九食目
『地球最後の日のための種子』スーザン・ドウォーキン(文藝春秋)
哲学者、佐々木 中はその著書の中で「社会批評家」たちは、「すべてについてすべてを知っている」という幻想にすがり、「専門家」たちは、「ひとつについてすべてを知っている」という幻想にすがると指摘しているが、これは至言である。
世界には知らないことが沢山あり、その「知らないこと」を知らないままでも、日々を暮らせているのだから、それは「知らないままで良い事」なのかも知れない。
ただ、その「知らないこと」を知ったとき、私はぼやけた世界の輪郭は少しだけはっきりとする様な気がする。
本を読む目的というのは人によって色々だが、私の場合はこの「知らないことを知る」事が本を読む大きな目的のひとつになっている。
今回紹介する『地球最後の日のための種子』は、現代の“ノアの方舟”とも称される巨大な種子貯蔵施設「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」の設立に携わった植物学者ベント・スコウマンの奮闘の記録を通し、農業の今を書き出したノンフィクションである。
スヴァールバル世界種子貯蔵庫は正式名称を「あらゆる危機に耐えうるように設計された終末の日に備える北極種子貯蔵庫」と言い、大規模な自然災害や気候変動、病害の蔓延、核戦争などによる植物の絶滅を防ぎ、同様の原因で起こる植物の地域的絶滅に対して農業再生のための種子の提供を行うことを目的とする。
デンマーク人の植物学者ベント・スコウマンにより立案され、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツの協力のもと、北の地ノルウェーの永久凍土の中に建設されたシードバンク(種子銀行)であり、現在約100万種の種子が保管されている。
本書は世界種子貯蔵庫完成までの道のりを追いながら、現代の農業が抱える様々な問題に触れているが、その中でも強く印象に残ったことが二つある。
一つはシードバンク設立の一因とも言える現代の農業の病害への脆弱さで、いま世界の農地では、より多くの収穫が見込まれる品種による単一栽培が主流となっており、この事は世界に食物の安定供給をもたらす一方で、栽培される作物が遺伝的に同質なために、たった一つの病害であっても一度発生すると広範囲の農地が同時に壊滅的な被害を受けるリスクを抱えているという。
本書では、トウモロコシやジャガイモ等のこういった事例が紹介されているが、中でもバナナが1960年代に発生した病害により絶滅寸前まで追い込まれていた事は驚きであった。
この様な事態においては、交配による病害への抵抗性をもつ品種の開発が一般的であり、そのための幅広い種子の収集と保存がスヴァールバルをはじめとするシードバンク設立のきっかけとなっている。
もう一つは、植物学者たちが種子を収集するうえで障害となる遺伝子の所有権を巡る問題の複雑さだ。近年、技術革新や遺伝子組み換えによる新しい品種の開発が進んだことで農作物に対する特許が認められるようになり、企業による遺伝情報の私有化が始まったと本書は指摘する。
ある植物について特許を取得するという事は、その植物についての全ての権利を有する事になり、遺伝情報の一つに至るまで権利者の許可無しでは使用する事が出来なくなる。
この世界的な流れの結果、多くの国が遺伝資源の移動について慎重な姿勢を取るようになった事は、世界中から種子の標本を集めようとするスヴァールバルのプロジェクトにとって大きな障害となる。
本書はこれらの問題のほかにも、戦争による種子標本の焼失や不況による予算の削減など、プロジェクトが直面した数々の困難について触れているが、それらは全て我々人類によってもたらされた問題であった。
人類を守るための計画が人類自身の手により阻まれていたとすれば、なんとも皮肉な話なのだが、同じく人類の手によってもたらされた今世紀最大の惨禍である2001年9月11日のテロが、プロジェクト実現への最後の決め手となったという本書の指摘もまた皮肉な話である。
3,000人以上の人命を奪った未曾有の惨禍は、世界のテロリズムへの認識を新たにし、多くの国が食料確保の重要性と遺伝資源保存への意識を高めていく中で、スヴァールバル世界種子貯蔵庫の必要性は再認識される。結果、世界を災禍から守るための施設は、テロという今世紀最大の災禍によって誕生する事になる。
先述の通り、スヴァールバル世界種子貯蔵庫は現代のノアの方舟とも称されるが、神話の中のノアは周りの人々に嘲笑されながらも方舟を作り続けていた。ノアが嘲笑を受けたのは大洪水が「想定外」の事であったからであろう。しかし、ここ数年の間に我々を襲った災禍の数々を振り返ってみると、まさに想定外の連続であった気がする。
本書は一人の植物学者の奮闘の記録を通し、我々が我々の住むこの世界を守るために本当に必要な事が何であるのかを問いかけてくる気がする。
撮影/伊藤 信 企画・編集/吉田 志帆