ダイエットは今や国をあげての関心事である。若い女性ばかりではない。国民を飢餓から救い健康的な生活に導くことが使命であった栄養学にとって、この風潮はまったく想定外である。若い男女はなぜ痩身を目指すのか。栄養教育者の頭を痛める難問である。
しかし、巷の若い男女なら答えは誰でも知っている。
「だって、スリムなほうがかっこいいもん」
「男の子も細い女の子が好きみたい」
美の規範に栄養学が口をはさむことはできない。ミラノやパリコレのファッションショーで、モデルのBMI(体格指数)を規制しても焼け石に水だ。
有識者が嘆いても現実はどんどん先を行く。実践的な栄養学者はともかく現実を受け入れなければならない。譲れない価値観が若い男女にあるならば、ともかくそれを尊重するしかない。
しかし、せめて、健康を害さないように、科学的なダイエットによって最低限の健康をフォローしてあげることが現代栄養学である。ここでは、科学的に説明できることに重点を置いてダイエットを考え直してみることにしたい。
ダイエットはむずかしい。太ることは生物のDNAに書かれている願いでもあるからだ。野生動物にとって飢餓はなによりも恐ろしい。餓死をさけるために動物の本能は可能な限り脂肪を蓄えようとする。ダイエットは本能に逆らう行為であるから、本能があらゆる苦しみを用意している。
空腹の苦しさ。運動の苦しさ。汗を出す苦しさ。低カロリーのまずい食事の味気なさ。すべては、やせないように本能が警告しているからだ。したがって、楽をして簡単にやせられる方法はない。そのようなコマーシャルや体験談はたいていがうそである。
体重が1キロ減ったからハッピーというのはノー天気。体重なんて水やら脂肪やら汗やらあかやらウンチやら体にある雑多なものの総合的な変化の結果である。体重が減ったといっても、何が減ったかわからない。
イカを干したらスルメになるが、あれはダイエットではない。水分がなくなっただけ。サウナで汗を流して体重を減らしてもダイエットではないのだ。ビールを1杯飲んだらおしまい。ビールをおいしく飲むための儀式としては最高だけれど、体重を減らす目的としては過酷な計量を一時的にパスするためのプロボクサーぐらいにしかおすすめできない。
むくみがとれてあごや首筋がほっそりするとか、便通が改善されて一時的におなかが引っ込むとか、体脂肪とは無関係な、ほとんど水分とグリコーゲンの減少による見かけの改善は実在する。しかもその効果は割と大きいのでバカにはできない。有効期限は数十時間であっても一応の目的は達成できる。このような体脂肪の増減とは無関係な裏技について筆者も興味はあるが、ここではくわしくは述べない。学者の理論よりも実践者同士の情報交換のほうが確かである。
参考文献
Acheson KJ.et al. Metabolism 31:1234-1240,1982
エネルギー収支のバランスと体重の制御、Scutz Y.& Garrow J.S. 、「ヒューマン・ニュートリション」 第10版 医歯薬出版 147-158、2000
出典:女子栄養大学出版部「栄養と料理」