TOP / Agriculture / シャシャンボと『牧歌』

龍谷大学の瀬田キャンパスは丘陵地の里山に囲まれているので、キャンパス外周をぐるりと散歩すれば、さまざまな草木が四季おりおりの姿を見せてくれる。落葉樹がなかば葉を落とした11月の下旬、秋の薄日に光るシャシャンボの実を見つけた。シャシャンボとは奇妙な名だが、『古事記』の仁徳天皇条に出てくる木の名、「さしぶ」にあたると考えられている。

この黒い実は直径6~7mmと小さいが、食べることができる。私は田舎育ちなので、食べられるものがなっている傍らを学生たちが見向きもせずに通り過ぎるのを眺めていると、宴会の食べ残しを眺めているのと同じくらいもったいなく感じるのである。そこにタイミングよく顔見知りの学生が通りかかったので、「食べてみ」と言って試食させたら、「え!ブルーベリー??」と大声をあげた。お、なかなかセンスがいいかも。そのとおりで、この木は分類学的にはブルーベリーと同じVaccinium属に入れられる。Vaccinium属は世界に広く分布するが、みな甘酸っぱい果実をつけ、各地で食用にされている。ジュースやドライフルーツが輸入されているクランベリー、眼によいとされるヨーロッパ産のビルベリー、日本では名前だけが知られているアメリカのハックルベリー、沖縄のギーマなども同属である。

ところで、Vacciniumという名は学名だからラテン語である。この植物名、古典文学の世界ではちょっとした混乱のタネになってきた。この植物名が文献に現れるのは、古代ローマの詩人ウェルギリウスの『牧歌』にvacciniaとして出てくるのが最初であるという。ところがこのvaccinia、ウェルギリウス研究者の間ではずっと球根植物のヒヤシンスのこととされてきた。その根拠は説明すると長くなるので省くが、比較文学・言語学的なものである。しかし、同じvacciniaという植物名はプリニウスの『博物誌』にも出てくる。同じ古代ローマで書かれたものであるのに、こちらはそのまま現在のVaccinium属の一種にあたると解釈されている。Vaccinium属とヒヤシンスでは似ても似つかない。どちらかの解釈がまちがっているとすれば、やはりヒヤシンス説のほうに無理があるように見える。

これに関連して、欧米の植物学者の間で古くからささやかれてきた説がある。Vacciniaというつづりは、本来はBacciniaと書かれるべきではなかったかというのだ*。日本人はBとVの発音を区別するのが苦手だが、同様の混同は南ヨーロッパにもみられ、それは古代ローマですでに始まっていたという。そこで『牧歌』のvacciniaについてもBとVの混同があったとすると、vacciniaはすなわちbacciniaとなり、ラテン語で「ベリー」を意味するbaccaにもとづく名前ということになる。これならブルーベリー類(ヨーロッパの話だからビルベリー類というべきか)の呼び名としてふさわしい。

『牧歌』の自然描写は、北イタリアの田舎で育った作者の豊かな自然体験がなければ出てこなかったものだろう。子供時代のウェルギリウスがこのような木の実を摘まんで食べているところなんか想像してみたら、その秘密にちょっとだけ近づけそうな気がするのだが。ただし、イタリアのVaccinium myrtillusは落葉性の小さな木らしいから、常緑樹のシャシャンボとはやや雰囲気が違うかもしれない。

*Vander Kloet, S. P. (1992) Rhodora 94: 371-373.