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幼児教育の祖、フレーベルが『母の歌と愛撫の歌』で伝えたかった食の大切さ

田岡 由美子

龍谷大学短期大学部こども教育学科教授

幼児教育の祖、フレーベルが『母の歌と愛撫の歌』で伝えたかった食の大切さ

田岡 由美子

龍谷大学短期大学部こども教育学科教授

幼児教育の大切さを広めたことで知られるドイツの教育学者、フリードリッヒ・フレーベル(1782~1852)。彼は幼児の中に宿る神性をどのようにして表現していけるかということに腐心し、子どもたちの教育に一生を捧げました。そんな彼が1844年に著した『母の歌と愛撫の歌』には、子どもたちに食の連環を伝える詩が2編あります。フレーベル研究を行う短期大学部こども教育学科教授の田岡由美子先生に、フレーベルが訴えたかったことについて考察を伺いました。
 

■書籍データ
母の歌と愛撫の歌
著:フリードリッヒ・フレーベル
編:ヨハネス・ブリューファー
訳:荘司雅子
発行:1976年
出版社:一般社団法人 キリスト教保育連盟
 
*記事トップの画像は書籍の表紙。

 

フレーベルとの出会い

私は、世界で初の幼稚園を創ったドイツの教育学者、フリードリッヒ・フレーベルについて、その教育思想や方法を研究しています。今回のページでも、フレーベルが残した『母の歌と愛撫の歌』をテーマに、フレーベルが子どもに訴えたかった食の大切さについてお話いたしますが、まずはフレーベルと私との出会いについて触れていこうと思います。

「フレーベル」という名前は、幼児教育を学ぶ学生のみなさんなら一度は目にしたことがあるでしょう。そして直感的に「恩物(おんぶつ)」という言葉を連想する人も多いのではないでしょうか。恩物とは、フレーベルが1830年代に考案製作した教育遊具のこと。ドイツ語では“Gabe(ガーベ)”と呼ばれる、積み木のようなものです。ちなみに「恩物」と訳したのは、海外の幼稚園に関する文献を多数翻訳したことで知られる関信三。浄土真宗大谷派の僧侶でもある彼は、フレーベルが“Gabe”(神からの贈り物)に込められた意味をくみ取り、「恩物」と訳したといわれています。

そんなフレーベルとの出会いは、私が大学院に進学した35歳の時のことです。結婚、出産を経て、改めて子どもについて勉強したいと思い、修士課程に進んだ私は、広島大学でフレーベル研究を行う藤井敏彦先生の出張講座に出席しました。そこで、フレーベルの功績について改めて知るとともに、あるエピソードを聞きました。

フレーベルが世界初の幼稚園を創ったのは、晩年のこと。彼は、ドイツのリーベンシュタイン村の丘で、毎日子どもたちと遊んでいたそうです。そんな彼の姿を見て、村の人々は「毎日子どもと遊んでばかりいて、彼は『馬鹿じいさん』だ」と呼んでいました。後に『教育の原点 回想のフレーベル』を著したマーレンホルツ・ビューロー夫人や教育学者のディースターヴェークはその伝え話を聞いたとき、「彼はやはり歴史に名前を残す人だ」としきりに感心したそうです。

そのエピソードを聞いた私は、馬鹿じいさんならぬ「馬鹿ばあさん」と呼ばれるくらい、子どもと遊び尽くす人生を歩めたらいいなと思うようになりました。同時に、フレーベルについて研究しようと決めたのです。藤井先生の集中講義はわずか4日間のものでしたが、私にとっては本当に特別なものとなりました。

フレーベルが定義した「遊び」とは

フレーベルがリーベンシュタインの丘の上で実践した「遊び」とは、現在の私たちの余暇とは大きく異なります。一番違う点は、遊びは「全身全霊で没頭する」こと。時が経つのも忘れるほど濃密な時間を過ごすことこそ、フレーベルにとっての「遊び」でした。

彼は敬虔なキリスト教徒であり、彼の世界観は「人間や動物、植物、鉱物……。全てのものは神がお造りになったもので、神の本質が宿っている」というものでした。神が持つ生成する力、すなわち「創造性」と呼べばいいでしょうか。泉から水が絶え間なくこんこんと湧き出るように現れる根源的な力を、フレーベルは「神」と定義していたのです。

たとえば、ひまわりは小さな種子から大輪の花を咲かせますよね。フレーベルは、このひまわりの種子の中に「神の本質」があると捉え、ひまわりは花を咲かせることで無意識に神の本質を表していると考えました。もちろん人間にも「神の本質」が宿っています。意識的存在である人間は、子どもの内にも与えられているこの「神の本質」を、目に見える形で外に表現できるように大人がアシストすることが教育の本質であると説きました。

今でこそ幼児教育の大切さは当たりまえのことと捉えられていますが、当時の子どもは「小さな大人」としか見られておらず、貴族やお金持ちの子どもも乳母に育てられ実母の愛に触れられない、いわば「子ども受難の時代」でした。
そんな時代を生きたフレーベルは、小学校教育を広めたペスタロッチが開いたスイスのイヴェルドン学園に計3度訪れています。ペスタロッチは人間の認識の唯一の基礎を「直観」と定め、その認識の基礎は、数・形・言語の3つであると定義しました。これを「直観のABC」と呼んでいますが、フレーベルは「直観のABC」以前に大切なものがあるのではないかと考察を深めるようになります。
思索を深めるフレーベルが、スイスの孤児院で出合ったのが、小さな子どもたちが無心になって積み木遊びをする光景でした。子どもたちの集中力の高さに驚かされると同時に、子どもたちには遊びに没頭することが大切ではないかと思うようになったのです。

この出合いがきっかけとなり、フレーベルが50歳を過ぎて、世界で初の幼稚園を創設しました。ちなみにフレーベルは、幼稚園を創設する以前は、林務官や模範学校の先生など転々と職を変えていました。私は学生たちに、このフレーベルの人生について語る時、「彼も50歳を過ぎてから自分の人生を歩み始めたのだから、短大を出てからも好きなことは見つけられる」と、回り道の大切さを伝えるようにしています。

「お菓子づくり本文及び図」(『フレーベル 母の歌と愛撫の歌』34~35頁)

『母の歌と愛撫の歌』で伝えたかった「食を通じたいのちの連環」

フレーベルが1844年に著した『母の歌と愛撫の歌』は、母親に向けた育児書です。全50編の遊び歌は、それぞれ、詩と絵、手遊び、そして音楽(楽譜)で構成されているのがユニークですね。作曲は、音楽の教師をしていたロベルト・コールが担当。挿絵は製図家のフリードリヒ・ウンガーが手がけました。ちなみにフレーベルはウンガーにとても細かな注文をたくさんしたようでして、ウンガーも「フレーベルの注文がとても難儀だった」と振り返っています。さて、この『母の歌と愛撫の歌』のなかから、食にまつわる2つの詩「お菓子づくり」と「草刈り」をご紹介しましょう。

 

「お菓子づくり」

さぁ やってみましょう
お菓子を焼きましょう
ぺたりぺたりとのばしましょう

パン屋さんがいっています
“さあよろしい すぐにお菓子をもっておいで
でないとオーブンが冷えますぞ”
“はい パン屋さん
わたしがつくった上等なお菓子
ぼうやがたべるおいしいお菓子
じょうずに焼いてくださいな
すぐにもお菓子が焼けるよう
オーブンの奥に入れますよ

 

この詩には、お菓子づくりに勤しむパン屋さんが登場します。挿絵には、職人たちが小麦粉をこねて伸ばしてお菓子づくりをしている様子が細かく描かれています。その中央で母親が子どもにこの詩を歌いながら手でお菓子をこねる遊びをしているのでしょうか。詩や挿絵を通じて、お菓子づくりの楽しさを伝えるとともに、あなたが食べるお菓子は色々な人の手を経て届いていることを伝えています。

「草刈り本文及び図」(『フレーベル 母の歌と愛撫の歌』24~25頁)

 
それでは、もう1つの詩「草刈り」も見ていきましょう。

 

「草刈り」

ペーター君 牧場へ行きなさい
おいしい草を早く刈り
おうちへどんどん運んでおくれ
ミルクやバターを出してくれる
めうしのために
レンヘンさん 牛の乳をしぼったら
すぐにこちらへ持ってきて
めうしがくれた牛乳で
子どもたちは育ちますーーー

ペーター君 牧場へ行きなさい
おいしい草を刈ってきて
ありがとう 草刈り君
ありがとう めうしさんのお乳
ありがとう 乳しぼりさん
パンをつくるパン屋さんも
おかゆをつくるお母さんも
みんなみんなありがとう
ありがとうをいいましょう

 

この詩は、子どもたちが雌牛のために草刈りをしたり牛の乳をしぼったりする労働の様子が描かれています。一番大きな挿絵の中央で草刈りをしているのがペーター君でしょうか。左右には、草の蔓を編む女の子の姿が描かれていますね。上部の挿絵には、牛の乳を搾る光景や、先ほどと同じように小さな子どもに歌を聞かせているお母さんの姿が描かれています。

この詩も、先ほどの「お菓子づくり」と同様に、「あなたの食べるものは色々な人のおかげで成り立っている」ことを伝えています。フレーベルは、こうした「食の連環」を、詩だけで伝えるのではなく、絵や手遊び、音楽という言語以外のコンテンツも重ねて総合的に表現しました。彼自身の主著『人間の教育』では、幼児(人間)の中に宿る神性をどのように外に現わすかを説いていますが、この『母の歌と愛撫の歌』には、彼の哲学が子育てをする母親にもわかりやすいように表現されています。

フレーベルが考えた教育の本質とは?

この『母の歌と愛撫の歌』には、先ほどご紹介した2編の歌を伴う手遊び以外にも、子どもが日常生活の中で出会う騎士や商人、大工さん、またさまざまな動物や自然物が紹介され、最後の頁は教会の光景が描かれています。敬虔なキリスト教徒だったフレーベルにとって、社会や自然の連環の先に神がいる教会があると考えたのでしょう。宗教的情操の芽生えを予感させながら、この本を締めくくっています。

フレーベルやペスタロッチが生きた時代は、産業革命によって家内制手工業から工場制機械工業へと変わり、女性や子どもたちも働き手として工場へ行くようになりました。フレーベルは、こうした激動の時代のなかで、『母の歌と愛撫の歌』において幼児教育の大切さと同時に物質的な豊かさ以外の価値観を提示したのではないでしょうか。

フレーベルは個性と社会性を重んじた幼児教育を掲げ、その哲学として「部分的全体」という言葉を残しています。「部分的全体」とは、それ自身は一個の全体だけれども、一段高い視点で見れば全体の一部分であるということです。それは家族、地域社会、国を超えていのちあるものすべての宇宙的規模の連環にまで拡大・深化します。
『母の歌と愛撫の歌』に登場する2編の遊び歌にも、食を通じたいのちの連環を幼い子どもにわかってもらえるように、テキストだけではなく、歌や手遊び、挿絵を通じて、フレーベルらしく乳幼児と母親に伝えようとしたのではないでしょうか。今から180年も前に、現代にも通じる価値観を示したフレーベルの先見の明に驚かされます。