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二十三食目

『作家の酒』

コロナ・ブックス編集部編(平凡社)

みなさんは他人の食事というものが気になるだろうか。
私は実はそれほど気にはならない。
歳をとり、食の好みも固まり、新しい冒険に尻込みするようになったことに加えて、自分の食へのこだわりにいささかの自信があることが原因だろう。要するに、歳をとって頑固になったというヤツだ。

また、周りには新しい店がオープンしたと聞けばこまめに足を運び、その様子をSNSに投稿してくれる友人知人がたくさんいるので、それで事足りている面もある。

そんな私でも、何を食べ何を飲んでいるのか気になる人がいる。いわゆる著名人というやつだ。「誰々が何を食べていたか」という本や漫画は、意外に数があり、一定数の需要があるテーマなのだ。

身近な友人知人の食卓には何の興味もないが、著名人となるとちょっと読んでみようかしらという気分になるのが不思議だ。単なるミーハー根性なのかというとそうでもない。
今をときめくアイドルや芸人の食卓にはとんと興味が湧かない。しかしこれが例えば、美空ひばりや古今亭志ん朝、先日鬼籍に入られた中村吉右衛門などと言われると、俄然興味が湧いてくる。

今回紹介する本『作家の酒』も私にとってはそんな本の一冊だ。
こちらは平凡社のコロナ・ブックスシリーズの創刊150巻を記念して企画された一冊で、シリーズ自体は現在第228巻まで刊行されている。コロナ・ブックスは毎号テーマを1つに絞り、読者の好奇心を満たすべく作られたヴィジュアルブックで、このシリーズを全巻読んでいる人は相当な博識なのでは、と思う。

今号では井伏鱒二や山口瞳などの狭義の作家(いわゆる文筆家)から、三島由紀夫、赤塚不二夫、小津安二郎、田辺茂一など広義の作家(三島由紀夫は文筆家であるが)まで総勢26名を幅広く取り上げ、当人たちが酒について語った言葉や酒にまつわるエピソードと、当人たちが好んだ酒や肴、通っていたお店などの貴重な写真を併せて紹介しており、表紙の写真は井伏鱒二だ。

“酒仙”と言われた井伏には酒食にまつわる逸話が多くあるが、本書では「横綱酒」と銘打ち、荻窪の自宅に文士仲間が集まり出すと、まず夫人に食事の準備をさせ、腹ごしらえをすませたのちに、井伏ロードと呼ばれる荻窪から新宿へのはしご酒がお決まりのコースであったというエピソードが紹介されている。

この他にも、吸い飲みで冷や酒を一合飲み、旨いと喜び眠るように逝ったという田村隆一、アルコール中毒で困窮を極めても毎回倒れるまで酒を飲みつづけた稲垣足穂、文壇バーなどを敬遠し、きちんとした身なりで高級クラブなどで飲む酒を好んだ三島由紀夫、器や酒肴にこだわり一日三升のんでも決して乱れることのなかった立原正秋など、作家の作風がそのまま酒の飲み方に出ているかのようなエピソードもある(もしかしたら逆なのかもしれないが)。

酒食好きの作家として有名な池波正太郎のエピソードは、昼に蕎麦屋の鴨ぬきで燗酒を飲み、ざるそばでしめるというもので、深酒はしなくとも食事には必ず酒がついたといい、編集者曰く「先生は完全に酒を制しておられた」とある。
池波は日頃から自身のエッセイでも酒の飲み方についてよく記しており、池波好きの人間からすると別段とりたてて目新しい話ではないのだが、粋で硬派に思えた池波の飲み方もこの本の中ではいささか格好をつけすぎの様に思えてしまうのが面白い。

酒を飲みクダを巻いたり、人様に迷惑をかけたり等はないに越したことはないが、四六時中、それこそプールの中ですら酒を飲んでいたという赤塚不二夫のように、破天荒な飲み方をする人物が生み出す作品の熱量を考えると、お行儀よく飲む姿勢ばかりが素晴らしいわけではないという気にさせられる。

酒をたくさん飲むから良いモノを作れるという訳ではないし、反対に酒に溺れないから良いモノを作れるという訳でもない、ただ、酒や食事というのは、その人のむき出しの部分が出やすいのではないだろうか。本書を読んで、そんなふうに考えるようになった。

人間の三大欲求の中で、外に向けて最もオープンなのは食欲だろう。
そうすると、何を食べ何を飲んでいるのか、そのことに哲学を持っているのか、はたまた何もないのか、作家のように自分の内面をさらけ出すことが仕事のような人々にとっては、そこに自らの作品に通ずる何かが垣間見えるのは当然のことなのかも知れない。
冒頭で、友人知人の食卓に興味はないが、著名人のものとなると別だという旨のことを述べたが、どうやらこの辺りに秘密があるようだ。

食卓にその人の内面が見え隠れするとしたら、やはり私は美空ひばりや古今亭志ん朝や中村吉右衛門の食卓に惹かれるし、赤塚不二夫や池波正太郎が何を飲み何を食べたかを知ることで、その思想や哲学に触れたいと思う。
それは、時に抽象画が写実的なものより、イマジネーションを刺激してくれるのに近い。

こう書くと私が友人や知人を軽んじているように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。
我々はまだ道半ばであり、今日是としたことが明日非になることもある。
我々が七十、八十の坂を越えるころには、きっと私は友人たちの食卓に興味を持つだろう。
それよりも今はただ、同じ酒を同じように旨いと言って飲み、同じ肴を同じように旨いと言って食えれば、それで良い。

 

写真/伊藤 信  企画・編集/吉田 志帆