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麦こがしを食べるひとたちーチベット人とツァムパー

岩尾 一史

龍谷大学文学部准教授

麦こがしを食べるひとたちーチベット人とツァムパー

岩尾 一史

龍谷大学文学部准教授

アジアの高地文明が花開くチベット高原では、なにが食べられているのだろうか。代表的主食のツァムパとその歴史をみてみよう。

チベット高原とその文化

チベットの歴史を研究している。チベット高原はヒマラヤ山脈の北側に広がる平均標高4000m以上の高地で、牧畜地帯と農耕地帯が入り混じり、仏教思想が人々の生活に深く浸透する地である。

チベットといえば外界と隔絶されたかのような印象を持つ人が多いであろうが、実は高原外との交流は古代から盛んであり、チベット文化も周囲の文明の影響を色濃く受けている。仏教もその一つである。はじめは外来宗教の一つであった仏教は、一旦チベットに根を下ろすとチベット社会を大きく変えてしまった。代表的な例が墓で、チベット人たちは元々あの世の存在を信じて墓を作っていたのであるが、仏教と輪廻の思想が根付くと、墓を作るのをやめてしまった。

高原を横断する大河ヤルンツァンポ

筆者の主な研究対象はチベットの歴史、それも仏教が本格的にチベットに根付く前の時代で、世界史でいう「吐蕃」――チベット高原において初めて登場した統一国家――の時代である。中央アジアで発見された出土文書や、チベット各地に点在する碑文を読むのが主な仕事だが、実はチベット文化圏に入った回数はそこまで多くない。研究を始めてから現在までの25年間でも通算9回、毎回だいたい1-2週間くらいであろうか。それでも、行くたびに出会う人々や風景に強烈な印象を受けて帰国する。その一つが食べ物である。

中央チベットのサムイェにて撮影

ツァムパ(麦こがし)の食べ方

チベット人の主食はツァムパ、チベットで採れる「ネー」(ハダカムギ:オオムギの一種)を煎ってから挽いて粉にした、いわゆる麦こがしである。チベット人とは誰か?というと、「ツァムパを食べる人」だ、というくらい彼らのアイデンティティにも関わる食物である。

主な食べ方は、お椀にツァムパを入れておき、上からバター茶などを注いで手で捏ね、塊(パーという)にし、およそ指くらいの細長い形状にして食べる。捏ねるときにお好みで砂糖なども加える。食べた感想としては、なんとも素朴な味で、麦の香ばしさとザラザラした感触が口の中でほどける。なおバター茶について簡単に説明すると、お茶の中にヤク(牛の一種)の乳から作ったバターや塩を加えて攪拌した飲み物で、我々の想像するお茶とはちょっと違い、飲んでみるとどちらかというとスープに近いかもしれない。

ツァムパをお椀に入れる

ツァムパの基本的な食べ方はこのようにシンプルである。しかし世の中の常として、シンプルなものこそが一番難しい。何度か挑戦したが、まずお茶が熱くてうまく捏ねられないし、それなりに捏ねられたと思っても、できあがったものはなぜか美味しくない。握りの加減が悪いのか捏ねが足りないのかわからないが、とにかく手際の良さから味にいたるまで、チベット人たちが作ったものには全く敵わない。

ツァムパを捏ねる

チベット人とツァムパの長い付き合い

さて、現在ではチベット人の象徴ともなったツァムパであるが、ではいつから彼らはこの粉モノを食べているのであろうか。結論からいうと、すでに吐蕃の時代には食べていたようである。吐蕃にはまだ貨幣経済が存在せず、税の基本はネーであった。古代からチベットにおいても主要な農作物だったのである。

タリム盆地(今の新疆ウイグル自治区)のホータン付近やミーラーンには、吐蕃の兵士たちの駐屯基地が置かれていた。そこから発掘された大量の木簡や紙文書から、彼らの日常生活を知ることができる。彼ら兵士は4人で1つのチームを作り、各地の見張り場所で生活をしていたようだ。彼らへの配給の主要分はもちろんネーである。興味深いことに、この4人のチームのうち2人の役割は料理担当である。と言っても、配給されたネーを2人がかりでどうやって料理していたのか。バター茶で捏ねる今風のツァムパの食べ方から考えると、本当に2人も料理人が必要だったのか、ちょっと不思議ではある。しかもこの当時、吐蕃にはまだお茶を飲む習慣は定着していない。茶葉が大量にチベットに流入し始めるのは宋代に入ってからなのである。

タリム盆地に残る吐蕃の砦跡

『旧唐書』という唐の記録によると、吐蕃時代のチベット人たちは「麺」を蒸して固めてお椀にし、中にスープやヨーグルトを入れて器ごと食べていたという。「麺」は当時の漢語ではコムギ粉のことであるが、チベット高原の主要な作物がハダカムギであったこと、また他の漢文史料の記述とを比べ合わせると、オオムギで作る「麨」(麦こがし)の誤りかもしれない。もしそうだとすると、ツァムパそのものである。古代のチベット人たちはバター茶ではなくスープやヨーグルトをツァムパと一緒に食べていたのだろう。

古代から現代にいたるまでチベット人はツァムパを捏ね続けてきた。明治時代、チベットに単独で潜入した日本人の河口慧海も、雪山で遭難しかけたときにツァムパを2杯食べて力をつけた。20世紀半ば以降、チベット人たちを取り巻く政治状況は逆境の連続そのものである。それでも、ツァムパは彼らにとってアイデンティティの象徴であり、かつ力の源泉であり続けてきた。今度チベット文化圏に行ったら、またツァムパ捏ねに挑戦したい。