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弁当のふたを開けたら真っ白いご飯がまぶしかった頃

伏木 亨

龍谷大学名誉教授、農学博士

弁当のふたを開けたら真っ白いご飯がまぶしかった頃

伏木 亨

龍谷大学名誉教授、農学博士

少し前まで、弁当のふたを開けるとぱあっと白いご飯がまぶしかった。まずはアルマイトのふたについた御飯粒を丁寧に箸でつまんで食べることから昼めしは始まった。御飯の白さに梅干しの紅や海苔の漆黒、たくあんの黄金色が映える。気がつくと、そのような弁当は今ではほとんど見かけない。懐かしい光景になってしまった。

幼稚園児のお弁当は小さな芸術

幼稚園児のお弁当は楽しい芸術作品だ。ウインナソーセージやリンゴなどは動物のフィギュアのごとく精巧に加工されている。母親の愛情が色濃くあふれているが、ここにも真っ白いご飯がない。カンバスを塗りつぶすようにふりかけや海苔や錦糸卵に飾られている。御飯とおかずを交互に食べるという日本型の食べ方ができない。

駅弁も同様である。ともかく表面積が広くてにぎやかだ。海老の揚げ物、焼き物、小さな伊達巻きに煮物、海の幸山の幸が押し合っている。豪華であるが、ご飯のスペースが妙に小さくて浅い。もっと御飯を食べたいという口惜しさが残る。

かつては弁当を完食するには技術が必要であった

真っ白いご飯面積が80%の弁当を塩辛いおかずで食べ切る。弁当の醍醐味である。これには、多少の技術が必要であった。大量のご飯に対して、塩辛いおかずの配分が重要である。おかずの味の余韻で口いっぱいにご飯をほおばる。昆布や雑魚の佃煮も醤油がご飯に染みておいしい。

ご飯が沢山残ってしまっては失敗。おかずが残るのも調節ミスである。最後の一口はご飯でちょうど終わるのが作法だ。うまく食べきるためには高度な計画性と作業能力が欠かせない。弁当箱全体を見渡せる目配りとリアルタイムの制御能力も必要である。子供には難しい芸当だ。弁当をうまく食べられるのは一人前の大人の証でもあった。

それは当時の食卓の反映でもあった

伝統的な弁当は当時の質素な食卓を反映していた。ご飯をたくさん食べるための食である。昭和の40年ぐらいまでは日本の誰もがそのような食事をしていた。

最近の駅弁や幼稚園児の弁当は現代の日本人の食事を反映している。真っ白いご飯が足りないのに対して、贅を尽くしたカロリーの高いおかずが幅を利かせる。お祭りである。白い御飯を食べることが目的ではなくておかずだけを味わうのだから、全体に料理の塩加減が抑えられている。よけいに白いご飯とは合わない。

日本人の御飯の食べ方が変わってしまった。もはや塩辛いおかずの余韻で食べるものではない。ごはんの行き場が無くなってしまった。

一年に米一石が古くからの基準であったが

真っ白い弁当があたりまえだった頃は、日本人のお米の消費量は年間約120キログラム、つまり米俵2俵、昔の表現では1石(いっこく)である。江戸時代の加賀百万石の百万石とは数字の上では百万人が1年間食べる米に相当する規模である。

現代ではちょうどその半分、年間60キログラム程度しか日本人は米を食べなくなった。米が余って保管にも困り減反政策が強化された。穀類の中で唯一自給できる米を食べないのだから食糧自給率が激減した。

昔にもどれとは言わないが

かつての梅干し弁当にもどれとは言わない。現代のお弁当の方が断然おいしい。しかし何事も過ぎると大変なことになる。巷を恐怖に陥れているメタボリックシンドロームもご飯離れが遠因であると私は考えている。ご飯は水分や繊維が多く脂肪分やカロリーが少ない。アミノ酸バランスの良いたんぱく質も含まれている。昔の人々は沢山ご飯を食べることでタンパク質を確保していた。余ったエネルギーは体を動かすことに使われていた。合理的な食事である

今では体を動かさない分だけご飯が必要でない。開いた空間をおかずが埋める。食欲がないから飛び切りうまいものでなければ食べにくい。いきおい、油脂に富んだ旨いものが要求される。ご飯が太る原因という本末転倒と言うべき噂もご飯の減少に拍車をかけた。現在のおいしい弁当に至る歴史である。

メタボリックシンドロームを予防するのは簡単。昔の真っ白なご飯の弁当を美味しく食べればいい。地味な食事で十分満足するためにはお腹をすかさなければならない。できるだけ体を動かす生活をせねばならない。

昔の質素な弁当をおいしく食べることは難しい。われわれの生活がいびつになってきているからである。真っ白いご飯のまぶしい記憶はそれを物語っている。記憶が残っているうちにもう一度懐かしい弁当を楽しみたい。

出典「逓信協会雑誌」(平成19年3月号通巻1150号)