八食目
『紅茶スパイ』サラ・ローズ(原書房)
現代を生きる我々にとって、茶を飲むという習慣は当たり前に日々の生活のなかに存在していて、それに特別な注意を払うことはあまりない。ましてや、小さな子供たちからすると、数ある茶の種類の違いなどもあまり大きな興味の対象ではないだろう。
私が育った家では、夏は麦茶、冬は番茶を飲むのが定番であり、紅茶は母親の気分次第で出てくる外国のお茶といったぐらいの認識で、季節の変わり目に冷蔵庫で冷やされている茶の味が変わるのに困惑しながらも、それが季節の移ろいを知る一つの手段でもあった(当時、烏龍茶はまだ一般的ではなかった)。
そんなだから、緑茶と紅茶が同じ植物から作られている事を知ったのも比較的最近のことで、確かある雑誌の茶の特集記事を読んだ時と記憶している。それでも「緑茶は中国、紅茶は西洋で生まれたので、同じ茶葉でも製法が違うのだろう」ぐらいの認識であった。
それゆえ、今回紹介する『紅茶スパイ』を読み、緑茶に加えて紅茶も中国が発祥であることを知った時はいささか驚いた。
この本は原題を「For All the Tea in China」と言い、副題が「How England Stole the World's Favorite Drink and Changed History」であることから『紅茶スパイ』というタイトルは日本語版出版の際に付けられたものだと考えられる。
人目を引くタイトルではあるが、若干エンターテインメントに走っており、本書の魅力を十分に伝えられていない気がしないでもない(断言は避けます)。
本書は19世期のヨーロッパにおいて、製法はおろか苗木や種すら入手困難であった「チャノキ(茶の木)」を極秘裏に入手し、その製法と共に紅茶産業をインドに根付せるために尽力したイギリス人、ロバート・フォーチュンの記録とともに当時の中国とイギリス、そしてインドの関係を含む世界情勢や、中国人、イギリス人それぞれの風習と社会風俗を書き出したノンフィクションであり、歴史書であり、民俗学的記録でもある。
アヘン戦争後、中国が国内でのアヘン栽培を解禁し、不当な三角貿易からの脱却を目指す中、イギリス国内の社会情勢の変化により急速に力を失いつつあった東インド会社は、中国に独占されていたチャノキの栽培と紅茶の生産を植民地であるインドで成功させ、アヘンに変わる新たな財源を確保する必要性に迫られていた。
一方、中国では時の清王朝がチャノキの国外流出を阻止すべく目を光らせており、正規の交渉ではチャノキもその製法も国外へ持ち出すのは到底無理な状況であった。そこで白羽の矢が立ったのが、本書の主人公であるプラントハンター、ロバート・フォーチュンである。
プラントハンターは18世紀頃より、主にヨーロッパで活躍した海外の珍しい植物を採集し国へ持ち帰る任務を仕事とした人々のことで、植物学や医学に携わる人間のなかで有閑階級出身でない人々が財を成すための一つの手段でもあったようだ。
当時のイギリスでは産業革命による急速な工業化の反動から、都市部を中心に園芸趣味(現在でいうガーデニング)が上流階級だけでなく一般庶民の間にも広く浸透しており、外国の珍しい植物はオークションで高値で落札されていた。それに加え、科学が急速に発達し始めたこの時期において、植物は薬品をはじめとしたあらゆる加工品を生む貴重な資源でもあった。
これらの事情から、国外のまだ見ぬ植物の価値は計り知れなく、それらを広く発見収集し本国へ持ち帰ることは、非常に有益な国を挙げての一大プロジェクトでもあったのだ。
特に鎖国政策によりヨーロッパ人が湾岸の一部の地域にしか出入りする事ができなかった中国の広大な国土、そのなかでも湾岸部から遠く離れた内陸部はプラントハンターたちにとって宝の山であった。しかし、この広大な国土における鎖国政策は、チャノキを求め中国の奥深くへ潜入するフォーチュンにとって思いがけない結果をもたらす。
フォーチュンは潜入するにあたり、髪を剃り辮髪を付け、中国の上級官吏の服を着て変装する。現代の我々からするとイギリス人のフォーチュンが幾ら変装したところでそんなものは見破られてしまうだろうと思うのだが、結果としてフォーチュンの変装はほとんど見破られることはなかった。
何故なら、鎖国下における中国の、しかも海から遠く離れた内陸部の農民たちは、そもそも外国人を見たことがないため、フォーチュンが遠く離れた地の異民族出身の上級官吏に見えたというのである。なんとも笑ってしまう、嘘のような本当の話である。
フォーチュンは通訳や雑用で雇った中国人との国民性の違い(多くの場合、それは儒教文化とキリスト教文化の根本的な違いに起因する)に翻弄され、時にはそのせいで命の危機に晒されながらチャノキの苗木や種を採集し、茶の製法を学び、遠く離れたインドの地に向けそれらを送り出していく。
そのなかで興味を引いたのは、その輸送手段である。当時の交通事情を考えると中国からインドまで苗木や種子は何ヶ月も旅をすることになるし、船の甲板では潮風や灼熱の太陽に晒され、航路によっては赤道を二度またぐこともある。
フォーチュンはこの過酷な旅を「ウォードの箱」というテラリウムの起源となった装置を用いて克服している。これはガラスの密閉容器のなかでは植物は光さえあれば自給自足で生き続ける性質を利用した装置で、フォーチュンはこれを改良することで植物の苗木や種子の長距離の輸送を可能にした。
結果として、これが植物、特に農産物の地域的独占を打ち破るキッカケとなり、以降の帝国主義的植民地政策に大きな影響を与えることになる。フォーチュンの功罪は大きいが、不可能を可能にする努力がイノベートを生み、我々人類を進歩させてきた良い例でもある。
このように本書は単純な冒険譚ではなく、当時のイギリスと中国の政治的関係やイギリスの帝国主義がどのようなものであったか、また当時のイギリスや中国の人々がどのように考え、どのように暮らしていたのかを知ることができる一冊の学術書とも言える。
フォーチュンが行ったことは、チャノキとともに茶の製法という知的財産を中国から盗み出す行為であり、これ以降にもヨーロッパ文化圏が同様に他国から知的財産の搾取を行ってきたことを考えると、近年の中国による知的財産権の侵害問題はなんとも皮肉な話に思えてくる。
最後に、本書の原題である「For All the Tea in China」は、直訳すると「中国の茶を全部くれても」だが、実際は強い拒絶を表す時に用いられるイディオムであり、例えば、I wouldn't accept it for all the tea in China.というセンテンスの場合は「それは私は絶対に受け入れない」と訳すことになる。
このようなイディオムが生まれたことからも、当時のイギリスにとって中国の茶がどれだけ貴重でどれだけ手に入れたい物であったか。そして、一人のプラントハンターが命を懸けてでも成し遂げようとする価値ある仕事であったことを物語っているのではないだろうか。
撮影/伊藤 信 企画・編集/吉田 志帆