おいしさを客観的に評価したいというのは、食品メーカーはもちろん食を提供するすべての人々の夢である。しかし、おいしさは極めて個人的な問題であるとしてその実現はあきらめられてきた。
おいしさは個人的な事柄というのは古くからある考えで、「おいしさは十人十色」とか、「蓼食う虫も好き好き」などという言葉がそれを物語っている。
おいしさは確かに個人的であるが、チョコレートやケーキなんてみんな好きではないか。なんらかの法則があるはずだと長年考えてきた。これまでの本コラムで話題にしたように、いわゆるB級グルメはあまり個人差もなく、大人も子どももみんながおいしいという。やみつき感があるものには個人差はあまりないのである。さらに、腹が減ったら何でもおいしい。喉が渇いたらビールがうまい。これらは渇きや空腹を満たすという動物的な欲求である。したがってこれにも個人差はあまりない。
おいしさの個人差の発生源となっている主な原因はおそらく2つある。1つは食体験。これが個人によって違うので食べ慣れたものや懐かしい食というのが個人差を生む。故郷の味なんていうのは個人によって違う。もう一つ、昨今の情報社会においては、どのような情報に触れたかという違いが決定的な個人差を生んでいる。ブランド志向の人もあれば、健康こそが命の人もいる。つまり、食体験と情報環境の違いが個人差なのだと思われる。
私の研究の一つは、おいしさの構造を明らかにすることである。食品や料理のおいしさの基本には、やみつきや生理的欲求のような動物的な部分がある。その上に、食体験と情報という人間的な感覚が乗っかっていると考えられる。これらが総合されて「おいしい」という判断が下る。そう考えるに至った。
それならば、動物的な部分を共通として、人間的な食体験と情報の影響を別に考えればいいはずだ。最近、これら4つのおいしさのジャンルを個別の質問形式で評価することで、おいしさの個人差にせまれる可能性が出てきている。4つの評価をそれぞれ点数化して、あとで合成すればおいしさの総合評価とほぼ一致することも明らかになってきた。多変量解析という手法で、4つのおいしさを合成する式を導く方法も明らかになった。まだ精度は完壁ではないが、近い将来には個人差を含めたおいしさを数式で表せるかも
しれない。
出典「互助組合報」(2015.2.10号)