五食目
『大江戸酒道楽〜肴と花の歳時記〜』ラズウェル細木(リイド社)
グルメ漫画というジャンルがある。
私はグルメという言葉があまり好きじゃないせいもあり、グルメ漫画ではなく食漫画という言葉を使うのだが、今回この原稿を執筆するにあたり「グルメ」という言葉の意味を改めて調べてみたところ、グルメとは「ぜいたくでうまいものばかり好んで食べる人のこと」とあったので、やはり食にまつわる漫画全般を形容するにはグルメ漫画ではなく食漫画の方が良いような気がする。
この食漫画だが、これが意外と難しいジャンルなのである。
絵が上手すぎる作家は食漫画に向いていない。上手い絵がすなわち美味い絵とは限らないからだ。写実的で綺麗な線の絵が必ずしも食べ物の美味さを伝えてくれるとは限らない。
むしろ有機的な線で描かれた、少々、雑とも言える絵の方がより美味そうに見える時もあるのだ。それゆえ、絵が上手すぎる作家は食漫画に向かないというのが持論である。
詳細は割愛するが、事実、人気の食漫画は有機的で上手すぎない絵を描く作家の手による物が多い(気がする)。
今回紹介する『大江戸酒道楽〜肴と花の歳時記〜』の著者、ラズウェル細木氏も、良い意味で上手すぎないゆえに美味そうな絵を描く作家の一人である。
今から20年以上前、たまたま手に取った雑誌に掲載されていた氏の出世作『酒のほそ道』が氏の作品との最初の出会いであった。以来、すっかり氏の作品のファンとなった私は半世紀に渡り、その作品を追い続けてきたのだが、そんな中で出会ったのが本作を含む大江戸シリーズである(そんなシリーズがあるのかは知らないが、少なくとも氏は『大江戸〜』と銘打った著作を5作描いているので、勝手にそう呼ばせて貰っている)。
氏の作品の魅力はなんといっても普通の人々の暮らしをテーマにしている事であり、高級な食材や料理は殆ど出てこず、どの作品も庶民の日々の中に溶け込んだ「食べること」や「呑むこと」が丁寧に描かれており、そこに氏独自の目線が加わることで、身近ながらも気付くことのなかった日常に改めて気付かされるのである。
本編の主人公、大七は棒手振りの酒売りを生業としている。
棒手振りとは時代劇などでよく見かける、天秤棒の両端に商品を引っ掛けて売り歩く行商のことで、当時の江戸ではこのような棒手振りの行商人たちが江戸市中の隅々まで物やサービスを売り歩くことによって巨大都市の流通を担い、また市井の人々も毎日やって来る行商人たちから、その日必要な物を必要なだけ買う暮らしをしていたため、冷蔵庫などなくとも物を無駄にせず暮らす事が出来たと考えられている。
物語の方は、江戸の町を舞台に無類の酒好きである大七が、同じ長屋に住む大工の亀八や行商の途中で知り合った遊び人体の侍などの仲間たちと共に、酒を飲み飯を食らうだけの内容なのだが、その中には山くじら(猪のこと)や鮟鱇(あんこう)、鰻や寿司など江戸の頃に現在のような料理法が確立されたといわれる食材や、江戸っ子が「女房を質に入れても」食べたと言われる初鰹、現在でも東京下町の名物とされる泥鰌(どじょう)などのように当時の食文化を代表するものが多く取り上げられている。
それに加え、登場人物たちの日々の暮らしを中心に当時の風俗や年中行事、四季の移ろいなどが紹介されており、読み進めるうちになるほどと思わされる事が多くある。
今や我々の日常に溶け込んでしまった食べ物や風習、言葉などのルーツを知るとき、私はなんとも言えぬ面白味を感じる。
例えば、我々が使う「くだらない」という言葉。これは元々は上方(当時天皇の住居があった京都や大阪などを中心とした地域)から運ばれてくる産品を「下り物」と呼び、江戸で生産された地廻り物より高級とされていたため、つまらないものや価値の低いものを「下らない(上方のものではない)」と称したことが始まりだそうだ。
その他にも、現代では当たり前に我々の食卓にあがる秋刀魚や高級品であるマグロのトロのように脂のきつい魚は江戸時代には下品であるとされ、敬遠される事が多かったというのである。そうすれば、ねぎま鍋にトロが使われている事に合点がいくし、落語「目黒のさんま」も同様である。
例を挙げればキリがないのだが、この先は是非この作品を手に取り、自らの目で読んで頂きたい。本編以外にも当時の文化や風俗を紹介する様々なコラムが付いており、読み応えは十分である。
和食、ひいては日本料理というものが花開き今の形になったのは江戸時代であるというし、また、外食文化が生まれたのも江戸の頃だという。
それゆえに、江戸の食文化を知るという事が、現代に生きる我々の食のルーツを知ることに直結するのは当たり前の事なのかも知れない。それが漫画という形で楽しみつつ読めるこの作品は、とてもありがたい物なのだ。
最後に余談だが、本編の主人公の名は、福島の酒蔵「大七酒造」に由来するものだと私は考えている。この他にも本編の登場人物の名前にはニヤリとさせられるものがあるので、これも併せてお楽しみ頂きたい。
撮影/伊藤 信 構成/吉田 志帆 撮影協力/お酒と食事 うり