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辛口の酒ってどんな味?
  • TRIVIA
  • 2018.09.12

辛口の酒ってどんな味?

甘口は甘味、では辛口は?

最近は辛口の酒がブームらしい。でも酒の甘口と辛口ってどんな味なのか。意外にも明確な定義がない。おいしい辛口の酒とは何か。酒にうるさい人たちの意見を総合するとだいたい次のようになる。
「口に含んだときにさっと淡い甘さが口の中に拡がりすぐに消える。味わいは存在感のある淡麗で、喉を通る頃には酒の存在さえ消えてしまう。」
特に、最後にすっと消えてくれるのが辛口の醍醐味らしい。「旨い酒は水のごとし」という有名な言葉は、水のように消えてしまうことを指していると私は理解している。

「甘い」が糖分やアミノ酸の甘味であることは明らかだ。アミノ酸は種類によって甘いものとうま味を呈するものがある。糖やアミノ酸が豊富だと甘い酒である。ここまでは科学的にも確かだ。
では、辛口(からくち)って何?
塩からいわけではない。唐辛子の辛さでもない。酒の辛口という言葉に対応する味が見つからない。どうして「辛い」と呼ぶのだろうか。これまでの味覚生理学では説明がつかない。

甘いの逆だからという説がある。「甘くはない」酒が「辛い」となったというのである。酒を好む人たちに言わせると、実際に辛口と呼ばれる酒には次のようなものがある。
(1)十分に発酵が進み、酵母が酒の発酵原料成分を喰いきった味。原料が残っていないドライな味。
(2)雑味を除くために活性炭濾過などで余計な味を取り去った味。すっきりした味わいだが、薄からいと酷評する人もいる。
(3)アルコール濃度が高い場合も辛く感じる。
辛口には人間のエネルギーになる糖質やアミノ酸などの栄養素成分が希薄なのである。栄養素がないという味が辛口なのだ。

断然、甘口を好むネズミたち

私たちの研究室では、実際にネズミに辛口や甘口の酒を与えてみた。驚いたことにネズミは甘口の酒が好きである。甘口と辛口の2本をそれぞれ給水瓶に入れてネズミのケージにセットすると、翌朝には甘口の酒の消費が著しい。特に雑味のないスムースな甘口ならばネズミは大好きである。専門家による酒の甘口の判定とネズミの好みとがよく一致するのは驚きだ。ネズミも酒の味が区別できるのである。ネズミは辛口は好きではないようだ。彼らは栄養素に敏感だから、辛口が栄養にならないことがわかるのであろう。

辛口の酒を与えるとネズミは自分の身体を分解してエネルギーを調達する

辛い酒を強制的にネズミに与えると、ネズミの体脂肪が消費される。血液中のケトン体が上昇するのである。血中ケトン体の上昇は体脂肪が使われたという証拠である。甘口の酒ではそのようなことはない。

辛口の酒を飲まされたネズミは身を削ってエネルギーを確保していると言える。つまり、糖分やアミノ酸のエネルギーが希薄なので、自分の体脂肪を使ってエネルギーを調達しなければならない。空腹時の人間と同じだ。特に、アルコールを飲むと糖の供給や利用が一時的に抑制される。甘い酒には糖やアミノ酸があるが、辛い酒には何もない。仕方なく自分の身体を削るしかない。辛い酒というのは、身を削る辛い(つらい)酒なのだ。辛口とは口だけでなく身体から発生する味なのである。

辛口の語感に現れる「栄養不足で身を削るつらい味わい」

辛口にマッチする語感には、厳しい、極辛、淡麗、冷静、孤独、静寂、鬼ころし、男、など、身を削るにふさわしい厳しい語が並ぶ。響きに緊張感がある。安らかではない。人間も動物の一種である。エネルギーを消費するのは辛いのだ。

反対に、甘口と言われる味には、豊潤、濃厚、コク、幸い、暖か、温やか、和、旨いなど、安らかで幸福な状態を表す語が連想される。エネルギーが豊富で身体に活力が蓄えられるからである。辛いと甘いの語感の違いは一目瞭然である。日本人の語感は酒の甘辛の本質を理解していると言える。

酒の辛口を決める成分とは何か。アルコールそのものは辛い。糖分や糖に変わりやすいアミノ酸が少ないと辛口になる。発酵が十分進み、余分な糖類を残さないと辛口になる。蒸留して味成分を除いた焼酎やウォッカなども辛口に分類できる。

清酒の辛口は辛いだけでなくてしっかりした味わいがあると酒好きは言う。醸造の専門家によると、原料から醸し出される無数の微量の物質が清酒の風味を作り、味わいを増す。風味とは口から鼻に抜ける匂いである。

豊かな時代にこそ辛口が許される

少し前の時代は辛い酒よりもむしろ甘い酒が好まれていたと年配の人は語る。戦後まもなくは甘いお菓子なら何でも売れたという。高度経済成長以前は貧しい時代であった。エネルギーもタンパク質の摂取量も十分とは言えなかった。 エネルギーが足りない時代には、みんな甘さに飢えていた。そんな時代に甘い酒が喜ばれるのもよくわかる。

今は飽食の時代だ。食べ過ぎてエネルギーは余っている。身を削る辛い酒もちっともつらくない。はやりの焼酎は超辛口。蒸留過程で糖やアミノ酸は除かれる。辛口嗜好は豊かな時代の象徴なのかも知れない。

出典「逓信協会雑誌」(平成18年5月号通巻1140号)

伏木 亨

伏木 亨

ふしき とおる

龍谷大学農学部教授、農学博士、龍谷大学農学研究科長

専門は農芸化学・栄養化学。「味覚と嗜好のサイエンス [京大人気講義シリーズ] 」ほか著書多数。日本香辛料研究会会長、日本料理アカデミー理事。平成24年日本農芸化学会賞受賞。平成25年飯島食品科学賞受賞。平成26年紫綬褒章受賞。