EU(欧州連合)がUK(連合王国)の離脱(Brexit)で揺れています。
3月末に予定通りEU離脱を実現できなかったメイ首相の涙の引責辞任が決まった後、7月23日に与党・保守党の後任党首が決まるはずです。EUからの合意なき離脱(ハード・ブレグジット)を辞さないジョンソン前外相か、穏便な離脱(ソフト・ブレグジット)を目指すハント外相のどちらかが新しい首相に就任予定です。EUとUKは一体どこへ向かうのでしょう?
EUに関するニュースを読むたびに私はいつもコムギの進化を思い出します。激烈な戦火を2度も体験したヨーロッパが、争いを回避しともに生きる方策を模索した結果、1957年に欧州経済共同体(EEC)が発足しました。1989年の「ベルリンの壁崩壊」に象徴される東西冷戦の雪解けを経て、1992年にはEUと云う経済・政治における協力の枠組みができました。言語、文化、歴史、民族の違う国々(例えば、イギリス、フランスとドイツなど)が、互いの独自性を維持しつつ、一つになろうと約束しました。それが今、移民問題に端を発した自国第一主義と云う非寛容で激しく揺さぶられ、結束の綻びが露呈し大きくなりつつあります。
さて、コムギの話です。
コムギとその近縁種は複2倍体化(異種ゲノムを持ちながら同種ゲノムの2コピーが独立性を保ち、同時に異種ゲノムと共同すること)を伴う異質倍数性と呼ばれる特有の進化を遂げた植物属です。少しややこしいですが、図を参照しながら、コムギの進化と栽培化の歴史を振り返ってみましょう。
野生種のクサビコムギと原始的な野生一粒コムギとの自然交雑で生まれたのが野生二粒コムギです。母親となったクサビコムギはBBゲノムをもつ2倍種(父母に由来する同一ゲノムが2つ)で、一方、父親(花粉親)となった野生一粒コムギはAAゲノムをもつこれも2倍種です。その後、今からおよそ9,000年前に、チグリス河とユーフラテス河に挟まれた肥沃な三日月地帯で、この野生二粒コムギが栽培化されて現在のエンマーコムギ(デュラムコムギあるいはマカロニコムギ)ができました。エンマーコムギは、父と母それぞれに由来するAとB二つのゲノムが融合した後に、非還元分裂という特殊な減数分裂によって生じたAA配偶子とBB配偶子が統合した異質4倍性ゲノムAABBを持ち、複2倍体化することで自殖(同じ個体の花粉細胞と卵細胞の受精)で種子を残します。一粒コムギは穂を形作る小穂に小花が一つで、一粒の種子を着けます。一方、二粒コムギの小花は二つですから種子も二つです。こうしてできたエンマーコムギはスパゲッティやパスタの原料として私たちの食卓を賑わしています(図の左:私の好きなスパゲッティ・ボローニャ)。
エンマーコムギはさらに進化しました。エンマーコムギを栽培していた畑の随伴雑草として生えていたタルホコムギ(穂が樽型)と云う野生種の花粉がかかったことでエンマーコムギがタルホコムギからDゲノムを受容し、さらにゲノムの倍加と複2倍体化を起こして、雑種胚が自殖稔性のあるAABBDDと云う統合ゲノムをもつ異質6倍性のパンコムギに進化しました。3から4個の小花をもつパンコムギは3から4個の種子をつけますから収量の大幅な増加です。同時に、Dゲノムを獲得したことで環境適応性が向上し、パンコムギは広く世界中に伝搬し栽培化されることになりました。それだけではありません。決定的な進化が起こりました。ABゲノムにDゲノムが加わることでベーキング効果(パンが発酵で生じる炭酸ガスで膨らむこと)が高まり、美観にも味わいにも優れた小麦粉になりました。新しいゲノムが加わったことで新しい機能が加わったのです。香ばしく焼けたパンだけでなく、インド、パキスタンや中央アジアの国々で食べられるナンやチャパティも幾分か膨らみがあって美味しい!。
こうして進化したパンコムギの細胞中では、祖先種である一粒コムギのAゲノム、クサビコムギのBゲノムとタルホコムギのDゲノムが共存しています。A, B, D三つの固有のゲノムは、共存後もそれそれぞれの独自性・独立性を保ちながら、必要な変化を遂げて新たな統合ゲノムAABBDDとしてパンコムギの中で生き続けています。コムギのA, B, Dゲノムの進化は止まりません。育種改良という人為的進化がこれからも続いていき、私たちの食生活を支え、さらに豊かにしてくれることでしょう(図の右:いろいろなパンがありますね)。
生命の進化は長い時間のかかる試行錯誤です。人間の作る社会も同じでしょう。EUも、ゲノム統合の苦しみを味わったコムギのように、紆余曲折を経て変化・進化してゆくのだろうと思います。コムギにはEUが高く掲げた目標を達成するために学ぶべき何かがあると私は思います。