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諸葛孔明は諸葛菜(しょかつさい)を本当に植えたのか?(後編)

竹内 真彦

龍谷大学経済学部教授

諸葛孔明は諸葛菜(しょかつさい)を本当に植えたのか?(後編)

竹内 真彦

龍谷大学経済学部教授

様々な文献を通じて、諸葛菜(しょかつさい)の言葉の起源をたどる旅。前回は、吉川英治『三国志』を出発点に、中国・唐代の書物『劉賓客嘉話錄(りゅうひんかくかわろく)』まで行き着いた。同書で韋絢(いじゅん)に諸葛菜の話をした劉禹錫(りゅう うしゃく)は、どこでその存在を知ったのだろうか。引き続き、諸葛菜の語源をめぐる旅に出よう。

■劉禹錫と「ある三国志の英雄」のつながりは?

劉禹錫(りゅう うしゃく)は、諸葛孔明の死後約500年後に活躍した人物である。『漢語大詞典』を見る限り、『劉賓客嘉話錄』以前には、諸葛菜に関する記録は残っていない。では、劉禹錫は諸葛菜の話をどこで知ったのだろうか。

ここからは私の想像の範囲だが、劉禹錫はおそらく文献に当たったわけではなく、誰かから聞いた話として韋絢(いじゅん)に伝えたのではないだろうか。劉禹錫の生涯を追っていくと蜀を訪れた事が判明している。劉禹錫は、地元の人から諸葛菜の事を聞いたのではないかと考える。

しかし、なにぶん三国時代から劉禹錫の生きた中唐まで約500年。その間の記録も発見されていないため、身も蓋もない事を言うと孔明の死後数百年経った後にできた話という可能性もゼロではない。そこで興味が沸くのが、「なぜ劉禹錫はことさらに『諸葛菜』の事を書き残したのか」ということである。

面白い事が劉禹錫の伝記に記されていた。「劉禹錫。字は夢得(ぼうとく)。中山(ちゅうざん、現在の河北省定州市)出身」とある。また『新唐書』巻168劉禹錫伝には劉禹錫が自ら書き残した家伝めいたものが収録されている。ここで自ら前漢の景帝の子、中山靖王・劉勝の後裔であると称している。

中山靖王・劉勝の後裔。

三国志ファンなら、ここである人物を思い浮かべるだろう。諸葛孔明の主(あるじ)・劉備だ。彼もまた、中山靖王・劉勝の後裔と称した。また、劉禹錫は蜀を訪れた際、劉備が没した白帝城にも足を運んでいる。

本来なら、劉禹錫の文章や詩を追いかけて劉備の事を意識しているかをすくい取れるかどうかを追いかけるべきであろう。だが、残念ながら現段階では調査が及んでいない。

■劉備が野良仕事で育てていた作物は?

そこで、別のアプローチを試みたい。先ほど紹介した『事物紀原』と同じ宋代に成立した全1000巻の類書(一種の百科事典)である『太平御覧』をひもといてみよう。

『事物紀原』には、諸葛菜の事が「蔓菁(まんせい)」と記されていたが、『太平御覧』には「蕪菁(ぶせい)」で立項されている。そこでは正史『三国志』蜀書・先主伝(劉備の伝記)の註釈所引の『呉歴』が引かれ、「劉備が曹操に帰順していた際、曹操は劉備をもてなしていたが、劉備は害される事を恐れて蕪菁を育てていた」といった内容が書かれている。諸葛孔明の主君である劉備が蕪菁(諸葛菜)を育てていたのだ。

後世の歴史小説である『三国志演義』では劉備が曹操に対する韜晦のために農作業にいそしんだことは記されているが何を育てていたかは言及がない。『三国志演義』の間接的フォロワーたる吉川『三国志』もまた同様である。しかし、両者の原点と言うべき正史『三国志』(の註釈)では劉備が育てていたのは蕪菁であるとハッキリ作物を限定していたわけである。
ここで「諸葛菜=蕪菁」の語源について、「諸葛亮-劉備-劉禹錫」というつながりがみえてきた。劉禹錫自身がどれだけ劉備を意識していたかについては、劉禹錫自身の文章も踏まえて見ていかなければいけない。これは今後の課題である。

■学びの本質は「調べること」

今回は諸葛菜について、ネットではわずかな時間で調べられることを、文献学的アプローチでじっくりと向き合ってみた。諸葛孔明と諸葛菜の明確な結びつきは判明しなかったが、次から次に気になることが出てきた。全てネットだけでは思いつかなかった新たな問いだ。

学生の皆さんには「何を調べるのかはあくまでおまけであって、『調べる』という行為そのものの方が学びの本質だ」と話している。どんな文献に基づいているのかをさかのぼっていくと、時にはわからないことにぶつかることや話に尾鰭(ひれ)が付いていることが見えることもある。

前回紹介した「饅頭」の話もそうだ。『三國志演義』では、荒れ狂う川の神を鎮めるために人頭に見立てた饅頭を生贄として祭礼を行ったと『事物紀原』に書かれたこととして紹介されていた。しかし、『事物紀原』を読んでみると、共通点はいくつかあるものの、内容が大きく異なっていることがわかった。これは文献にあたってみなければわからない。

何か物事を調べたい時、ネットだと瞬時で対象にアプローチできるが、関連するヨコのつながりを学ぶのは弱い傾向にある。文献をたどることは決して効率的ではないが、様々な文献をひもとき、ああでもないこうでもないと試行錯誤をする行為そのものが学びの本質ではないだろうか。

三国志では、今回紹介した諸葛菜の他にもまだまだ食に関する伝説や逸話が残っている。機会があれば、また食物の話をしてみたいと思う。