定食というのは不思議な魅力をもつシステムだ。店の都合を考えながらもお客を喜ばせる微妙なスタンスが面白い。各種の定食の名前や写真が壁いっぱいに並べられている食堂は楽しい。しかも、手書きの品書きほうが一期一会の雰囲気があって好ましい。
特に食べる方も作る方も時間に追われる昼食時には定食が幅を利かせている。定食の利点はたくさんある。まず、一人前が適当な量になるように加減されている。多すぎず、少なすぎず。単品が運ばれてくるよりも食事らしさがあって心が和む。しかも、定食だと相席がさほど苦にならない。どうせ同じものをたべているという連帯感であろうか。あるいは、学食や社員食堂を連想するのであろうか。
お店の奥には定食のための器やお盆のセットがあらかた用意されているらしく、注文してから出てくるまでが早い。定食を注文すると、心なしか店員の顔や声が明るくなる。そして、なんといっても設定された価格の中で見栄えや実質を最大にするために工夫されている。定食の食材はまとめて仕入れるだろうから、コストパフォーマンスが高いはずだ。
あれもこれもおいしそうで迷うときに単品二つは多すぎる。定食で少しずつ両方あればうれしい。欲張りで決断力がないヒトにとっては、組み合わせ定食はうれしい。得した気分になる。
定食は大衆食堂の顔だから、店主もそうそう手を抜けない。緊張感があるはずだ。これも利点。地方の名産を中心にした定食があれば、昼間から手軽に旅情緒が味わえる。
中華料理店の定食は、単品にスープとご飯がついてくるパターンが多い。焼ソバでもチャーシュー麺でもご飯がついてくる。山盛りのデンプンになるが、これがまたおいしい。胃が膨満する怪しい快感がある。
滋賀県の山間部にある小さな陶芸の町の、しかも町外れの小さな食堂で、これまで最高の定食に出会った。名前は何の変哲もない「お刺身定食」1400円也。まず、丼のような大きな椀になみなみとアサリの酒蒸しのような味わいの深い吸い物がでてきた。これが豪快で旨いのである。家で漬けられたにちがいない水茄子の浅漬けも絶品であった。寿司屋もやっているらしく、魚が旨い。定食には主人が見繕ったタイに、ハマチに赤貝に紋甲イカ。こんな山奥なのに魚は新鮮で大きくて、旨かった。食器は地元の焼き物を何気なく使っている。隅々までスキが無く、温かく、新鮮な定食であった。以降、そちら方面に用事があるときには昼の時間に合わせていくことにしている。
大阪で驚くのは、うどんとにぎり寿司定食とか、ソバとおいなりさんセットとか、とりあえず食べたいものを寄せ集めたセット定食に驚く。強引な寄せ集めがお客の欲求に鋭く迫る。名古屋でもきしめんを中心にトンでもない合わせ技の定食は多い。いずれも、定食ならではの楽しさである。
定食の脇役は漬け物やサラダであるが、これがお店のやる気を示す。着色料の毒々しい黄色のたくわんひときれ、考えられる最低のランクである。中華料理店ならばザーサイがおいしい。昆布の利いた松前漬けが添えられていたときはうれしかった。茄子かキュウリの新鮮な浅漬けが出てきたら、これは花マル。毎日でも通いたい。漬け物は定食の品位を決める。
洋食ならばサラダが漬け物の役目を果たす。しなびたキャベツの細切りに、無理矢理マヨネーズをかけた惨めな野菜サラダはいただけない。
古い洋食屋がA定食、B定食と記号で呼ぶのもレトロで悪くない。トンカツ、エビフライ、ハンバーグ、チキンのグリルあたりが定番である。B定食のほうがAよりも値段が高い設定が多い。高い方をAにするのは単純で露骨すぎる。安い方を注文したお客を前に「Bひとつ!」と大声を出すのは失礼という店の心遣いであろうか。
洋食屋の定食は和風や中華の定食に比べて虚飾を捨てきれないところがあって、実質に欠けることが多い。安いコース風になるのはがっかりである。メインの料理とパンだけをその日の定食に仕立てた粋なお店に出会うとうれしくなる。定食といえども、質を落とされては我慢できないのだ。
高級な定食では、老舗の京料理屋が昼の間だけ主に観光客相手に夜の懐石料理のエッセンスだけを提供するのは悪くない。お値段も目玉が飛び出るほどではないし、雰囲気も堪能できるので案外穴場ではないかと思う。
昼の定食は気楽で驚きがあって楽しい。日本の愛すべき食文化である。
出典「逓信協会雑誌」(平成20年2月号通巻1161号)