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CULTURE 2021.09.09 竹内 真彦

諸葛孔明は諸葛菜(しょかつさい)を本当に植えたのか?(前編)

前回は、諸葛孔明と「食」にかかわる挿話として有名な「饅頭(まんとう)」の起源とその信憑性について探ってみた。今回は、同じく諸葛孔明と縁が深いとされる「諸葛菜(さい)」の起源とその信憑性について探っていきたい。

■孔明、諸葛菜を育てる。

まず、諸葛菜とはどのような植物なのか見てみよう。小学館の『デジタル大辞泉』では「アブラナ科の一年草。高さ30~60センチ。根は白くまっすぐ伸び、葉はダイコンに似る。3~5月、藤色の4弁花を総状につける。中国の原産で江戸時代に渡来。」と記されている。

この「諸葛菜」、中国ではカブ(蕪菁/蔓菁)の事として紹介されている。なぜ、日本と中国で「諸葛菜」の意味が混同しているか。この点に関しては、植物学の専門家に意見を聞かなければならないが、今回は諸葛菜の語源についての話なので、深くは触れないでおこう。

ネットで諸葛菜を検索すると、こちらの花がヒットする(別名オオアラセイトウ)

とにもかくにも、「諸葛」の名が付いた植物だから諸葛孔明が何かしら関係しているだろうと想像する人は多い。ネットでも、諸葛菜の言葉の由来として孔明が長い戦の飢えをしのぐための陣中食として用いたことを披瀝するサイトを複数見かける。しかし、果たして本当に両者の間につながりはあるのだろうか。「諸葛孔明にちなんだ名前のついた植物だから」と安易につながりを認めてはいないだろうか。

そこで今回は文献からのアプローチを通じて、ネットの答えではたどり着けない「その先」を目指す旅に出かけようと思う。

■日本における「諸葛菜」の言葉の起源

多くの人が諸葛菜という言葉にまず出会うのが、吉川英治『三国志』であろう。その「篇外余録」に「諸葛菜」というエッセイがあり、このなかで吉川はこう記している。

彼が、軍を移駐して、ある地点からある地点へ移動すると、かならず兵舎の構築とともに、附近の空閑地に蕪(蔓菁ともよぶ)の種を蒔まかせたということだ。この蕪は、春夏秋冬、いつでも成育するし、土壌をえらばない特質もある。そしてその根から茎や葉まで生でも煮ても喰べられるという利便があるので、兵の軍糧副食物としては絶好の物だったらしい。(吉川英治『三国志』篇外余録より)

吉川英治はこの「篇外余録」を著すにあたり相当数の参考文献を明示しているが、上記の通り紹介した諸葛菜の由来に関しては出処を明らかにしていない。

ちなみに『吉川三国志』には、『三国志演義』の翻訳(元禄年間に出版された『通俗三国志』など)では書けない箇所がしばしば見受けられ、特に諸葛孔明に関する事柄に多い。たとえば孔明が初登場するあたりで、諸葛家の歴史について紙幅を割いて紹介している。『三国志演義』にも諸葛家に関しての断片的な記載はあるが、吉川『三国志』のようにまとまった記載は見当たらない。
吉川英治が『通俗三国志』など演義系統のテキストの他に何を参照していたか、ということについては近年研究が進んでいる。箱崎みどり『愛と欲望の三国志』(講談社現代新書、2019年)は、吉川英治が明治〜昭和初期に出版された諸葛孔明の評伝を参照していたこと、「諸葛菜」の記述に関しては、太田熊蔵『諸葛孔明傳』(山水社、1942年)と似ることを指摘する(同書p.190)。太田『諸葛孔明傳』は、筆者未見であり確認が取れていないが、あるいはこの書に出典が明示されていないため、吉川英治もまた出典を示し得なかったのかも知れない。
そこで吉川英治が記した「諸葛菜」の”ネタ元”は何なのかを、中国の文献からひもといてみたい。

■中国ではいつから「諸葛菜」という言葉が使われてきたか

中国における諸葛菜の言葉の起源を探るため、中国語に関する膨大な言葉をまとめた『漢語大詞典』をひもといていこう。ここで一番知りたいのは言葉の意味ではなく「どの文献に記されているか」。つまりは、用例である。

『漢語大詞典』によると、1つは唐代の韋絢(いじゅん)が記した『劉賓客嘉話錄(りゅうひんかくかわろく)』という文献。もう1つが、宋代にまとめられた『事物紀原(じぶつきげん)』である。

本来であれば時期が古い『劉賓客嘉話錄』を見ればよいが、『事物紀原』といえば以前紹介した「饅頭」の起源にかんする記事でも登場した書物。そこでまずは『事物紀原』を見てみると「蔓菁(まんせい)に似る」など諸葛菜の特徴が紹介され、加えて『劉賓客嘉話錄』にも諸葛菜にかんする記載があるとのこと。それでは、改めて『劉賓客嘉話錄』にさかのぼってみよう。

『劉賓客嘉話錄』は、唐代の詩人・政治家の劉禹錫(りゅう うしゃく)の言葉を弟子とも言える韋絢(いじゅん)がまとめた書物だ。劉禹錫は、西暦772年に生まれた。日本史でいうと平安京に都が移るより約20年前のこと。中国史だと杜甫が生まれた60年後。つまり、杜甫の孫の世代にあたる。

『劉賓客嘉話錄』では、諸葛菜について「青いものの栄養に欠けがちな陣中食で、この蕪菁は大きな戦力となったに違いない。軍隊を進めていく場合も、そのまま捨てていっても惜しげもない。また次の大地で収穫できる。これは、諸処の地方で日常食として栽培されていて、諸葛亮が広めたのではないか」といった事柄が記されている。

内容を見る限り、吉川『三国志』の「諸葛菜」は、ほとんどがこれの引き写しであるといえる。ちなみに吉川の「諸葛菜」には「蜀の江陵地方の民衆の間で」とあり、これは太田『諸葛孔明傳』を孫引きしたために起こった「誤り」であろう(前掲箱崎2019、p.190の引用に拠る)。江陵は蜀があった四川省ではなく現在の湖北省に位置する。おそらく「蜀の人は蔓菁を『諸葛菜』と呼び、江陵もまたそうである」という箇所を、太田は「蜀の江陵」と合わせて誤読してしまったのではないか。

では、劉禹錫は先述の諸葛菜に関する話を、どこで知ったのだろうか。続きは後編で。

竹内 真彦

たけうち まさひこ

龍谷大学経済学部教授

静岡県生まれ。博士(学術)。中国古典小説研究会会長。三国志学会評議員(事務局担当)。専門は中国文学。特に『三国志演義』成立史に関する研究。