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ニワトリの卵料理は国民食である。昔から価格が高騰しなかったことから物価の優等生と呼ばれてきた。輸入飼料の高騰で価格維持は苦しいようだが、それでも、世界的に見れば高くはない。

伝統的な卵料理は数多い。動物性のタンパク質が豊富でなかった日本では、良質のタンパク質を含む食品として卵は不動の地位にあった。栄養学では、人間の成長や生命維持に必要なタンパク質の量や質の議論は卵のタンパク質が基本になっている。全卵タンパク質は、食品タンパク質の中でも良質である。なにしろ、ニワトリが卵の殻の中で雛に成長するまでの間の唯一の栄養となるのだから、完全食品である。国際機構であるFAO/WH0の評価では、卵のタンパク質の栄養価を百点とすると、精白米のタンパク質は六十七点、小麦は五十三点程度である。毅類はアミノ酸のバランスがやや劣るが、卵や豆類、肉類などと一緒に食べれば問題はない。

栄養価が高いから卵はおいしい

完全な、栄養素が含まれる食品だから、人問や動物にとっておいしいと感じられるのは当然である。ニワトリに限らず、魚卵などがすべておいしい理由も伺様である。魚の卵は餌として他の魚の標的になる。鳥の卵も大形の鳥や蛇などに狙われる。動物にとって卵ほど旨いものはないのである。ご飯に生卵を落として醤抽をかけただけでおいしい。飽きることもない。栄養価が高いことは人間でも感じられる。
京都岡崎南禅寺の瓢亭卵は、半熟の絶妙な茄で加減が元禄時代から一子相伝の技として伝えられている。吟味された卵を茹でる。今ももちろんおいしいが、栄養が十分ではなかった昔の人にとって、この卵のおいしさは現代人の想像を絶するものがあったに違いない。 

赤色がどんどん増す現代の卵黄

食品の色と心理に詳しい神戸松蔭女子短大の坂井信行博士によると、卵の黄身色は近年になってどんどん濃く赤くなってきているそうだ(食品と味、光琳)。昔の卵はもっと薄い黄色であった。卵の黄身の色は餌によってある程度調節できる。現代人にとっておいしい卵の色とは、本来の黄色よりずっと赤みがかった色に変化してきているのである。白っぽい卵はおいしくない。赤い方が本来のおいしい卵の色だと現代人は錯覚している。だから、ニワトリの餌は卵黄が赤くなるように工夫されている。食品にはおいしく見える色がある。そんな勝手なイメージは時には暴走するようだ。現代の卵の濃くなった黄色は、色と味との関係の適切性が過度に強調された例である。

イタリア料理店で昔なつかしい卵を味わう

かつて田舎では、お盆や正月など、親戚などが集まる機会があると、裏庭などで飼っている二ワトリを鍋料理などに供したものだった。まだ産み落とされる前の黄色い卵黄の繋がったものはご馳走だった。子供たちが争って食べたものだ。
最近京都に開店したイタリア料理店で、この卵黄を使ったカルボナーラを食べた。ホオズキほどの大きさの軽く温めた卵黄が散らされており、昔の親戚の集まりを思い出させる卵の景色がそこにあった。口のなかではイクラを十粒ほど一度に噛んだごとく、「プシュー」と炸裂した。黄色と言うより赤に近い濃厚な味が拡がり、贅沢な逸品と呼ぶべきパスタであった。

魚介の卵もおいしい

たまごで忘れられないのは海藤花と呼ばれる蛸の卵である。夏みかんのつぶつぶのような薄黄色い花びら状の卵が集まった房。ダシをかけて生食した。頼りなくプチプチした食感が怪しくおいしい。
偶然立ち寄った山辺の料理屋に、子持ち鮎があったときはうれしかった。店の下を流れる渓流で漁れたものだ。漁業規制が厳しくて、漁のできるタイミングに出会うのは難しい。こちらもたまにしか顔を出さないから、何年かに一度の子持ち鮎との邂逅はうれしい。夏の鮎も旨いが、やはり鮎料理の贅沢はここに極まる。
酒が飲める卵と言えば、間違いなく「このこ」である。このこは天然のなまこの卵巣である。これを丁寧に並べて三味線のバチ状に干した「くちこ」の肴ときた日には、もう酒がいくらあっても足りない。十キログラム以上のなまこからやっと一枚の干した「くちこ」ができあがる。
珍味中の珍味である。色は極上ミモレット。味は深く濃い。緻密な味わいで、からすみよりもスキがない。
自然界の卵を食べる行為は野蛮で動物的な面もある。資源の維持に与える負荷も大きい。しかし、卵はおいしい。その魅力には勝てそうにない。せめて、生命を食していることだけは心にとめておきたい。

出典「逓信協会雑誌」(平成21年1月号通巻1172号)