TOP / Eat & Drink / 店ものがたり「三宮一貫楼」編 〜第3章〜
店ものがたり「三宮一貫楼」編 〜第3章〜

安藤 孝志

三宮一貫楼

店ものがたり「三宮一貫楼」編 〜第3章〜

安藤 孝志

三宮一貫楼

〜前回のあらすじ〜

阪神大震災を乗り越え、ようやく店舗再建という矢先、取り引き先銀行が突如、経営破綻。企業の墓場との異名もある整理回収機構の管理下に。

残債は未だ10億円以上。家族で立ち向かった借金返済の後、立ちふさがったのは、くすぶっていた兄弟間の問題だった。

借金返済に光明が!

編集部:月300万円は、どれぐらいの期間、払い続けたんですか?
安藤さん:3年かな。そしたら、またちょっと旗色が変わってきて。
それまで担当は整理回収機構の神戸支店やったんですけど、管轄が代わって大阪本店になったんです。大阪まで月イチ、面談で行くようになって、その当時で残債はちょうど10億円ぐらいだったかな。

安藤さん:でね、すごいオファーがあったんですよ。債務免除っていう話です。
うちはB/S(貸借対照表)が悪いだけで売り上げは悪くないので、このB/Sの長期借入金をなんとかしたら立ち直る企業であると認定されたんですよ。これは、これまで信用を重ねてきたからだと思うんですけど。
そして同時期にメガバンクの不良債権が問題になっていて、そこに公的資金注入というニュースがあって。
編集部:小泉政権の時ですね。
安藤さん:公的資金を入れて、お金の流れを良くしようという施策になった。推測ですが、それに整理回収機構も乗ったと。
編集部:地方の企業を救済しましょうということですね。
安藤さん:ただ、それでラッキーっていう話ではなくて。債務債権には、平等に痛みを負うというルールあるんです。うちは他にも借金があったので、コンサルを入れて分厚い再建計画を作成して、他の債権者も説得しにいくんです。
コンサルが描いたのは、債務免除して善意の第三者に店舗を建ててもらうということ、前社長と専務、つまり親父と母親が経営責任をとって退くこと、そして僕らが役員になるっていう再建計画でした。

編集部:他にも“痛み分け”はあったのですか?
安藤さん:親父は中小企業の社長なんで、会社にも貸し付けしていたんですよ。金額は1億円ぐらいかな。それもチャラにして、こちらも痛みを負いますと。
いろいろやって、整理回収機構が9割免除してくれた1億円の債務を、まずは優先債務として5年で返済しましょうとなりました。その間、他行さんへの返済は、債務の一部を劣後する債権に転換するDDS(デッドデッドスワップ)として、優先債務の返済が終わってからとなり、その間は何%かの利息だけ返済すると。
他の銀行にも、これで飲んでくれと、何回も足を運んで、お願いします、お願いしますって。それで渋々、銀行も首を縦に振ってくれたんです。それでも説得に1年かかりました…。

現在の本店。豚まんを販売する売店とレストランの3フロアに。

編集部:その交渉は四兄弟で。
安藤さん:いや、僕だけです。
編集部:やはり、弁が立つから。
安藤さん:弁が立つ。なんか嫌な言い方するな(笑)。
編集部:いやいや、褒め言葉ですよ(笑)。
安藤さん:大変だったけど、母親について経理をやってたから、すごくいい経験にはなりましたね。
次に債権者集会というのを開いてね。1年かけて根回ししてたので、シャンシャンの集会やったはずなのに、そのなかに強い口調で「これはどうなっとんねん!」っていう銀行さんもありました。そしたら他の銀行さんが「もぉええやないか」となだめるという場面も。
そうしてようやく債権計画がスタートしたんです。

ついに迎えた、借金完済の日。

安藤さん:再建計画がスタートしたのが平成15年で、平成25年くらいで完了しました。でも、借金なくなった、わーい!ではないんですよ。
すごく面倒なんですが、100万円以上の買い物は、その度に銀行の決済がいるんです。法人個人に関わらず。
編集部:例えば、車を買うぞ、となった時は。
安藤さん:まず、銀行さんにお伺い。なんでそれを買わないかんのかという理由をつけんとあかんのですよ。
100万円って、結構すぐに使ってしまいますよ。設備投資とか。そうそう、自分の家買う時もそうやったな。
編集部:銀行さんに、こうこうこういう理由で家を建てたいです、と。
安藤さん:そう、その時は利害関係のある銀行には相談できないので、利害関係にない銀行に行って(笑)。
編集部:もう完済はされているんですかね。
安藤さん:複雑なんですけど、10年待たずに一応、正常先にはなったんですよ。最初の計画の時は怖かったですよ。2、3年目の時は計画を上回るスピードで営業利益を出せていたんです。
あぁそうだ、僕ら年収を120万円減額されたんですよ。営業責任ということで。当時、僕で600万円だったかな。
編集部:それが480万円になった。
安藤さん:そう。で、3年目に利益が大分出たので、(給料を)元に戻したいという相談したら、債権者のひとつだった信用金庫の担当者さんが、ほんまにもう顔を真っ赤っかにして、「あんたもう何考えとるんや。こんだけの迷惑かけといて給料上げてくれて!」って怒るんです。そしたら横にいたコンサルが、刺激するのはよくないから、この話題は避けようってその場はなったんです。僕も悔しくて、覚えとけよ、みたいになってね(笑)。
結果的に9年でなんとか正常先になったんですよ。そしたら、なったとたんに…。
編集部:手のひら返し。
安藤さん:ドラマの「半沢直樹」みたいな(笑)。銀行、怖って。
名言があってね。晴れてる時に傘を渡してきて、どしゃぶりの時に傘を持って行くんが銀行や、と。
編集部:それは“サムライ”の言葉?
安藤さん:いやいや(笑)。その後もなんや、借りてください、借りてくださいって。と、まぁ、そんな時代がありまして。

編集部:しかし、聞けば聞くほど、人間不信になってしまいそうな。
安藤さん:人間不信にはならないですね。でも、身内の関係は、借金返済の道中はドロドロした時期はありました。
編集部:でも、今はすごく良好なご関係ですよね。
安藤さん:最終はそこに落ち着くんですけどね。
店の深夜番をしてる時って、気持ちが荒むんですよね。そしてその時に皆、結婚適齢期がきて、相方が付くわけですよ。
安藤家のあかん家訓なんですけど、商売人の嫁としてうんぬんとか、そういう哲学があるんです。うちの母親は、ど根性でやるような人やったからね。夫唱婦随とか、夫婦は両輪や、とか言うてたな。今となっては、アホかという感じなんですけど。
編集部:そうして、3人の女性が新たに加わったと。
安藤さん:そう。僕は嫁にプロポーズした時、店に入るのは嫌やって言われたんで、折衷案として小さい店を作ったんですよ。兵庫区の荒田町に。
編集部:創業の地ですね。
安藤さん:それこそ整理回収機構の話が出てきた時で、別法人を作ってたんです。つまり借金を背負っているところが倒れても、その荒田町の小さい店は残るように、僕を代表取締にして法人化してたんですよ。
で、ここは本体と違うから、どう、結婚せぇへん?と。
編集部:なんというプロポーズ(笑)。
安藤さん:で、ここからはまた別のドラマが始まるんですけど。

ほころびかけていた、四人兄弟の絆。

編集部:別のドラマとは?ベタですが、嫁姑問題とか。
安藤さん:いや〜、じゃない(笑)。
僕は6年間、嫁と店をやって大変でしたし、加えて、先ほども言ったように、深夜営業の時は週に2、3回、本店にも出勤するんです。
本店に行くと、過酷な労働のせいもあって、兄弟仲はギスギスしてました。ちなみにうちの社長と専務が双子なんですよ。一卵性の。双子ゆえに互いに張り合うのか、すごく折り合いが悪くてね。
でも、分かり合うためには、話し合いが必要です。とりあえず話し合いの場を持とうと。それで、僕の行きつけの店で第1回の話し合いが行われたんです。

編集部:兄弟会議ですね。
安藤さん:最初は普通のトーンで話しとんですけど、カチンカチンくるんでしょうね。雰囲気が重くなってくる。
編集部:同じ顔をしているから余計に。
安藤さん:そうそう。言葉では言ってないんやけど、空気で何が言いたいのかを悟るんでしょうね。
だんだん言い合いが始まって、最後は「二度とするか!こんな話し合い」と。
でも、めげずに次の話し合いのオファーをかけるんですよ毎週1回、姉も含めた兄弟4人で飯食うぞって、僕が決めたんで。
編集部:兄弟は来てはくれるんですか?
安藤さん:これが来るんです。例えば、財産があったら取るものだけ取ってバイバイっていう感じも世間ではあるかもしれないですけど、我々には莫大な借金があって、皆、連帯保証人の判をついてるんですね。
編集部:逃げられないわけですね。
安藤さん:そう、だから、何が得策なのかは分かってるんです。仲違いしてる場合じゃないと。

安藤さん:潰れたら絶対に追いかけられるということで、本能的には力を合わせなあかんというのは分かってるんです。でも、なかなか感情を押し殺せない。
だから、週に1回、兄弟で飯を食べる日を決めて。すると次第に軟化してくるんですよね。
けどやっぱり、理解し合うまでは少し時間がかかりました。兄弟仲も少しづつ回復し、整理回収機構に入って正常先になる直前、今度は両親が共にがんで倒れるんですよ。

編集部:同じタイミングで、ですか…。
安藤さん:そう。特に母親が胃がんで全摘して、めっちゃ弱ってしまったんです。僕らの嫁さんたちにも「あんたら、無理しんときよ」って。元気な時やったら絶対に言わへんようなことを言って。
そんな折、色んな事情が重なって、結局兄弟の嫁さんたちは、店から身を引くことになったんです。
編集部:これもまた運命を感じる出来事ですね。

安藤さん:ここからは僕の話なんですけど、その当時、34歳共働きで世帯収入的には裕福だったんです。でも店は大変な状態が続いていたんで、時間は全くなかった。
そんな時に、不動産投資を始めた友人がブログで色々と発信しているのを目にしたんです。あんな人に会った、こんな人に会ったって。それを見ていて、いくら稼いでいても、週に2、3回は深夜の仕事でしょ。
編集部:お金はあっても時間も心の余裕もない状態ですよね。
安藤さん:なんか、これはあかんような気がするって思うようになって。それに荒田の店は売り上げ規模はあまりないし、続けてても、という気持ちもありました。その時にちょうど、社運をかけた新神戸駅への出店計画があり、このタイミングで荒田の店は閉めようと。
でも、荒田の店を閉めるって親父に言ったら絶対に強硬に反対される。だから、内緒で閉店の日を決めたんです。機をみて、決定事項として持っていったんですけどね、そしたら「発祥の店を閉めるとはどういうことや」と。
編集部:まぁ、そうなりますよね。
安藤さん:僕は「これは相談ちゃう、決定やから」って通しました。
それで少し時間ができたんで、セミナーに行ったり、会いたい人に会いに行ったり、活躍している友達と一緒に飲んだりね。生活は苦しくはなりましたけど、すごく有意義な時間ができました。なので、僕は34歳ぐらいからが…。
編集部:青春だと。
安藤さん:そうそう。取り戻せ青春、みたいな(笑)。そしたら業績も良くなってね。「KOBE豚饅サミット®」を始めたのも荒田の店を閉めた後です。

(最終章に続く)

撮影/伊藤 信   取材・文/吉田 志帆