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立ち呑み屋店主 『食』を読む。 〜十四食目〜

西谷 将嗣

レボリューションブックス 店主

立ち呑み屋店主 『食』を読む。 〜十四食目〜

西谷 将嗣

レボリューションブックス 店主

十四食目

『人生で大切なことはラーメン二郎に学んだ』村上純著(光文社新書)

「ラーメン」という食べ物がある。

我が国でもっとも人気のある食べ物だと言って過言はない。
もちろん熱狂的なファンから食事の選択肢のひとつに過ぎない人まで様々だが、ラーメンが多くの人々の支持を得ている事は間違いないだろう。

&llt;p>今年は一度も鰻を食べませんでしたという人がいても、一度もラーメンを食べませんでしたという人は少ないのではなかろうか。
なぜラーメンがそこまで人々の心を惹きつけるのかという問題は大変興味深いが、それに触れると今回紹介する本について書くスペースがなくなりそうなのでここでは控えたい。

近年、ラーメンの世界も複雑になり、醤油や塩や味噌という味だけでなく、どの店をルーツに持つかにより○○系などと呼ばれ、細分化されカテゴライズされている。

ここで突然難しい話になるが、ニーチェが哲学者について「すべての事についてのすべてを知る事も、ひとつの事についてのすべてを知る事も叶わない」という旨のことを言ったように、ラーメンについてもその全容を知ることはもはや叶わないことなのかも知れない。

さて、このラーメンの分類のひとつに「二郎系」と呼ばれるものがあるのをご存知だろうか。
慶應義塾大学前にある「ラーメン二郎 三田本店」を中心に、ここ20年ほどの間に急速にその勢力を広げ、今や全国規模で拡がりつつあるラーメンの形式である。

その暴力的な量や“呪文”と呼ばれる独自の注文方法、各店舗ごとに存在するルールに加え、本家の二郎グループは全店舗メディアへの露出が禁止され取材も全て不可という、未経験の人間にとっては謎に包まれた存在となっている。

今回紹介する『人生で大切なことはラーメン二郎に学んだ』は、その謎のベールに包まれたラーメン二郎を始めとする二郎系ラーメンの世界の詳細な解説を試みたという点において、ある意味で禁忌に触れる一冊と言えるかもしれない。

著者の村上純の本業は芸人であり、相方の池田一真と「しずる」というコンビ名で吉本興業に所属し活動するかたわら、ラーメン二郎の各店舗や「インスパイア系」とよばれる二郎からの独立者や二郎への憧れから独自に修行した人間が始めた店を食べ歩き、本書を書き上げた。

村上自身、本書の中で触れているように入籍前夜の記念の食事にラーメン二郎を選ぶほどの二郎ファンであり、本を書くための取材ではなく、二郎好きが高じて本の出版に至ったというわけだ。

村上はこの本のなかでラーメン二郎の世界を様々な角度から分析考察しているが、たったひとつのラーメンについて本一冊に十分な量を書き上げることが出来たのは、ラーメン二郎及び二郎系と呼ばれるラーメンの世界が持つ情報量の多さに依るところも大きいだろう。

本書で解説されているラーメン二郎及び二郎系ラーメン(独立店や二郎本体での修行経験のない店主の店)の系図の解説は読むだけで楽しい。
特に二郎系ラーメンは創業者である山田拓美氏の大らかな性格もあり、近年まで商標登録などの法的な整備をしてこなかったため、ラーメン二郎本体以外にも二郎系を謳う店が乱立し、それらの関係性は二郎ファンの間では都市伝説のように語り継がれている。

東京の新橋や虎ノ門に「ラーメン 新橋店」、「ラーメン 虎ノ門店」という店名のラーメン店がある。
これは過去に諸事情から二郎本体での修行経験のない店主たちが経営していたラーメン二郎が、その後の二郎本体の法的整備の結果、「ラーメン二郎」と名乗れなくなくなり、二郎の名を消し、「ラーメン 新橋店」や「ラーメン 虎ノ門店」としてそのまま今も営業を続けているという嘘のような本当の話なのである(事実、看板には消し切れなかった二郎の二文字がうっすらと見える)。

この他にも「ラーメン二郎 吉祥寺店」は独立後に客のイタズラから看板を三郎、生郎へと棒線を足されていき、そのまま生郎として閉店まで営業し続けたなど、破天荒なエピソードが数多く紹介されている。

また二郎系と呼ばれるラーメンは、通常の何倍もある太い麺が300g前後(通常のラーメンは120g程度)も入っている事や、野菜、脂、ニンニクなどが無料でトッピング出来ることが特徴とされている一方、店側にトッピングを伝える際の“呪文”と呼ばれる独特の注文方法や店舗ごとの独自のルール(並び方や食券の買い方など)が未経験者の敷居を高くしている事実がある。

本書はそれら独自のルールを初心者にも分かりやすいよう解説しているが、その内容もなかなか興味深い。
例えば、店側がトッピングを確認するときに客に発する「ニンニクいれますか」という問いかけに対し、客はニンニクの有無だけでなく自分の希望するトッピングを答えることになる。
ニンニクを入れずに野菜の量だけを増やしたい場合は、「ニンニクいれますか」の問いかけに「野菜」や「野菜マシ」などと答えることになる。

店員「ニンニクいれますか」 客「野菜」

これでは初めての人間にとっては何が何やら意味が判らないのも当たり前である(店によってはこのやりとりすらなく手をかざされたり、店員の目線がトッピングを伝える合図の場合すらあるし、私は東京の某店で客が「ニンニク富士山」と答えているのを聞いたことがある)。

しかしラーメン二郎は当初からこのようなコンセプトを持っていた訳ではなく、1968年の創業以来52年、客との関係性の中から次第に独自のルールが生み出されてきたらしい。
そうすると一見判りにくく不親切に思えるこれらのルールも、実際は昔から通う客にとっての心地良さを追求した結果と言えるのではないだろうか。

本書はこの他に著者である村上が二郎全店舗(執筆当時)に足を運び、自身の思い出を交えながら店舗ごとの特徴を詳しく解説しているが、店舗ごとに味やトッピングが異なっていたり個性的な特徴を持っている事から、同店が画一的なラーメンチェーンとは一線を画す存在であり、この多様性が多くのファンを惹きつける一因になっているのは間違いないだろう。

冒頭に書いた通り、二郎グループは全店舗メディアへの露出や取材対応が禁じられている。それではこの本の出版はどうだったのか。

もちろん、この本も例外ではなかった。

村上は本書を出版したことで二郎側から厳しく叱責される事になる。
ただ、ここには些かの行き違いがあり、村上側と二郎側でこの本の出版について事前の認識に違いがあったようだ(現在は村上と二郎側双方和解し、良好な関係となっている)。

多くの飲食店が雑誌やメディアの取材を快く受けるなかでラーメン二郎が頑なに取材拒否を貫くのは、既存の客を大切にしたいという二郎側の姿勢の現れなのかもしれない。

つまるところ、「ラーメン二郎」は難しい店でも何でもなく、目の前にいる客を楽しませ満足させる事だけを追究してきた店なのだろう。

写真/伊藤 信  企画・編集/吉田 志帆