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店ものがたり「三宮一貫楼」編 〜第2章〜

安藤 孝志

三宮一貫楼

店ものがたり「三宮一貫楼」編 〜第2章〜

安藤 孝志

三宮一貫楼

〜前回のあらすじ〜

地上げ屋との長い戦いに終止符を打ったものの、14億円の借金を背負うことになった「三宮一貫楼」。返済のための多店舗展開を余儀なくされた店を次に襲ったのは、未曾有の大震災だった−−−−。

自他ともに認める「サムライ」の先代

編集部:稼ぎ頭はずっと「豚まん」なんですね。
安藤さん:そうです、豚まんです。
借金返済のために更なる出店攻勢をかけていくんですけど。百貨店からのオファーが増えてきまして、来るオファーは全部、乗ったんです。ところが、そんな短期間に出店してたら追いつかないんですよ、社員の数が。

西神そごうへの出店の際に笑い話があるんです。
うちの実家では、朝食にいつもトーストとコーヒーの出前を頼んでたんです。(借金してんのにそんな贅沢ことするなって、今では思いますけど)で、いつも近所の喫茶店に電話をかけて、おばちゃんが持って来てくれてたんですけど。西神のそごうは、その出前に来る、おばちゃんが店長してましたからね(笑)。
編集部:いつの間にスカウトを(笑)。お父様、なかなかユニークな方ですよね。
安藤さん:14億円も借金するやつなんてね。もうね、アホですよ。

編集部:孝志さんから見て、お父さまはどういう方でしたか。
安藤さん:うーん。
編集部:ちなみに、お母様は借金することを止めたりとかは。
安藤さん:いや、止めない。止めないなぁ。

ぶつかり合いながらも店を守った父の健次さんと母の勝江さん。写真は会社の新年会での一幕。

編集部:ご夫婦揃って豪快というか。
安藤さん:親父は確かに男気があったし、決断力もあったと思います。自分のことを「サムライや」ってよく言ってましたね。売られた喧嘩は買うタイプ。
編集部:だから、怖い人たちともバチバチにやりあえたんですね。
安藤さん:全然、受け継いでない(笑)。
編集部:まぁそこは、反面教師ということでね。
安藤さん:本当にそう。だからね、うちの従業員さんはね、親父の飲み仲間がめっちゃ多かったんです。
編集部:面倒見のいい方だったんですね。
安藤さん:そういった気質はありましたね。

神戸を襲った、阪神淡路大震災。

編集部:一番、多かった時期は何店舗?
安藤さん:14店舗ありました。売り上げ規模は10億円。
編集部:では、借金の返済は順調に。
それでも苦しいですよ。その前に板宿の開発でも借金をしていましたから、借金総額は20億円ほどにはなっていたと思います。当時の金利が7%でしたから、返済明細とかも見ましたけど、月々1,000万円返しても利息の方が多かったですよ。だから減らない。
返済手段が売り上げを作るしかないから、仕方なく出店を繰り返していたと思います。
そして平成7年に震災があって、木造2階建てのうちの本店は全壊。

編集部:阪神大震災ですね。従業員の方は…。
安藤さん:幸い、人命にかかわる被害はなかったんですけど、8時間、埋まっている従業員はおりましたね。当時住んでいた兵庫区は、隣町で火が出たとかはありましたけど、そんなに被害はなかったんです。
編集部:でも、あれだけの地震ですから、すっとんで行きますよね。
安藤さん:いや、兵庫区の被害はあんまりだったんで、大丈夫だと思ってたんです。早朝5時46分だったでしょ。昼過ぎぐらいに電気が復旧して、住み込みの子らと後片付けしに行かなあかんねって、本店に向かったんです。
車で迂回しながら、道中で高速道路が落ちているのも見て。それでも、自分の店は大丈夫やろうと思ってたんです。
でも、店に着いたら2階が1階になっている。「こらあかんわと、もう帰るで」って親父が。
家に帰るなり、サムライはなにを考えたのか、金庫から200万円出してきて。兄貴ふたりに、お前は姫路に行け、お前はどこどこに行けと。食材の調達を命じていました。
編集部:それはまた…。
安藤さん:その時は、従業員の原チャリで移動して、食材やカセットボンベなど、買えるもん買うて。1週間くらいで電気だけは使えるようになっていたので、電気調理器やカセットボンベで玉子焼きを焼いたり、鮭を焼いたりして提供しました。
編集部:炊き出しということですか?
安藤さん:最初はそうしました。
でも、うちも食っていかなあかんので。土地を更地にしてテントを建てて、プロパンガスでラーメンや餃子を調理して売って。次にプレハブになって、5月には営業再開してましたね。

安藤さん:震災の影響で店舗数は半分になりました。大阪までの交通網が非常に不安定だったので店を閉めたり、営業できる店だけを残して7店舗に。けど、売り上げは良かったんですよ。というのはね、神戸に人がたくさん来たからなんです。
編集部:他府県から被災地への応援に。

安藤さん:三宮元町界隈は壊滅的だったんですけど、ハーバーランドにあった店舗は好調でした。とはいえ借金があるんで7店舗全体で売上げをつくっていかなければいけない。
それでどうしようかとなった時に、母親が、ラーメンだけで「深夜2時までするぞ」と言い出したんです。
神戸は夜が早い街なんです。当時うちも9時までの営業でした。従業員は大反対ですわ。
でも母は運が強いのか、ちょうど地下鉄海岸線の工事をしてる時でね。その人らが深夜営業しているお店を求めて来店してくるわけです。それから口コミで増えて、1ヶ月で鈴なりの行列になって。

深夜営業時代のプレハブ店舗。豚まんの販売も再開。

編集部:その時もラーメンだけだったんですか?
安藤さん:いや、あまりにも来るから、普通に料理も出すようになって。そうなると忙しくなるから、僕らも駆り出され、そして従業員も。
編集部:それも先見の明というんですかね。引きが強いというか。
安藤さん:どうなんでしょうね。それで僕らもローテーションで店に立つようになり。週2、3回は深夜も働くようになって。ハードでしたね、あの時は。
そんな時、親父がついに倒れてしまうんですよ。親父は毎朝5時にラーメンの追い足しのスープを仕込んでいたんですが、こうなると、スープ作りは誰がするのか、となり。兄貴たちと僕で炊くことになるんですが、深夜2時に店が終わり次第、工場に行ってスープ炊くという生活を、新しいパートが決まるまでの1ヶ月ぐらいしましたね。
よく質問で、戻るんやったら何歳に戻りたい?ってあるんじゃないですか。僕は20代とか絶対に戻りたくないですね。暗黒過ぎて…。

メインバンクが破綻。そして、企業の墓場へ。

編集部:深夜営業はどれぐらいの間?
安藤さん:平成8年から10年ぐらいはやりましたね。その道中で息を吹き返して、ちょっと余裕ができたので、銀行にプレハブから本建築にしたいから1億円を貸してくれと。プレハブの時も売り上げはめっちゃよかったんですけどね。
編集部:借金はさておき、売り上げはずっといいですよね。
安藤さん:そうなんです。そこが肝なんです。それで取り引き先の銀行に行った時に、向こうの支店長もイエスと言いかけている感じはあったんです。銀行からすれば危険ですけどね、いつ潰れるか分からへん店だし。
そして、その1週間後ぐらいにすごいニュースが入ってきました。その銀行が破綻したんですよ。
編集部:このタイミングで。
安藤さん:でも破綻したら、どないなんの?って分からないじゃないですか。うちの借金、なくなんの?まさか、そんなわけはないかって。
どうなるかというと、正常先には受け皿銀行ができるんです。
その当時、バブルは弾けて、うちの地価は1億円もなかったんじゃないかな。でも10億円以上の借金が残っているので、いわゆる債務超過という企業です。そんな企業はどうなんの?と聞いたら、整理回収機構という恐ろしい名前のところに引き取られると。そこは、企業の墓場と異名されるようなところで。

編集部:そこに行ったら、もう終わりという…。
安藤さん:そうそう、回収するだけなんですよね。例えば、売った方が経済的に合理性があると判断されたら、清算されて終わりという。
でも、うちは売り上げはあるんです。なので、知人のツテをたどって、その筋に明るい人に相談したりしました。すると、整理回収機構のきつい取り立てを苦に自殺した人がいた話を耳にしたりして…。

編集部:嫌な思い出が甦りますよね、怖いお兄さんとか…。
安藤さん:ははは。でも、それが社会問題になったんですよ。それで、当時の整理回収機構のトップが、“血も涙もある回収をする”という宣言をしはったんです。
それから、その整理回収機構と面談ですわ。場所は居留地の辺りの神戸支店。家族全員、5人で行きました。白い部屋に通されて、両方からカメラで撮られてて。親も「なんやろね、この部屋は」って。そしたら時間きっちりに、いかにも仕事ができそうなスーツの人たちがやって来て。当時、残債は10億円以上あったんですけど、挨拶もそこそこに言われた言葉が「期限の利益を既に喪失されているので、つきましては、平成何年3月31日までに耳を揃えて返してもらます」と。で、先代が切り返したんです。
編集部:サムライの出番ですね。
安藤さん:「血も涙もある回収をすると聞いてたんですけど、それは嘘やったんですかね」と。そしたら担当者が「じゃあ、なんぼやったら返せます?」と振ってきて。その当時、銀行に560万円を元利で返してたので、それくらいの金額なら返せます、と。
整理回収機構の方は、「うちは銀行ではないので、これは元金返済です。利息についてはまた話をしましょうか」となって、2年ぐらいは頑張ったんちゃうんかな。

商売とは、信用を積み重ねること。

編集部:聞いていてドキドキします…。
安藤さん:ただね、震災直後は神戸は景気が良かったんですけど、それからじわじわボディブローのように沈下してきて、うちの売り上げも悪くなっていったんです。すると、その560万円がしんどくなってきた。
そしてある日のことです。返済は毎月10日だったんですけど、9日に親父と母親が一緒に出かけなければならない用事があって。当時、僕は母親について経理やってたので、代わりに明日の支払いの段取りをしていたんです。すると、会社の通帳とか帳面を何度見返しても、どうしても100万円ちょっとしかない。全部の通帳を見ても、▲のところとかあるし…なんやこれ、ヤバいなって。
編集部:ご両親に連絡はしなかったんですか?
安藤さん:それが、どっちも携帯電話が大嫌いで持ってないんです。
だから、整理回収機構の担当さんに電話をかけたんですよ。400万円以上足らないことを話したら、「いつやったら払えるんや」って聞いてきたから、15日に百貨店の営業売り上げが入るから、それが入ったら払えますと答えました。担当者さんに「じゃあ、それでいいわ」って言われたんで、あぁラッキーって、その時は自分の手柄的に思ってたんです。
で、母親が帰って来たから報告したんですよ。そしたら、「あんたは、なんちゅうことしてくれたんや!」って、ブチ切れられて(笑)。

安藤さん:えぇ?ってなって。
そしたら母親が「えっ?とかそういうもんちゃうんや、なんとでもなるんじゃ!」と。「生命保険も潰す段取りしとるし、なんとかなるから意地でも返すぞ」ってなって。
こっちにしたら、なんでこんなに怒られなあかんねんって、ふてくされるじゃないですか。そうしたら母親が担当さんに電話をかけて、「すんません。うちの息子がアホなこと言いまして」って言いよるんです。
それを聞いた担当さんが「今から事務所に行くから直接、話しよう」と。30分後ぐらいにその担当さんが来て、その時の母親は「すいません、すみません、あんたも」みたいな感じでね。その時に、担当さんがすごいことを僕に言いはったんですよ。「これがな、商売人の姿や。よく見とけよ」って。

編集部:これはいい話。
安藤さん:「これが信用を積み重ねてきた商売人の姿やぞ」って。それで、「ただ、無理なのは僕もプロやから分かっとったよ。ボンが電話をかけてきてくれたことはちょっと嬉しかったんやで」って、今度は母親に言うんです。
それから担当さんはいつものように「うちは銀行ちゃうから、なんぼやったら払えるの?」って。300万円なら、ということで、そこから1日も遅れずに払い続けました。

(第3章に続く)

撮影/伊藤 信   取材・文/吉田 志帆