインが「こういう理論でできますよ」というだけではなく、実際に造ってみて色々な方に召し上がっていただくなど官能評価まで行った結果、研究に合致しました。

入澤:ぶどうはどちらのものを使われたのですか?

髙橋:山梨の甲州ぶどうを使いました。甲州ぶどうはそもそも鉄分が少ないのですが、さらに鉄分をもっと減少させる方法はないか考えました。香りは、普通に育てるとどうしてもバラやマンゴーの香りなどが出てきてしまうので、それを抑えるにはどうしたらよいかも検討しながら造りました。

入澤:伏木先生、日本料理とワインというのは…。

伏木亨 龍谷大学名誉教授

伏木:日本料理は日本酒に合わせて互いに発展してきた経緯があって、穀物から造る日本酒は香りも穏やかなものが多いです。一方、ワインは香りが華やかなため日本料理との相性がよくありません。そこで髙橋さんは、香りを抑えるために「遮光」という極めて新しい発想をワイン造りに取り入れたんです。

髙橋:一般的に、ぶどうを育てる際は香りを増強させるために葉以外の房などに光を当てるのですが、私は房に袋がけをして日光を遮断することで、日本料理と合わせる際に必要のない香気成分を軽減できるだろうと言う推測を立てました。あとは、実際にワインを造る際に味わいが弱くなった分、上手にブレンドするなどして仕上げました。

入澤:お店でも提供されているのですか?

髙橋:はい、出しています。

入澤:今度ぜひ試飲したいですね。

伏木:実は髙橋さんは、難易度が非常に高いシニアソムリエの資格を有する、いわばワインのプロ中のプロ。料理人かつシニアソムリエという、髙橋さんの個性を十分活かした研究だと思います。

入澤:大学院に在籍中は、お店の仕事と研究の両立はかなり大変だったと思うのですが、そのあたりのご苦労はありましたか?

髙橋:例えば、できあがったワインのポテンシャルを理解していただくために、相性の良い料理や比較対象のワインをどう選べばよいか。その組み立て方に頭を悩ませました。伏木先生に、食材選びに関してかなりご相談をさせていただきました。
僕たち料理人は、どうしても主観的に「これは美味しい」と言うのですが、感覚的に理解できても科学的に立証させるハードルが高いんです。

入澤:伏木先生は、以前から「おいしさを科学する」を掲げていらっしゃいます。以前、「龍谷大学・NPO法人日本料理アカデミー シンポジウム」に参加して、美味しさの秘密は決して舌だけではなく嗅覚や視覚など五感で体得するものだと改めて知らされました。また、美味しさを言葉で表現するのも難しいですよね。そのあたりもご苦労されたのではないでしょうか。

髙橋:ソムリエは、香りを言葉で表現するのに長けていて、例えば「麦わらの香り」や「草原の風が吹いている」という、情景描写を使って香りだけではなく景色まで表現します。しかし、美味しさそのものを伝えることはすごく複雑です。
今回、様々な実験を通じて、日本人と外国人では感性がかなり違うことがわかりました。このことは、今後の研究に活かせそうな気がしています。

入澤:伏木先生、審査会での髙橋さんの研究は、どのように受け止められましたか?

伏木:実は、どよめきが起こったんです。
今回、髙橋さんはこの研究のために、4200平方メートルのぶどう畑から3.5トンのぶどうを収穫して、2600本ものワインを造りました。我々が実験室で行うレベルとは全く異なる壮大な話に、皆さん驚きを隠せませんでしたね。

それから、美味しさというものを常に追究する仕事に就いているだけあって、髙橋さんの姿勢から確固たる自信を感じました。データと彼自身の感性が合致しているから、聞いていてすごく納得感がありました。
研究では、ぶどうの華やかな香りを隠したワインが日本食に合うという結論に至ったのですが、普段から食事の際に日本酒を嗜む方が彼のワインを支持したんです。そのことから、日本食と日本酒という日本人に馴染み深い食体験がワインの美味しさに影響したことが明らかになりました。ぶどうの房を遮光したことで、玉露のお茶のように派手な香りをきかせず、ぐっとうま味を閉じ込めたのではないかと。

入澤:控えめにさせる、ということでしょうか?

髙橋:そうですね。日本料理はパッと広がる華やかな香りではなく、還元的な香りを持つものが多いので、料理とリンクさせるなら、還元的な香りのワインがよいと考えました。
その段階では推測の域を出なかったのですが、後から理論武装したような形になりました(笑)。

入澤:非常に興味深いお話です、ありがとうございます。
続きまして、才木さんの研究について、教えていただけますでしょうか。

才木充氏(料理直心坊さいき3代目主人)

ウルトラファインバブルが切り拓く料理の新たな可能性

才木:私は、ウルトラファインバブルという目に見えない泡に香気を導入して、料理に応用する研究をしました。
私が京大で研究し始めた頃は、ウルトラファインバブルはまだ世間一般で知られていませんでしたが、最近、お風呂のシャワーヘッドや浴槽、洗濯機の注水口などにも用いられるようになって、知名度が上がっています。

まずは、色々な香気を導入して、どんな香気が泡にひっついて水の中で存在するかを、官能評価を通じて研究しました。その後、香気の存在形態を色々な研究を通じて解明し、最終的にはその数や生成の効率性などを論文にまとめました。
研究素材として取り上げた山椒は、日本古来のスパイスとして知られています。臭み消しやちょっとした刺激に使われますが、山椒をおだしと一緒に飲むと香りは素晴らしいのですが舌の上にしびれが残ります。このしびれ感が料理に必要かどうかまで研究しました。実際、ウルトラファインバブル生成装置に香りをつけて導入した水は、香りはしますがしびれは残らなかったんです。
今後、日本料理でこれは要らないものではないかと考えたとき、香りだけ残した料理の存在も考えられるのではないかと、最終的な結論として導き出しました。また、泡を使って料理を作るとどうなるのかなども研究しました。

伏木:僕が一番面白いと感じたのは、味と香りは別々に捉えられることがわかったことです。
もし、山椒の味と香りが分かれて使えることになったら、一挙に料理の種類が増えるのではないかと。山椒の香りがするが、味はミョウガの味がするといった組み合わせもできると思います。食材の香りと匂い部分を分離することができれば、料理の幅もより広がるのではないでしょうか。これは、日本料理に限った話ではありません。

入澤:インド料理にも応用できたらいいですね。

伏木:味を抑えつつ20~30種類の香辛料の香りを楽しめる料理とか。

才木:もちろん、香辛料には他では代えがきかない役目があります。香辛料は、昔からインドや中国の内陸地など、新鮮な食材がないところで使われてきました。その香辛料のお陰で、食材の匂いを抑えることができます。
しかし、100年前と比べて、流通や冷蔵設備も進化した現代では当時と状況が異なる部分がたくさんあります。そう考えると、強い刺激が料理に必要かというと、必要でないものもあるかもしれません。もちろん、それぞれの国の料理には欠かせない香りがあります。カレーを食べるのに、「この香り、もの足りない」となると魅力も半減しますよね。ただ、素材の美味しさと香りを調和させるには、刺激は少なくても大丈夫な気がします。

入澤:香りと味が分離するなんてちょっと衝撃ですね。研究にはかなりご苦労があったのではないでしょうか。

才木:私、大学は文系なんです。だから、理系に関する知識はイチから勉強しなければいけませんでした。香りの成分とは何なのか、泡が電化するとか、その意味がなかなか理解しづらいところもあったのですが、伏木先生や共同研究者の方に色々なことを教えていただきました。何よりも道理を理解するのが一番大変でした。口の中で味わうだけなら僕らもよくやっているのですが、科学的に考えるというのは今まで経験のない範囲ですから本当に大変でした。

伏木:特に匂いの化合物というのは、高校レベルでは習わないものばかりです。構造の複雑なものばかりで、見るとぎょっとすると思います。

才木:実際、僕たちが料理をする中で、香りのしないものはほとんどありません。人が美味しいというのはどんな香りなんだろう、どの瞬間に一番香るのだろうと考えるようになりました。

入澤:ありがとうございました。では、中村さん、お願いします。

中村元計氏(一子相伝なかむら6代目主人)

料理と油の切っても切れない関係

中村:私は、もっと地味なんですけど、油について研究しました。なぜ油かというと、京大にいたときに、酸化微量性油脂の志向性増強効果という研究をしました。博士後期課程で何に取り組むかを伏木先生に相談したら、「あの論文、テーマが面白いから、もっとブラッシュアップして博士後期課程でもできるようにしてみたら」という助言をいただきました。僕自身も料理の世界における油の存在に興味があったので、更に掘り下げてみました。

油は、日本料理と真逆のようなところにあるものですが、非常に面白い存在です。天ぷらにしても、油で揚げるだけなのに、素材の味わいがすごく変化しますよね。天ぷら屋さんでも、全然酸化していないサラサラの油を使うところもあれば、ゴマの香りをつけた粘性のある油を使うところもあります。どちらもすごく美味しいけど、その違いは全然わからなかったんです。
また、お弁当を作るときに、昔はご飯に油を入れませんでしたが、今はご飯のコーティングのために、ほんの少しの油を入れます。油の効用は色々あって面白いなと思っています。
「ほんのちょっと油を加えるだけで料理が美味しくなる」ということは料理人の間では話題に上がりませんでしたが、研究を通じて立証できたので、今後は確固たる方法のひとつとして実践できるし、人にも説明できるようになります。我々の厨房はもちろん、今後はコンビニのお弁当や給食などでも応用できるのではないかと思います。

伏木:中村さんは、元々、禅宗のお寺で2年間修行された経験をお持ちなんです。当時のことを伺うと「とにかくお腹が空いた」と言うんですね(笑)。
その時、油がすごく美味しいと感じたと。質素な食生活でも、油があることで救われたと痛感したそうなんです。中村さんは実験で油揚げを使われたのですが、油揚げは日本の伝統的な食べ物で、これを料理に加えることで美味しさが増します。その裏付けが取れた事は、大きな成果です。今後も日本の伝統的な技術がこのような形で立証できれば、もっと応用できるのではないかと思います。

入澤:これはぜひ、続けていただきたいですね。「日本料理を科学する」というテーマで。

伏木:彼らの後輩にあたる料理人も、龍谷大学大学院に入学しています。この流れが、これからも続くといいですね。

中村:昔から、油揚げに含まれる油そのものにも美味しさはあるなと認識していました。でも、一般の料理研究家の方が、なんでもかんでも油抜きをするのを見て、なぜこんなに美味しいのに油を抜くのだろうという疑問がありました。
油も「程」というものがありますから、適度に油があると美味しいし、多すぎると油抜きをしなければいけない。そのあたり、今ではただ単に「油抜き」という一言で終わっていますが、場面場面に応じて判断することが必要だと言えます。

入澤:本当、応用が大切ですね。

伏木:今後も、3人に続いて料亭の経営者や料理人が大学院で研究をして「料理といえば龍谷大学」となればよいですね。

入澤:伏木先生がこの度、定年退職されるということで、先生が提唱されている「おいしさを科学する」というものが、農学部の伝統にしてもらえたらなと思います。今後皆さんは非常勤講師となって、龍谷大学で授業を担っていただけると伺っています。引き続き、何卒よろしくお願いいたします。

(後半に続く)