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CULTURE 2020.10.01 丹野 研一

ワインの起源

西洋料理を美味しく食べるには、左党にはどうしてもワインが欠かせませんね。今回は、考古学の証拠がしめす、ワインの起源についてお話をしたいと思います。

ワインの発祥地、南コーカサス

ワインの発祥の地は、以前はイランのザグロス山地北部だと言われていました。その説を唱えていた同じ研究者が、最近の研究成果として、南コーカサス地方のほうがもっと古い、という新説を述べました(McGovern et al.2017)。考古植物学の論文を読む方はほとんどいないでしょうから、すこし紹介しましょう。
ジョージアのガダクリリ・ゴラ遺跡とシュラヴェリ・ゴラ遺跡から出土した土器片から、ワインによく含まれる成分である酒石酸、リンゴ酸、コハク酸とクエン酸が検出されました。年代は発掘された土層から、紀元前5900-5750年と前5700-5500年と推定されています。同時期には、ブドウらしき文様が装飾された土器も、周辺地域でみつかっているそうです。

南コーカサスの風景(アゼルバイジャン側のアルメニアおよびジョージア国境付近)。もうすこしで、ヒツジがハート形にならないかと、待ち受けて撮った1枚。これが限界でした。

起源はジョージアと言っていいの?

この論文のタイトルは「南コーカサス、ジョージアの新石器時代初期のワイン(Early Neolithic wine of Georgia in the South Caucasus)」。ジョージア(グルジア)がワイン発祥の地だと読めてしまうのですが、本文を読むと「南コーカサス」(つまりジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンの3国)が起源地だと表現されており、「ジョージア」という国名を明言することは避けられています。じつは調査対象とされた2つの遺跡は、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン3国の国境付近に位置します。そして近年、国境を少し越えたアゼルバイジャン側で、当地域で最古となる農耕遺跡(ハッジ・エラムハンル遺跡)が東京大学チームによって発見されました。
このような状況もあり本論文では「肥沃な三日月の北部山地での調査例と科学的な分析はまだ少ない」として今後の修正も示唆しており、決定的な結論が得られたという表現は使われていません。また、先述した4つの果汁由来の有機酸のなかで、「発酵」という意味でワインの証拠になるものはコハク酸の結果です。コハク酸に注目してデータをよくみると、これが検出できた土器片はじつは多くなく、比較基準にしている土壌自体からの検出量も高くばらつきも大きいので、土壌由来ではなくて明らかにワイン由来といえそうな資料はごく限られます。ワインの証拠というには、別の角度からの考古学的証拠がもうすこし重層的にほしいところなのですが、このケースでは、たとえば土器内からのブドウ種子もみつかっていない状況です。そういうわけで、ジョージアと限定するよりは「南コーカサス」、あるいは「ジョージアなどの南コーカサス」くらいの表現が妥当ということなのかもしれません。

ジョージアの壺(クヴェヴリ)製ワイン

ワインの存在、より確実な証拠 ~ギリシャの例

ギリシャにある紀元前4350-4250年頃のディキリ・タシュ遺跡では、焼失家屋が発見されました。焼失家屋というのは考古学者にとっては、過去からの最高の贈り物で、火事によって、当時の瞬間がパックされた状態で残っているわけです。ここでは、過去の調査によって、ブドウ果実の搾りかすが大量に発見されていました。そこで新たな調査を進めたところ、驚くべき事実が発見されたのです。出火によって、ブドウ果汁の入った容器が倒れ、中身がカーペット状に流れ出し、そのまま焼けて炭化種子が残ったという、リアルな現場が残されていたのです(Valamoti et al. 2015)。そのブドウは種子だけでなく果皮がついていたので、流れ出した液体は、高い可能性でワインになっていたと考えられます。2015年に発表された研究ですが、発掘者のヴァラモティさんにその前年に会ったとき「発掘はいま途中で、これからまだ出てくるから楽しみ」と言っていました。この遺跡からは、さまざまな果物も出土しており、果樹栽培史の解明という意味でも、期待が高まります。

ワイン用のブドウ樹

洞窟でワインが醸造されていた ~紀元前4000年、アルメニア

ギリシャの発見の前までは、アルメニアで発見されていた、最古のワイン醸造施設が注目の的となっていました。アレニ1遺跡がそれで、抜群の洞窟内環境を利用した、紀元前4000年のワインセラーが見られます。ここでは洞窟通路に、数十個の壺が掘って埋め込まれていました。ある壺の口には、石膏で平らにしたブドウを踏んでつぶすプラットフォームが設置されており、果汁が壺内に流れ落ちる仕組みでワインがつくられていました。洞窟の外でブドウをしぼって果汁を運び込んだほうが、はるかに楽なはずですが、当時の人々は生ブドウを洞窟内に運び込み、足場をつくってまで、この洞窟の中でブドウをつぶしたのです。イースト菌のような真菌や細菌の存在は、19世紀のパスツールまで解明されていなかったわけです。当時の人たちが、洞窟内でブドウをつぶしたほうが、発酵が安定することを知っていたことには感嘆します。
この壺の直径は30-35cm、高さは62㎝。「私が掘り上げたときには、底に40-50粒以上のブドウ種子が目にとまった」、そう話すのは案内してくれた発掘担当者のクリスティンさん。「この洞窟内には数十個の壺が埋め込まれていますが、まとまった数のブドウ種子がみつかった壺は、最後につくられたとみられるこの1つだけでした。ほかの壺の中には、人骨の一部分が納められていました」。つまり、壺でワインをつくって、コップのようなもので汲みとって飲み、種子をきれいに除いてから、死者の骨を納めていたようです。当時のワインには、供養のような、スピリチュアルあるいは宗教儀式的な要素が多分にあったようですね。なお、壺からは赤ワインにふくまれるような赤色色素のマルビジンが検出されています。

最古のワイン醸造施設(アレニ1洞窟遺跡)のあるアルメニアの国立公園入口

考古学の発見、証明と解釈

ワインは液体なので、考古学の遺物としては、ふつうまず残りません。ブドウはそのままでも食べられるし、ジュースにも、干しブドウにもできます。また、煮詰めれば糖にもなります。ワインであることを証明するのは、なかなか困難なわけですね。それでもさまざまな角度から、証拠を集めて証明してゆく考古学。研究は夢があって、とても楽しいものです。
最初に紹介したジョージアの資料は、紀元前5900-5750年の土器に付着した有機酸でした。ギリシャの火事で焼けた例は、ワインの証拠として確実視できるものですが、その年代は紀元前4350-4250年頃です。これらの間には、1500年ほどの大きなギャップがあります。この年代差を埋めるような、新たな資料が待たれます。これから将来、いったいどのような発見があるのでしょうか?楽しみですね。

丹野 研一

たんの けんいち

龍谷大学文学部准教授(教養生物学担当)

専門は考古植物学と植物育種学、分子系統学。農学博士。農耕起源の人類史を解明するために、西アジアの考古学発掘によって出土した植物遺物の同定を行っている。また最近は、デュラムコムギとパンコムギの品種改良を、古代小麦の系譜を利用して行っている。