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立ち呑み屋店主 『食』を読む。 〜十食目〜

西谷 将嗣

レボリューションブックス 店主

立ち呑み屋店主 『食』を読む。 〜十食目〜

西谷 将嗣

レボリューションブックス 店主

十食目

『結局、ウナギは食べていいのか問題』海部健三 著(岩波書店)

鰻についての蘊蓄を目にする機会は、他の食材に比べて多い気がする。
例えば、「鰻の語源はムナギと言い、鰻の胸が黄色いことに由来するという説がある」とか、
「蒲焼は“がまやき”が転じたものと言われており、これは鰻をぶつ切りにして串に刺した様子が植物の蒲の穂に似ていたことが始まりらしい」とか。

この他にも「関東では武家文化の影響から背開き(腹開きは切腹に通ずるため縁起が悪いとされたとか)にするのが定番である」等々、他の食べ物と比べると、一言二言語れることが多い。
これは鰻が日本人にとって人気の食べ物であると同時に、古くから日本人の食文化のなかにあったことの証明かもしれない。

「万葉集」のなかで大伴家持は、痩せっぽちの友人をからかう意味を込め、夏痩せには鰻が良いから食べてはどうかといった意味の歌を送ったりもしているが、それだけ古くから鰻は日本人の舌と心を捉えてきたわけだ。

鰻の魅力を語る事実はこれだけではない。
鰻の料理法が今のような形になったのは江戸時代と考えられているが、当時、マグロのトロの部分やサンマなどの脂の強い魚は下魚とされていたのに比べ、鰻だけはその脂の乗りとは裏腹に庶民には大変人気のある食材であった。
それだけ鰻が滋養に富み、精がつく食べ物であると人々が知っていたのであろう。確かに、私もここ一番のときは鰻を食べる。

そして現在、この鰻が漁獲高や乱獲や環境の変化から激減し、価格が高騰しているのは皆さんもご存じの通りである。

今回紹介する『結局、ウナギは食べていいのか問題』は、我々が良く知っているようで知らなかった鰻の現状をQ&A方式で詳細に解説していく一冊で、筆者の海部健三氏は、ウナギ研究の世界的権威の塚本勝己教授や保全生態学の第一人者である鷲谷いずみ教授のもとで、その謎に満ちた生態と保全についての研究を続けてきたウナギ研究のスペシャリストである。

鰻を取り巻く最大の問題はシンプルに鰻が絶滅の危機の瀕しているということに他ならないが、この本を読めば、それは想像以上に深刻かつ難しい問題であることを痛感させられる。

現在、鰻は国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで絶滅危惧種のなかで上から二番目のEndangered(EN)「危機」に登録されているが、Critically Endangered(CR)「深刻な危機」に相当すると主張する研究者も多く、実際、台湾ではニホンウナギは(CR)「深刻な危機」と評価されている。
本書ではその主な原因として、自然環境の変化による鰻の生息可能域の減少と回遊ルートの環境の変化、そして乱獲が挙げられている。

ご存知の方も多いと思うが、鰻は回遊魚であり産卵のため川を下り海へ入る。
海で孵化した稚魚は回遊の後、再び川を遡上し、そこで成魚となり生活をする。
昔は川の土手などに鰻の巣穴があり普通に鰻を捕まえることができたそうだが、現状、日本の河川の多くは護岸工事や河口堰の建設により鰻の住める環境は急速に失われてしまっている。
このような環境の変化による生物の個体数の減少が原因で価格が高騰する例としては、松茸なども同様であろう。うちの母親が子供のころ、松茸は安価で、すき焼きなどに普通のキノコ類と同じように入っていたと聞かされたことがある。

また、こういった事例の共通点は養殖や人工栽培が技術的に困難であるという点である。
鰻も商業ベースでの完全養殖の目処がたっていないことは本書のなかでも触れられているが、筆者の海部氏はそれに加え、近大マグロの例を引き合いに、もし商業ベースでの鰻の完全養殖が実現したとしても、コストの大きさから鰻の価格高騰に与える影響はほとんどないだろうと語る。

では、養殖技術が確立していないのであれば、国内で流通している鰻は全て天然物なのかというとそうではなく、多くは回遊から戻り、川を遡上する鰻の稚魚を河口で捕まえ養殖場(養鰻場とも)で育てた“養殖物”である。
植物に例えるなら、自然に生えている芽を摘んで、家の庭で育てるようなイメージだろうか。

本書はここで稚魚の密猟という養殖に関する最大の問題を指摘している。
現在、鰻の稚魚の捕獲(採捕という)は、表向きでは国から許可を与えられた業者のみが行えることになっているが、実際は漁師も含む無許可の業者による採捕が横行しており、国内で流通している稚魚のうち違法に採捕されたものは全体の7割にも及ぶと海部氏は指摘する。
これは我々が鰻を口にする際、密猟と関わりのないものを選ぶのがほとんど不可能であると同時に、本来のあり方では到底まかなえない量の鰻を日々消費していることを意味する。

本書によれば日本で消費される鰻のうち、実に4割が土用の丑の日に食べられているというが、例えばミシュランガイドに名を連ねる名古屋の鰻の名店「うな豊」などは、毎年土用の丑の日に休業することで、このお祭り騒ぎ的な鰻の消費傾向に一石を投じている。
海部氏は「いつ食べるか」ではなく「どの程度の量を食べるのか」が問題であるというが、結局のところ「本当に食べたいときに食べる」ことが我々消費者にとって必要なことなのかもしれない。

最終章で海部氏は「食べる、食べないの決定は個々人がそれぞれの価値観に基づいてなすべきものであり、誰かが押しつけるものではない」としたうえで、我々の消費行動の参考となる幾つかのことについて触れており、鰻の持続的利用モデルの開発に取り組む企業の実名や、グリーンウォッシュ(環境配慮をしている様に装う企業の環境対応などを指す造語)の問題などが具体的に挙げられているので、興味のある方は是非本書を手に取り、自身の目で確かめていただきたい。

私はといえば、本書を知ってる知ってると読み進めていくうちに、気がつけば自分の無知を恥じ入る結果となった。
私は鰻を大好きな食べ物としての視点からしか知ろうとして来なかったわけで、これまで通ぶって鰻の蘊蓄を語ってきた自分を大いに恥じると同時に、これは鰻に限ったことではなく、日常的に食べてきたあらゆる食材、ひいては生物全てに当てはまる話なのだと襟を正す思いである。

何を食べ、何を食べないかの選択は大変に難しい問題であり、ここで詳細に立ち入ることはできないが、それでも知った以上は知らなかったことにはできないのだから、少なくともこれから「鰻を食べる」ということに対しては、ストイックに向き合っていくことになりそうだ。言葉にするといささか窮屈に感じられるかも知れないが、昨今の鰻の高騰ぶりからすると、同じ代金を支払ったとしても、これまで以上により有り難く頂戴することになるのだから、まんざら悪くもない気がしている。

写真/伊藤 信  企画・編集/吉田 志帆