三食目
『被差別の食卓』上原 善広(新潮社)
人間は食べねばならない。
どんな状況であっても、生きるために必ず食べねばならない。
食に興味がなくとも、好き嫌いがあろうとも、生きるための最低限の食事は取らねばならない。飽食の時代と言われる現代では想像しにくい事かもしれないが、人間が不自由なく食事を取れるようになったのは、人類の歴史の中では近現代に入ってからのほんの僅かな時間だけである。
土偶があのような形をしているのは、満足に食べることが出来ない時代にあって、豊満な肉体を持てる女性を美しいと感じたからだという説もある。
作家、水上勉はその著書『土を喰ふ日々-わが精進十二ヶ月—』(新潮社)のなかで食事について次のように語っている。
「一日に三回あるいは二回はどうしても喰わねばならぬ厄介なぼくらのこの行事、つまり喰うことについての調理の時間は、じつはその人の全生活がかかっている一大事だ」
このように、食べること、そして食べるための準備をすることは、我々が思っている以上に我々にとって切実なことなのかもしれない。
今回、紹介する『被差別の食卓』は大阪の被差別部落出身の著者が、世界の被差別民のコミュニティを訪ね、彼らの食事やその調理法から差別の歴史と現状を書き出したルポルタージュである。
著者の上原善広は本書のなかで被差別民特有の料理をアメリカに住む黒人独自の料理「ソウルフード」と重ね合わせながら、差別と貧困、迫害と団結の中で生まれた食文化と位置付け、アメリカ、ブラジル、ブルガリア、イラク、ネパールの5カ国を巡るが、その旅によって浮かび上がる差別の現状と被差別民の食文化の現在は国によって様々である。
興味深いのは、被差別民の食文化が公的なものとして受け入れられている国と、そうでない国がある事だ。アメリカ、ブラジルでは黒人奴隷の食事にルーツを持つ料理がひとつの食文化として成立し、街の中のレストランやファーストフード店でも食べる事が出来る。
一方、ブルガリアやイラク、ネパールでは、「ロマ」や「サルキ」と呼ばれる被差別民が口にする料理は一般には殆ど知られておらず、また一般の人間はそれを口にする事自体を忌避している。
これらの違いは、それぞれの国における被差別民の数や文化的成熟度、そして、その国の政治体制とその安定度に起因するように思われた。
ただ、いずれの国の料理も、差別する側の人間が見向きもしない食材を少しでも美味しく食べようと工夫されている事は共通しており、そこに我々人間の、食べること、ひいては生きることへの根源的な執着を見る覚えがする。
本書で紹介されている料理の中で特に興味を引いたのは“フライドチキン”であった。
今やわが国において誰もが知っており、コンビニですら手に入れる事が出来るこの料理はアメリカ黒人奴隷の料理にルーツがあるらしい。
白人は鶏肉の良いところをローストチキンとして食べ、白人が捨ててしまう手羽や足、首などの部位を、黒人奴隷たちが骨まで余すところなく食べられるよう、しっかりと揚げたものがフライドチキンの始まりだと上原は言う。
とすれば、差別する側は自分たちが蔑んできた人々が作り上げた料理に舌鼓を打って食べている事になるのだが、実はこれは我が国、日本においても同様である。
韓国にルーツを持つ焼肉料理店は今や日本中どこへ行っても見つける事が出来るし、被差別部落で生まれたアブラカスは「かすうどん」として数年前に流行し、今ではお好み焼きの具として置いている店も少なくない。
牛や馬の肉を干して作る「さいぼし」も、最近は居酒屋などで見かけることが多くなった。
また私は本書の中で上原が触れる牛のある部位が、1キロあたり100円程度で売られているのを知っていたが、それを幻の部位としてメニューに載せているホルモン鍋の店に入った事もある。
我々が単なる食事と捉えている事の中にも、現代社会の抱えるいびつさが隠されている事に本書は気付かせてくれる。
上原はこの本の中で「料理は、味が決め手である。しかし同時にその国、民族、地方、個人を表す文化でもある。だから他人にはどうということのない味でも、その人にとっては懐かしい味であったりする」と書いている。
全ての人に思い出の味があり、お袋の味があるのだとすれば、それを非難したり批判したり貶めたりする行為は、とても卑しいことに思えてくる。
全ての人間が食べずには生きていけないのであれば、それらの行為が正しく行われている以上、全ては等しく価値ある物だと言えるのではないだろうか。
文中に登場するネパールの被差別民「サルキ」の言葉に次のようなものがあった。
「————実は牛肉はもう食べてないんです。牛肉はおいしいし好きだけど、サルキが差別されるのは牛肉を食べるからなので————」
差別されるから食べる事が出来ない。
日本に暮らす我々からは想像もつかない事であるが、この言葉は食事が単なる栄養補給をこえ、ある種の神秘性を併せ持っていることを証明しているように思える。
最後に、最も印象深かった一節を紹介する。
————「なんやねん、ちりめんジャコやったら何千匹殺してもええのに、なんで牛とか豚やったら差別されなあかんねん」 肉店のおばちゃんは、いつもそう言っていた。至言ではあるが、現実ではやっぱり差別されるのだった。
現代社会に生きる我々にとって、食事は多くの場合、娯楽であり、満たされ幸福な気持ちになる手段である。それは勿論悪いことではないし、私自身もそれを楽しみに生きている。
しかし同時に食事というものが、我々が思っている以上に根源的に、我々の命に関わる切実な物、つまり生きるための食事であった事を本書は思い出させてくれた。
撮影/伊藤 信 構成/吉田 志帆 撮影協力/リンク 河原町本店