十一食目
『クラフトビール フォア ザ ピープル ブリュードッグ流 あたらしいビールの教科書』
リチャード・テイラー、ジェームズ・ワット、マーティン・ディッキー著、
長谷川小二郎 日本語版監修・訳(ガイアブックス)
酒というのは不思議なものである。
世界中どこの国へ行っても、その国独自の酒というものがある。
交易の歴史のなかで伝播した物もあるだろうが、それにしても酒の種類は多すぎる。
ジャガイモから作るアクアビットやブドウの搾りかすから作るグラッパなど、酒に対する人類の情熱には並々ならぬものを感じる。
酒の歴史に明るくはないが、素人目に見ても酒という物が我々人類と切っても切れない存在である事は間違いないだろう。
その中でもすごいのがビールだ。
ビールはどこの国に行っても、その国のビールがある。
ビールといえばドイツやイギリスなどヨーロッパ圏のイメージが強いが、中国の青島ビールやベトナムの333などアジア圏はもちろんのこと、エジプトやパキスタンなど宗教において酒を飲むことが禁じられている国ですら自国産のビールがある。
我が国日本でも「とりあえず生」という言葉が定着するほどビールは人気があり、人によっては我が国固有の酒である日本酒や焼酎はあまり飲まないが、ビールならという人もいるだろう。
いったい、ビールは何故これほどまでに人の心を魅了するのだろう。
その詳細に立ち入ることはここではしないが、ビールが世界でもっとも愛されている酒であることは間違いないだろう。
今回紹介する本『クラフトビール フォア ザ ピープル ブリュードッグ流 あたらしいビールの教科書』はスコットランドのブルワリー(醸造所)「ブリュードッグ(BrewDog)」の創業者たちによって書かれたビールの教科書とも言うべき一冊である。
本来は書評を書くような本ではないのだが、私がブリュードッグの熱烈なファン(ビールではなく、ブリュードッグという醸造場の)であることと、夏らしい内容のものをということで、この一冊を選ばせて頂いた。
クラフトビールとは日本語で言えば「地ビール」にあたるもので、大手の酒造メーカーではない小規模な、または個人の醸造家が作る“手作り”のビールのことである。
バンドマンは情熱と楽器を手に音楽を作り、醸造家は情熱と醸造設備を手にビールを作るのだとブリュードッグの創業者たちは言う。
そして醸造家たちにとって大切なことは、音楽家と同様に自分が本当に良いと思う作品を生み出すことであり、お金は結果に過ぎないと。
私はこの様なブリュードッグのものづくりに対する偏屈なまでの姿勢に惚れ込んでいるわけだが、本書はその期待に十分応えてくれる本気の「ビールの教科書」であり、ビール好きにとってはたまらなく面白く、そうでない人も読むと今夜はちょっとビールでも飲んでみようかという気にさせてくれるだろう。
本書のなかで特に興味を惹かれるのは、様々なビール(銘柄ではなく種類)を分類し、その代表的な銘柄を挙げ詳細に解説している箇所だが、その種類の多さと造り方が多岐に渡ることには驚かされる。
初めは大して差など分からないものを色々と試すうちに判断基準が生まれ、やがてはハッキリと自分の好みが出来上がるのは何でも同じだが、ビールにおいてもそこは同じである。
惜しむらくは、それほど多種多様なビールを飲み比べる機会の少ない我が国の現状か、はたまた自分の怠慢か。
また本書はビールについてのあれこれを解説する中で、当たり前のことというか当然ながらブリュードッグの商品についても紹介している訳だが、これが非常に面白い。
一つ一つの商品にハッキリとした思想があり、これまでの長い歴史から生まれた様々なビールに対する敬意と、それを自分たちの手でさらに一歩先へ進めようとする情熱を感じることができ、ビール造りが想像以上に創造的で刺激的な面白さに満ちていることに気付かされる。
本書では紹介されていないが、ブリュードッグは過去に高級スコッチウイスキーの空樽で三ヶ月熟成させたうえ、アイスボックという手法でアルコール度数を32%まであげた「タクティカル ニュークリア ペンギン」という、もはやビールとは呼べないビールを売り出したことがある。
500本の限定生産と特殊な販売方法のため、正規に流通したのは250本であり、当然、私は飲んでいないのでそれが美味しいのかどうか判らないのだが、何よりその攻撃的なまでの実験精神に驚きを通り越し笑ってしまった記憶がある(ちなみに国内での販売価格は一本8,000円でした)。
本書はこれ以外にも、自分でビールを作るための(情熱によっては個人醸造家になれるほどの)器具や手法、アイデア、試飲会の開き方、そして様々な種類のビールに合う料理などについても詳細に解説しており、ビールを飲む側の人間だけでなく作り手側になることを夢見る若い世代を真剣に応援しようという彼らの姿勢が表れている。
しかし最大の特徴は、全編を通して書かれているブリュードッグの創業者たちのビール造りへの愛情と、クラフトビール業界に対する反骨精神ともいえる姿勢だろう。
本書のなかで創業者たちは、ビールが如何に素晴らしく如何に楽しめる飲み物か、そしてビール造りが如何に情熱を傾ける価値のある仕事かについて語ると共に、いまクラフトビールの世界が個人の手を離れ、大企業の資本に飲み込まれつつある現状を指摘する。
彼らは決して商売人ではなく、自分の愛する物を大切にし、価値ある物を作り出したいと願う生粋の職人の集まりであることが、その言葉の端々から伝わってくる。
はじめ、本書を手に取った時は世界から注目されるブルワリーが自画自賛と共に自社製品を宣伝するための本かと思ったが、その実は無骨な職人達による反骨精神溢れる指南書であった。
全体を読み終わった後、私は「儲け口より稼ぎ口」という言葉を思い出した。
稼ぐというのは働きに応じた報酬を得ることを意味するが、すなわちそれは報酬を得るに十分な仕事をするという職人の矜持でもある。
本書は、言葉や文化が違えど、自らの仕事にプライドを持つ職人達がどこの国にもいるということを教えてくれる。
写真/伊藤 信 企画・編集/吉田 志帆 撮影協力/インキョカフェ