京料理は薄味と誰もが言う。グルメ雑誌でも観光ガイドでもその他のマスコミでも然り。京の薄味は今では常識になりつつある。確かに京都の味になれていると東京の味付けは濃いと感じることがある。塩からいというよりも醤油が濃いという感じに近い。しかし、本当の京料理は関東人が考えるほど薄味ではない。
実際に京都の観光スポットで食事をすると、かなり淡い味付けの料理に出くわす。味だけでなくて色も淡い。ところが、これは薄味を期待する観光客向けなのだ。京都育ちの友人の1人は観光客向けの薄味を「どすえ味」と呼んでいる。「ワタシら京都生まれどすえ」などとは京都人は言わないと言う意味である。京料理が薄味というのは本当ではない。かなり作られた話なのである。
京料理の老舗料亭の当主らが中心になって日本料理の振興を支援する会がある。小学校の味覚教育にも積極的だ。有名な店の当主や後継者らのほとんどが参加している。筆者も顧問の一人として理事会の末席に加えていただいている。料理人の世界をかいま見ることができてわくわくする。
京都を代表する料亭のご主人たちは口を揃える。
「京料理は薄味なんかではございません」
「しっかり塩を利かせています」
京料理の老舗と呼ばれるいくつかのお店で食事をした限りでは、決して世間で言われるような薄味ではない。まして、味がないのかあるのかわからないような脆弱なものではない。どうやら、薄味と思っているのは、旅行で訪れる他府県の観光客とグルメ雑誌の編集者やマスコミ関係者らしいのだ。
ある店の主人によると、
「京料理なのにどうしてこんなに普通の味なのか」
と怪訝そうに言う観光客があるという。薄くなくては偽物のような口ぶりだ。
薄味の印象には2つの面がある。見た目と味である。薄口醤油を使った煮物の色は確かに淡い。京都をはじめ関西で使われる薄口醤油はできあがりの色を薄く仕上げるための醤油である。少量で塩味が利くように、塩分濃度はかなり高くて塩からい。
煮物の色は醤油の影響が強い。醤油の濃い褐色は、アミノ酸と糖分が長い時間の間に反応して起こる。熟成のうま味である。褐色以外に複雑な成分が生じて風味もコクも増す。色の濃さは原料の糖の種類によって異なる。
化学の話で恐縮であるが、人間が食べる糖は炭素原子が六つの六単糖と五つの五単糖の二種類が一般的である。デンプンを分解するとすべて六単糖になる。砂糖は五単糖と六単糖が一個づつ結合したものである。
醤油の原料に使うと五単糖は褐色になりやすい性質を持っている。薄口醤油は原料の糖として五単糖の混入を極力控える。薄い色を実現するための工夫である。薄口醤油で煮た野菜は、色が淡くて素材の色彩を引き立てる。しかし、塩味は薄くない。
味の面でも京料理が薄味と間違われる理由がある。上質のダシがしっかり利いていると、塩分濃度が広い範囲でぴたりと決まる。そう料理人は言う。京料理には豊潤なダシが使われるので塩加減は許容範囲が広い。
ダシが貧弱であると、適当な塩分の幅が狭くなるという。素人には塩加減は難しいというが、ダシが弱いことも原因である。いいダシなら苦労はいらないようだ。
化学的に料理の塩分濃度を測定すると、京料理は多少塩分が少ないかも知れない。しかし、それは味が薄いのではない。ダシがいいので塩分が少なくても十分満足できる強い味が出ているのだ。薄味なんかでは決してない。
化学的な数字を鵜呑みにして、やや少ない塩分と貧弱なダシで無理矢理作った京料理風の味付けはいただけない。薄味好みの観光客向けである。
「さすが京都の薄味」
「素材の味を活かしている」
勘違いである。京都人でも薄いものは薄く感じる。
ダシの基本は昆布とカツオである。単純なだけに素材の違いがよくわかる。京料理の老舗は素材にこだわる。料理人の話を聞くと料理の値段が高いのもうなずける。
昆布はそれぞれに店の選んだ産地があり三年ほどおいたものが使われる。昆布の産地によってうま味成分のグルタミン酸と同じくうま味成分のアスパラギン酸の比率も異なる。このあたりは重要らしい。新しい昆布では良いダシが引けないという。理由はわからない。
カツオは問屋によって吟味されたものだけが届けられる。カツオだけでなく京料理ではマグロ節もよく使われる。マグロダシの原液を味わったことがあるが、雑味のない上品な味わいである。マグロ節をカビ付けした本枯れ節だけではおとなしすぎるので、かび付けしない荒節も併用されるという。驚くほど大量の削り節を投入して、惜しげもなくさっと引き上げる。香りが大切である。もちろん料理によってダシも使い分けられるようだ。詳細は各店の企業秘密である。
淡い色の中にも風味と味とがしっかりと染みた、「濃い」京料理をぜひ味わっていただきたい。
出典「逓信協会雑誌」(平成18年8月号通巻1143号)