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大学院のすすめ~研究者の育て方~

植野 洋志

元龍谷大学農学部教授

大学院のすすめ~研究者の育て方~

植野 洋志

元龍谷大学農学部教授

自分は研究者なのか教育者なのか-。大学人として常々考えています。たぶん、その両方だと思います。趣味のような研究で生涯を過ごす大学人もいるでしょうが、それでは若い学生に教官自身の趣味を押し付けることになってしまいます。学生は何らかの目標や目的を持って大学に進学してくる訳だから、それが残りの人生への道しるべとなるように、教官が手助けすることが大事です。

才能にあふれた学生をそれなりの方向に導くことができればよいのですが、なかなかそのようにはならず、学生は最初の思い込みで進路を決める傾向があります。大学院への進学などはその典型です。

酵素の勘違いによる働き

大学院の成果が大学の実力のバロメーターですので、教官としては適切な進路指導に努めているつもりですが、学生からすれば思いもしない方向へと導かれているのかもしれません。学生を丸め込んで大学院へと向かわせる手順は、巷で言うところの「振り込め詐欺」と同じような手口かも。でも、そうでもしないと学生は大学院などへは進学しないのです。その点で大学教官は、大っぴらに社会を歩ける「詐欺師」と言えるのではないでしょうか。

ヒトを対象として詐欺師のように「勘違いさせる」ことは研究にも多々存在します。酵素の研究では、酵素を勘違いさせることで得られる効果があります。ある種の酵素に対する阻害剤などがそれにあたります。「自殺基質」と命名されているものは、あたかも酵素の「本当の」基質のように振る舞います。すると、酵素はその触媒作用を起動させることで通常は正常な酵素反応が起き、生成物ができるはずです。でも、自殺基質の場合はその途中でおかしいと気付くことになります。その時点で既に手遅れで、酵素は失活への道を進むことになります。自殺基質は酵素に対する特異性が非常に高く、ある特定の酵素にしか作用しないので、「副作用の少ない薬」というものにつながります。酵素の勘違いも一種の詐欺でしょうか。

味覚を勘違いさせる作用のタンパク質を持つミラクルフルーツ

味覚の分野でも勘違いはあります。レモンは酸っぱいもの、というのは常識とされますが、果たしてそうでしょうか。近年では甘いレモンの木が出回っていますが、ここでいうレモンは従来のものです。

でも、西アフリカ原産の常緑樹「ミラクルフルーツ」になるコーヒー豆ほどの大きさの赤い果実を口に含んで舌の上で転がした後、酸っぱいはずのレモンを食べるととても甘く感じられます。酸味と甘みが入れ替わるのです。我々はその分子レベルでの作用機構に興味を持っています。ミラクルフルーツの果実の中にはミラクリンというタンパク質が存在し、それが味を勘違いさせている訳です。

思い込みを捨てて、一歩を踏み出す

もう一つ、塩味をだますということで味を勘違いさせる取り組みを行っています。あたかも塩があるように勘違いさせるのです。近年、生活習慣病予防として減塩が叫ばれていますが、塩を減らすとうま味が損なわれてしまいます。少量の塩の存在がうま味を引き出すのを「対比効果」といい、減塩食がまずくなるのは避けがたい事実です。

近年、舌の上の味蕾(みらい)という細胞に発現している味物質を受け取る受容体が明らかになり、面白いことが分かってきました。「うま味・甘味・苦み」の受容体を持つ味蕾と「塩味・酸味」の受容体を持つ味蕾は細胞レベルでは区別されます。塩味とうま味は異なる細胞で処理されているのです。ところが、「対比効果」では塩味とうま味はつながっているので、どうも細胞同士では何らかのコミュニケーションをとっているようです。そのコミュニケーションと塩を受け取る仕組みを分離すると、減塩してもうま味は引き出せることになります。まさに、香辛料などがその役割を持つことが分かってきました。香辛料などが味覚を勘違いさせる例です。

このように思い込みや既存のシステムを勘違いさせることで新しいことが生み出せます。多くの若い方にはこのような分野に大いに飛び込んできてほしい。詐欺師は待っています。

出典:2018年12月12日(水) 京都新聞