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二十二食目

『カレーライフ』

竹内真著(集英社)

カレーライスは小説に似ている。

などと考えたことは一度もなかったが、今回紹介する小説『カレーライフ』を読んだ感想はこうであった。
多分、著者もそう考えているのだろう。カレーライフというタイトルからすると、カレーライスと人生が似ていると考えているのかもしれない。
小説は大なり小なり人の人生を作品に落とし込むものだから、小説とカレーライスが似ているというのも、三段論法を用いれば正しいことになる。

カレーライスには様々な不思議があることはあちらこちらで散々指摘されているが、改めて考えてみてもやはり不思議の多い食べ物である。
多くの日本人を虜にし、誰しもが一家言を持ち、インド発祥でありながらインドにはカレーという料理がなく、家で気軽に作ることもできる一方で真剣に取り組みだすと底なし沼のように果てしない世界が広がっている。
それ故、私は意識的にカレーを遠ざけ、深く踏み込まないようにしてきた。
いまだに好きなカレーを問われたときは母親のカレーと答えている。

なぜそうしているかと言うと、カレーを構成する要素があまりにも複雑で真面目に向き合うと神経が衰弱してしまいそうだからだ。カレーに使用されるスパイス一つとっても種類から扱い方に至るまで様々あるし、インドカレーやタイカレー、スリランカカレーに欧風カレーと、探求すべき対象も広すぎる。
それならば、食べ親しんだ母親のカレーが一番美味いと言って生きていくのが、私にとって一番楽なのだ。

これは人それぞれだから、もちろんカレーを愛し、探究している人たちを悪く思う気持ちは微塵もない。なぜこんな話をしているのかというと、これこそがこの『カレーライフ』という小説を紐解く最大の要素であるからだ。

物語は、父親の死をきっかけにカレー店を開くことを決意した主人公が従兄弟たちと力を合わせ、開店を目指すというものながら、単行本では総ページ数460二段組という長編になっている。
このテーマでいったい何故これだけの長編が書けたのか、くどい様だが、やはりそれも小説とカレーライスが似ているためなのである。

主人公と従兄弟たちは様々なカレーのレシピを求め、アメリカ、インド、沖縄と世界を駆け巡る。そこで描かれるのは単なるレシピ探求の旅ではなく、疎遠になっていた従兄弟たちが成熟した大人として関係性を再構築していく人間ドラマであり、ロードムービーのような若者たちの旅の物語である。
そして主人公たちが幼いころに洋食屋を営む祖父が食べさせてくれたカレーの味を追うなかで、自分たちのルーツを知り、若き日の祖父の姿を知っていくという家族の物語でもある。

著者は作品の中で人生の縦糸と横糸を丁寧に紡ぎ、物語を生み出している。
それゆえ、登場人物や語られるエピソードも数多く、読む人によっては煩雑で突散らかった印象になることもあるだろう。
しかし、そこにこの小説の本質があるのだ。

この本を手に取ったときは、私自身もカレー店の開業を目指す物語でこの分量が必要なのかと思ったが、著者がこの作品で描きたかったのはカレー屋開店始末記ではなく、凡そ誰の人生にもあるはず、あったはずの、家族と仲間と青春と少しの冒険の物語なのだ。
では、カレーは単なる付け合わせなのかというと、そうではない。
著者が自身のTwitterのプロフィールに「犬とカレーが好きなのだ。」と明記しているように、カレーについても造詣が深く、物語に沿って様々なカレーのことがたっぷりと書かれており、その中のいくつかは実際試してみようかという気にさせられるものである。

特に美味しそうだったのは、亡き祖父のカレーを追ううちに沖縄で出会うラフテーのカレーで、そこで明らかにされる祖父のカレーの隠し味は意外なモノであった。

私がなぜ冒頭でカレーライスと小説は似ていると言ったのか、勘の鋭い方はそろそろ気付かれているのではないだろうか。
それは最初に私が述べたカレーと向き合わない理由と、深く関係している。カレーを取り巻く世界は広大で、それを構成する要素は複雑極まりなく、その組み合わせ、取捨選択は無限と言ってよい。
どのスパイスを選ぶのか、それをホールのまま使うのか、それとも砕いて使うのか、いったい何グラムいれるのか、どのタイミングでいれるのか、具はどうするか、できあがったものは何と食べるのか。
小さな要素と小さな選択の膨大な集積の結果としてカレーがある。
そして我々の人生も同じように広大で複雑で、日々の数限りない選択の上に成り立っている。著者はこのように、人生を、そして小説を構成するモノをカレーライスに重ね合わせたのではないだろうか。

カレーを探究し進化させてきた先人の知恵は、今の自分に繋がる家族という縦の糸であり、スパイスをはじめカレーを作る過程で行う様々な選択は、今を生きている自分や仲間、とりまく環境という横の糸である。
そして、それら縦横の糸を丁寧に紡げば紡ぐほど、物語は厚みを増し、本の厚みも増していく。
タイトルの「カレーライフ」はカレーに人生を捧げた男の物語の意味ではなく、ましてやカレーライスを単純にもじったものでもないだろう。そこにはカレーライスと人生と小説をつなぐカレー好きの著者の、ユーモアめいた哲学が隠れているのではないだろうか。

さて、ここまで書いて私は、カレーひとつと向き合えないようでは人生と向き合うなど到底できないであろう、という結論にたどり着くのであった。
明日からは、恐れることなく果敢にカレーという沼に足を踏み入れていこうと思っている。

写真/伊藤 信  企画・編集/吉田 志帆