TOP / Trivia / 老舗料亭のまかない料理

京料理の老舗料理屋の若主人に聞いた話である。このお店ではご主人と従業員約40名の昼食と夕食の調理を、料理人修行に入った1年生が1週間交代で1人で担当することになっているそうだ。いわゆる”まかない料理”である。高級老舗料理屋のまかないだから、どんな食材を使ってどんな料理を作るのか興味深いが、ご主人の話を聞くと意外なものであった。

まかない料理には厳しい掟がある

この店では、しきりの入った専用の縁高の器が各自に用意されていて、これに料理を5品作って盛りつけるのがきまりになっている。経費は1人前200円。

予想以上に予算が少ないので驚いた。お店で出される料理の価格から考えると、桁が違う。しかしこの設定は従業員にかかる経費を節約するためばかりではないようなのだ。

贅沢ができる予算額ではない。むしろ、極端に質素である。これをご主人も含めて皆でいただくのだそうだ。当番の新人は、普段ならばお客に出す料理の重要な部分にはほとんどさわらせてもらえないだろうから、いわば一人で料理をまかされる唯一の場でもあるのだろう。ご主人を含めて、板前さんも、先輩従業員諸氏も食べる。作る方は緊張するだろう。当然、歯に衣を着せぬ批評もあるはずだ。

「まずい!」の声も時には挙がるらしい。
まかない料理はきわめて重要な新人教育の場である。短時間で簡素な5品の料理を、決められた予算で手際よく、おいしく仕上げる。1週間交代とはいえ、昼も夜も、である。数も40名分とかなり多い。大勢のお客に一時に対応するための下ごしらえの段取りや目配りもこんなところから学ぶのであろう。それを先輩たちが厳しく評価する。このまかないには、料理だけではなくて料理をお客に出すための重要なプロセスの全体が含まれている。

将来一人前になるための教育が詰まっている

料理はもちろん、買い出しから支払い、その日の会計報告まですべて担当者一人に任されるのだそうだ。そろばんを常に頭に置きながら買い出しをしなくてはいけない。料理といえども商の一環である。将来どこかで店を任される料理人になるセンスを磨く第一歩でもある。
「このまかないをこなせたら、すぐに現場で使えるようになる」とご主人は言う。現場の新人さんたちはそうと理解しているのかわからないけれど、高い視点から細部まで計算された見事な実践教育である。昔から、料理人を目指す人たちは老舗のお店に修行にゆくが、こんな所にも老舗の伝統の知恵が生きている。

1食200円は厳しい設定である

さて、1食200円というのは、大学の体育会系クラブの貧乏合宿のまかないよりも厳しい予算設定である。しかも学生の作る定番カレーやシチュー、豚汁ではない。少量づつにしろ5品という厳しい条件がついている。当然ながら、この予算では贅沢な食材は一切使えない。食材で味をごまかせない仕組みであるとも考えられる。野菜が中心にならざるを得ない。

「この予算では、タマネギ、大根、白菜、ニンジン、など、いくつかの野菜しか使えないですね」と主人は言う。「少し予算に余裕ができると切り干し大根や高野豆腐、干した魚などの乾物が使えます。野菜だけでなくて魚などもこの中でやりくりしなくてはいけません」要求される5品の中には、季節感のアクセントも必要だろう。冷蔵庫にある店の料理の残りの野菜を活用することも重要だ。ダシは予算外らしいので、おいしい料理に仕立てるには旨いダシをひくことが重要になる。値段が安くて旨い旬の食材を選ぶ技も自然に身につく。

そんな地道な修行が老舗の伝統を支えている

「最初の半年は、新人の作るまかない料理はまずいが、後の半年はずいぶん旨くなる。春になると新人が入ってくるから、また料理がまずくなる」とご主人が苦笑する。4月から始める新人が多いので、秋以降にならないと料理の腕も上がってこないようだ。ご主人は多くを語らなかったが、うまい料理とまずい料理の違いを実感する場でもある。腕が上がるとどこがおいしくなるのかなども新人たちが会得してゆくのであろう。

いわゆる高級料亭は食材を贅沢に使っている。部屋のしつらえも雰囲気もいい。だから旨いと思われているかもしれない。しかし、日常的にこんな基礎的な修行ができているから、高い食材がさらにおいしくなるのだろう。華やかな料理の裏に、このような質素な食材で腕を磨く教育がなされている伝統の仕組みに脱帽した次第である。

出典「逓信協会雑誌」(平成20年4月号通巻1163号)