半世紀前になりますが、フォークグループのかぐや姫が「赤ちょうちん」という歌を出しました。喜多條忠さんが作詞し、南こうせつさんが作曲した「神田川」に続く四畳半シリーズの第二弾にあたります。
「神田川」と同じく、この曲にも同棲する若き男女が登場します。二人は貧乏ながらも屋台の赤ちょうちんに誘われておでんを買い込んだり、月に一度は贅沢をして一緒にお酒を飲んだりして、仲睦まじく過ごしていました。
しかし、悲しいかな、二人に別れの時がやってきます。その悲しみは、公衆電話のボックスで膝を抱えて泣くほどに辛いことでした。南こうせつさんは「人が生きていくということは、ただそれだけで哀しいことだと知ったのだった」と、哀愁に満ちた声で歌いあげるのです。
愛する人との離別や死別にともない哀惜の思いを抱くことは、古今東西を問わない人の本質といえるでしょう。およそ2500年前に釈尊によって説かれた仏教でも「愛するものとの別れの苦しみ(愛別離苦)」が説かれています。仏教の長い歴史の中では、四苦(生・老・病・死)に愛別離苦を加えた「五苦」という言葉まで生まれています。それほど別れにまつわる悲しみと向き合ってきたといえるでしょう。
龍谷大学の建学の精神である浄土真宗の歴史を紐解くと、鎌倉時代後期の本願寺第三代宗主覚如上人(1270-1351)は、『口伝鈔』という書物の中で、死別の悲しみの最中にある人には仏法という薬を勧めるべきだと説いています。
覚如上人は、この話を閉じるにあたって開祖である親鸞聖人(1173―1263)の言葉から、死別の悲しみを抱えた方への接し方を紹介します。それは驚くことに、親鸞聖人のお酒にまつわるエピソードなのです。親鸞聖人は死別の悲しみが深まるような関わり方を誡めて、次のように仰ったそうです。
お酒に「忘憂」という別の名があるというのは、無類の酒好きであった中国の詩人・陶淵明(365―427)の言葉を元にしたようです* 。その「忘憂」の意を汲んで、死別の悲しみの中にある人のところへ足を運び、慰め、笑いが出るまで付き合ってお酒を酌み交わした親鸞聖人の姿を想像すると、心が温もります。
*梯実圓『聖典セミナー 口伝鈔』本願寺出版社、2010年出版。
ここまで読んで「仏教はお酒を禁じていたのでは?」と思われる方もいるのではないでしょうか。確かに「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」という戒めがあります。ただし「不飲酒戒」は、いきすぎた飲酒によって悪行をなすことを危惧したものであり、お酒を飲むことを禁じたものではありませんでした。
親鸞聖人とお酒の逸話があるように、仏教の中にも、時代と場所に応じ、相手の心に添いながら、ゆるやかにお酒を許容してきた側面があるのです。その親鸞聖人の流れを汲む龍谷大学農学部で「菜の花エール」* が造られたことは、仏教的にも意義深いと言えるでしょう。
*発泡酒。地域産業の活性化を図り、龍谷大学、近江麦酒株式会社、大津市上田上地区が連携して、地域の特産品である「菜の花漬け」を使用して開発。
この世界に生まれて生きていくかぎり、離別や死別が折り重なっていくことは避けることができません。冒頭の哀歌のように、生きていることは、ただそれだけで哀しいことでもあります。悲しみの深さや対処法は、人それぞれに違っていますが、世間が華やかである時期ほど、悲しみにくれる人へと心を寄せたいと思います。
お酒が飲めない人に無理に勧めるのはいけません。けれど、お酒が好きなら一緒に「赤ちょうちん」を探して歩くのもいいでしょう。悲しみで凍てついた心を温めてくれる「忘憂」の名にふさわしいお酒を求めて…。