日頃私たちが食する農畜産物の多くは、長い年月をかけて品種改良されてきたものです。
ざっと例をあげてみても、米、麦、大豆などの穀物、トマト、キュウリなどの野菜、牛や豚、鶏などの家畜といったように枚挙にいとまがありません。品種改良は主に生産性や品質の向上を目指して行われ、今日の日本に見られるような豊かな食生活の実現に役立っています。
今日は品種改良にまつわる話題を紹介します。
現在の品種の祖先は人類により野生種から栽培化・家畜化されたもので、近年はそれをもとに公的機関や民間企業によって盛んに品種改良が行われています。
さて、品種改良に皆さんはどのような印象を持たれているでしょうか。
品種改良は端的に言えば親品種を交配して子を作り、その中から優良なものを選抜して次世代の品種を作る、という作業を繰り返すことによって行います。
栽培と観察を繰り返すわけですから、その過程で何度もフィールドワークを重ね、汗を拭きながら作物の生育を観察し、その果てに新品種にたどり着く、そのような印象を持たれているかもしれません。
それはその通りなのですが、実は加えて「机上の計算」が大きな役割を果たします。
生産性や品質は遺伝と環境の両方の影響を受けて決まります。では品種改良においては遺伝と環境どちらが大事でしょうか?
答えは遺伝です。
その理由はいくら高い生産性を示してもそれが良い環境の結果であれば、その良さが次世代に伝わることがないためです。つまり品種改良のポイントはいかに環境に惑わされずに遺伝の良さを見抜くかにあります。
この問題に道筋をつけたのは偉大な統計学者ロナルド・フィッシャー(1890~1962)でした。彼は後に分散分析と呼ばれる統計学の手法を用いて、遺伝と環境の影響を計算的に分離できることを示しました。フィッシャーは今でこそ統計学者として知られていますが当時は遺伝学者であり、農業試験場で働いていたこともありました。試験場で得られる多くのデータが、分散分析や実験計画法など後の統計学の基礎となる研究を触発したようです。
統計学と品種改良がより直接的に結びついているのが畜産分野、特に乳牛です。
動物の雄は雌に比べてより多くの子孫を残すことができるため、畜産の品種改良では優良な雄をいかに見抜いて選抜するかが重要になります。
しかし雄は泌乳しないので優良な雄を見分ける術がありません。そこで行われるのが「後代検定(こうだいけんてい)」という仕組みです。
これは選抜候補の雄から多数の子(雌牛)を作り、それら(彼女ら)がどれだけ泌乳するかで雄の優劣を比較するというものです。このとき環境の影響を除いて雄の遺伝的な良さを正確に比較するために統計学が使われます。
この方法は強力で乳牛の生産性を飛躍的に高めることに成功しました。今日安価に乳製品を食すことができるのはこの方法のおかげでもあります。
フィッシャーの時代は農業で得られるデータといえば作物の形や収量、気象観測値などでした。
しかし最近は技術が進歩し、より多様なデータが得られるようになりました。作物や家畜からは遺伝子や代謝物、共生する微生物などの情報が得られるようになりました。環境からは気象に加え土壌水分や栄養素などの情報を経時的に得ることができるようになっています。
このような多種多様なデータを「予測」に利用することが品種改良において非常に期待されています。データから予測することで栽培することなく良い作物を見抜くことができたら、子を多数作ることなく良い雄を選ぶことができたら、品種改良の効率は飛躍的に向上するでしょう。
フィッシャーから始まった「机上の計算」は品種改良に大きく貢献をしてきましたが、今後さらにその重要性が高まると私は予測しています。