十七食目
『ダンジョン飯』久井諒子著(KADOKAWA)
ファンタジーとは主に空想や幻想をテーマに書かれた小説を指すが、その内容全てが空想や幻想というわけではない。書き手と読み手が暮らす「現実」の世界を基盤にし、空想や幻想を加えていくことで作品が創られる(たとえば、登場人物、言語、風習、習慣、社会常識など作品を構成する全ての要素が空想や幻想で書かれていたら、はたして読める作品になるだろうか)。
しかし時々これと反対の手法、つまりファンタジーに現実を加えるというやり方で書かれた作品に出会うことがある。
長い歴史のなかでファンタジーが十分書き尽くされたとき、空想や幻想も「共通の認識」になり得る。
魔法使いはとんがり帽をかぶり箒に跨って空を飛び、ドラキュラは十字架を嫌い、狼男は満月の夜に変貌する。
これら全ては空想でありながらも、多くの場合すでに我々の共通の認識となっている。この様にファンタジーそのものが成熟していると、それを基盤に現実を加える、または更なる空想を加える、といった作品創りが可能になる。
小説「ハリーポッター」のシリーズはこの代表的な例ではないだろうか。
この作品は魔法使いの世界を現代に置くことで、古いテーマに全く新しい魅力を与えているが、もし読み手が魔法使いについて何の知識も持っていなければどうであろう。
今回紹介する漫画『ダンジョン飯』もそのような手法で描かれたファンタジー作品である。
作者の九井諒子は幾つかの短編を発表後、2014年より初の長期連載となるこの作品の執筆を開始。翌年2015から2016年にかけ数々の漫画賞を受賞している。
ロールプレイングゲームのような世界を舞台にエルフやドワーフが登場する剣と魔法の物語ながら、ほかの作品と異なるのは、これが単なる冒険譚ではなく「食」をテーマとした「食漫画」でもあることだ。
しかし、その対象が普通ではない。
ある事情から所持金がほとんどない状態でダンジョン(地下迷宮)に向かうことになった主人公達は食費を節約するためにダンジョン内の魔物を倒し、それを食料とすることになる。
倒した魔物を食べるだけなら、ほかの作品でも例がないわけではないが、作者が秀逸なのはここにリアルを持ち込んだことである。
作中で久井は魔物たちを実在する食材の様に、その体の構造から、捌きかた、下処理、材料の分量や栄養バランスに至るまで、微に入り際を穿ち描写している。
主人公たちが最初に口にする料理「大サソリと歩き茸の水炊き」を例に挙げると、
材料(3〜4人分)『大サソリー1匹 歩き茸―1匹 茸足―2本 藻(花苔・イシクラゲ)―適量 サカサイモー中5本程度 干しスライムーお好みで 水―適量』
大サソリは「ハサミ 頭 尾は必ず落とす 尾は腹をくだす」「身にも切れ込みを入れておく 熱も通りやすく出汁も出て鍋全体がうまくなる」と描かれ、エネルギー・脂質・たんぱく質・ビタミン・ミネラルなど栄養バランスのチャートが添えられている。
実際に存在するのは「苔(花苔・イシクラゲ)」と「水」だけで、あとの材料は実在しない。
レシピのほぼ全てが作者の空想でありながら、我々が現実にそうするのと同じように描くことで生まれるリアリティが読む者の想像力を刺激する。
このように作者は成熟したファンタジーを共通の認識とし、それを現実へと引っ張ることで新しいファンタジーを生み出している。
もう一つ、この作品を現実へと引っ張っているのは「ゲテモノ食い」の概念だろう。
ゲテモノ食いとは通常一般的には食べられない食材を食べる行為のことだが、ゲテモノと言われる食材の多くは、それぞれの土地で古くから食べ親しまれてきた物であり、文化や生活習慣の違いからそう言われていることが多い。
テレビなどでこういった食材を「恐る恐る口に運んでみたら美味しかった」という描写はよく目にするはずだ。
作中では魔物を食べることは「ゲテモノ食い」扱いされており、喜んで食べようとする者や何年にも渡り魔物料理を研究している者が登場する一方で、食べることに強い抵抗を示す者も登場する。
そして、食べてみるとやはり美味しいということになる。このような我々が日常で目にする展開をファンタジーに加えることで、空想や幻想の世界へ向かっていた物語が方向を変え現実へ引き戻される。
「現実」と「空想」が幾重にも折り重なり、その境界が曖昧になっていく所にこの作品の面白さがある。
空想の話だと判りながらも荒唐無稽には感じず、何処かでこの料理が実際に食べられるのではないかという思いさえしてしまうし、事実、実際の食材で作中の料理の再現を試みたというブログも少なからずあるようだ。
ドラゴンクエストなどのロールプレイングゲームに夢中になった世代なら抵抗なく作品に入り込めるはずだが、ロールプレイングゲームもエルフもドワーフもよく判らないという人には魅力が判りづらいかもしれない。
しかし、作品を理解するための共通認識というのは、ファンタジーに限らずどの作品にもある。それをどこまで掘り下げるかは読み手の自由であり、そういうことを全く気にせず読むのも読書の楽しみのひとつだろう。
一方で作品の背景や理解に必要な共通の認識を掘り下げることで、同じ作品が全く別の物になることもあるし、それが自分の知らなかった新しい世界の扉を開いてくれることもある。
何より面白い作品を読まない手はないと思うので、気軽に手にとってみては如何だろうか。
もしかすると、見たことも聞いたこともない魔物料理にお腹を空かせている自分がそこに居るかもしれない。
写真/伊藤 信 企画・編集/吉田 志帆