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店ものがたり「三宮一貫楼」編 〜最終章〜

安藤 孝志

三宮一貫楼

店ものがたり「三宮一貫楼」編 〜最終章〜

安藤 孝志

三宮一貫楼

〜前回のあらすじ〜

両親が立て続けに病に倒れ、ぶつかり合いながらも絆を深めた四兄弟。

一方、自分を見つめ直すために荒田の店を閉め、遅い青春を謳歌していた孝志は神戸の賑わいを取り戻すため、「KOBE豚饅サミット(R)」を計画する。

神戸のにぎわいをつくりたい。

編集部:「KOBE豚饅サミット(R)」を、最初に構想したのは孝志さん?
安藤さん:僕です。きっかけは異業種交流界、まぁ飲み会なんですけどね。
僕の親友が誘ってくれたんですよ。西宮と大阪で隔月最終金曜日の開催。で、梅田で飲んだ時のことです。最終の金曜日って梅田の周辺ってすごく賑わってるじゃないですか。で、飲んでテンション高いまま、電車で帰って、三ノ宮駅に降りたら、シーンとしてるんですよ。
編集部:確かに、私も夜の神戸は人が少なくて驚いたことがあります。
安藤さん:なんだこれは…となって。何ができるというわけではないですけど、神戸の街の賑わいをどうにか作れないかと思ったんです。
編集部:なるほど、そういう経緯だったんですね。
安藤さん:それと、梅田の北ヤードの開発が始まって、梅田阪急や髙島屋が増床によって大阪の百貨店の小売面積が1,5倍ぐらいに拡大すると、阪神間の消費者が大阪寄りになり、神戸の景気がさらに悪くなるという経済観測があって。すごく危機感を抱いたのもあります。
編集部:人の流れが変わると。
安藤さん:なので、うちも梅田の一角に店を持っとかなあんのちゃう?となり、北ヤードに開業予定の百貨店に出店のためのプレゼンに行ったんですよ。
そしたら、担当者から「我々も大阪で開業する以上は蓬莱を無視はできないから、御社が出店されるとしたらどういった展開をされますか」と聞かれ、「ガチンコ(実演を前に出した蓬莱と同じ形式)でやりたい」と宣言しました。局地戦では負けない自信があったので。ただしこちらはエースを現場に投入させないとしんどい展開でしたけど。でも、結局は蓬莱さんに決まってしまって…。

安藤さん:大阪は一強じゃないですか。
編集部:『551蓬莱』の一強。
安藤さん:そう。でも、神戸には『老祥記』あり、『四興樓』あり。
編集部:確かに、神戸は群雄割拠ですよね。
安藤さん:そうなんですよ。でも、ここを繋いだらなんか面白いものができるんじゃないかなと。

神戸が誇る豚まんがつなぐ縁。

編集部:打倒蓬莱?
安藤さん:確かに、自分のなかではVS蓬莱や、大阪バカヤローみたいな気持ちはありましたね。で、まずは『老祥記』の社長には話を絶対にせなあかんと思って。でも僕、全く面識がなかったんですよ。
編集部:そうなんですか!お店、すぐそばですけど。
安藤さん:ゆえに、ですよ。うちの親父も対抗心があったのかな。
編集部:でも対抗心があったからこそ、ここまでやれたというのはありますよね。
安藤さん:そうですね。でも僕も、「KOBE豚饅サミット(R)」をするまでは南京街を歩くことは、ほぼなかったんです。

編集部:それはまた意外です。
安藤さん:それぐらいね、踏み絵してるみたいな感じ。絶対に負けへんっていう気持ちがあったしね。今もね、豚まんは絶対にうちの方が美味しいと思ってます。
編集部:急に小声になりましたけど(笑)。
安藤さん:いやいや(笑)、負けないですよ。

実は、うちと『老祥記』さんは同じ厨房施設業者を使っていたんです。で、そこの社長さんにお願いして、『老祥記』さんと繋いでもらうことに。
その社長から「(老祥記の)オーナーの曹さんに話はしたから、後で電話して」という連絡をいただき、御礼を言って、電話を切るやいなや、すぐに曹さんに電話しました。その時、このまま電話をいったん置いたら、もうかけへんかも、と思ったんですよね。
で、電話に出た曹さんの第一声が「早いね」で。
編集部:確かに。
安藤さん:そう(笑)。
で、曹さんに、神戸の賑わいのために豚まんで何かやりたいんですけど、ご協力いただけませんかって話をしたら、すぐに「あぁ、オモロいね」と二つ返事で合意。ノリえぇな!って驚きました。ドラマ的には難航して欲しかったんですけどね。
編集部:二つ返事で。
安藤さん:で、渡りに船で「『四興樓』さんも呼ぶわ」と。『老祥記』さんと『四興樓』さんは華僑の先輩後輩なんですよ。

初回の顔合わせの席です。挨拶そこそこに、『老祥記』さんから、まず最初に避けて通れないお金の話をしようと切り出したんです。「助成金をもらう手もあるけど、それにしたらいろいろ紐付きになって、本当にやりたいことが出来ない。で、いくら出せる?」と。額は言えませんが三者の意見が見事に一致して、初回の事業規模が決まりました。
初回のKOBE豚饅サミット(R)の開催はYAHOO!のトップページで取り上げられたり、全国ネットのTV取材を受けたり、投資以上のリターンがありました。当時のうちでは厳しめの資金でしたが、渋らず出して本当によかったと思いました。

来年に記念すべき10回目を迎える「KOBE豚饅サミット(R)」。

編集部:「KOBE豚饅サミット(R)」の初回はいつですか?
安藤さん:2011年スタートで、今年で9回目です。
僕は甲南大学の経営学部卒なんですけど、そこでマーケティングを教えている西村教授という方が、行政と組んで街おこしを色々されていたのを聞いて、その方にアドバイザーとして入ってもらいました。それからイベント会社も入れて、2011年11月11日に第1回を開催することに。日程の決定は、こんなに1が続く日ってないよねという単純な発想からです。でも今では「豚饅の日」と認定も受けています。

イベントの当初の開催目的は、元気のない神戸を盛り上げようという事だったんです。でも、2011年の3月に東日本大震災があったでしょ。神戸市は、その16年前に阪神淡路大震災があって、大変なことになって…同じ被災地として何かしたいねという話になったんです。
で、売上げから義援金を送ろう、みたいなことを考えて、アドバイザーの西村教授に意見を求めたんです。そしたら、それは「KOBE豚饅サミット(R)」らしくないと。いっそ、被災地に赴いて豚まんを炊き出しようとなって。

編集部:場所はどちらに?
安藤さん:宮城県の名取市です。一番被害が大きかった沿岸部で。
編集部:交流はまだあるんですか?
安藤さん:あります。以来、毎年、行っています。6年前までは東北エリアで、名取、気仙沼、仙台を順に。
編集部:その際の調理道具とかはどうされましたか。
安藤さん:全国規模の中華料理の組合があるんですけど、ちょうど最初の東北遠征前に、組合の全国大会で震災の体験談を話して欲しいと『老祥記』の曹さんが仙台に招集されていたんですよ。その大会でたまたま隣になった人が『桂雀花』さんという仙台の豚まん屋さんで、被災地での炊き出しのための調理器具を全部貸してくださり、ガスの手配もしてくださいました。
今では「KOBE豚饅サミット(R)」にも家族で出店してくれています。
編集部:これもまた、豚まんが繋いだご縁ですね。
安藤さん:イベントの度にキーマンや仲間が増えて行く感じでうれしいです。東北の後に支援した熊本の方々との交流も続いています。
編集部:来年で10回目ですが、なにか記念イベントをされるご予定は?
安藤さん:そう、もう考えておかんと。ご期待ください。

神戸の人なら、誰もが知る店に。

編集部:しかし、波瀾万丈を絵に描いたようなお話でした。しかも、全てノンフィクションという。
安藤さん:なかなかない経験ですからね。
僕の立場だと、遊んできたボンやと思われそうじゃないですか。そんなことないんやで、苦労したんやでって!自分で言うのは格好悪いので言わないですけどね。結局、真面目にやればいいことあるぞ、と。
編集部:その言葉、とても染みるものがあります。ご両親は、その後…。
安藤さん:母親は一時は回復したんですけど、気力が戻らなくてそのまま。2010年、67歳ですね。
編集部:サムライのお父様は?
安藤さん:2012年、73歳で他界しました。
編集部:でも、兄弟仲も良くなって、天国で安心されているでしょうね。
安藤さん:そうですね、分かり合うためにはコミュニケーションが絶対大事。今も月イチで食事はしています。

編集部:今も!それはすごい。
安藤さん:しなかったらチューニング狂ってくるんです。
編集部:そこで息を合わせて。
安藤さん:そうそう、でもいまだに酔っぱらったら双子はケンカしますよ。
編集部:それはもう、よしとしましょうか(笑)。
安藤さん:皆ね、勘違いしているのは、近しい関係性だから言わんでも分かるやろっててこと。分からんからストレスになるんですよ。
双子の兄貴を見てきたから、“近しい間柄だから言わんでも分かる”ということを美徳とする考え方に、僕は違和感を感じるんです。
僕の兄貴たちは5分差で産まれたそうで、それで一卵性でDNAも一緒でしょ。性格占いとか運勢は統計学的に同じですよ。でも、ボコボコにケンカをするところも見てきてるじゃないですか。そう考えたら、人は絶対に分かり合えへんなって思う。
編集部:ほぼ同一人物のはずなのに。
安藤さん:そう。だから、俺たち分かり合えてるよな、とか言うのは、正直、アホちゃうか!と思う。
家庭内でも、ケンカするのは当たり前って思ったら、そんなにストレスにならないんですよ。
兄弟も今は仲はいいですけど、それまでに色々あって、でも、逃げなかったですからね!逃げられなかったとも言えますけど。

編集部:最後に、今後の展望を教えていただけますか。
安藤さん:展望か〜。僕は、あまり先の事は考えないようにしてるんですよね。
編集部:創業から65年。今年は節目の年でもあります。
安藤さん:なんやろなぁ。神戸市民で知らない人がいない店にしたい。
そういうと、もうなってるって言われるんですけど、そんなことはないです。前に東灘で名刺交換したんですが、その相手が神戸の方で。こっちは「あっ、知ってます」と言われるのをどこかで期待してるんですけど、「この店、知ってる?」という感じで。まだまだ、こんなもんやって思ったんですよね。
だから、より深く神戸に根ざして、誰もが知っている企業になりたいなと。自分たちが思う以上にね。

撮影/伊藤 信  取材・文/吉田 志帆