勤労感謝の日は、「新米を食べる日」なのをご存知でしょうか?
秋の行楽シーズンにやってくる素敵な国民の休日「勤労感謝の日」は、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを主旨とした国民の休日ですが、もともとは「新嘗祭(にいなめさい)」と呼ばれる収穫への感謝を祀りにした古代から続く宮中行事のひとつであることを知っている人は少ない。
戦後、天皇行事・国事行為から切り離され、現在の勤労感謝の日となったが、いまも宮中や全国の神社では大切なお祭りとして「新嘗祭」は続いています。
農業と人間の身体の関係は深く深く、どこまでも切り離せない。人間の生活、文化、政治経済にも、農業は深く関わっています。その最たる事象が「お祀り=国家行事」で、「新嘗祭」は西暦700年代から、現在の11月23日に執り行われていたと言われる代表的なお祀りです。
そのせいか、昔からこの日には、新米を食べる習慣があったし、今でもそれを守られる方もいらっしゃいます。いまでは、初物を食べる時期も早くなってきており、11月23日では遅いぐらいですが、だからこそ、この日に新米をいただくことの価値を感じます。
新嘗祭だけでなく、日本のお祭りの大半は農業に関わっています。種作り、田植え、夏の手入れ、収穫前、収穫後と、そのタイミングでお祭りが行われます。今のようにメディアも、娯楽も少ない時代、それらの農作業の都度、人が集まり、村の農作業を村単位の集団で行い、最後に最も金持ちや地主の家で農作業を行い、その家がお金を出して打ち上げが行われてきました。それがだんだんと祭りになってきたのです。農作業がいったん落ち着いた後は、男女は結婚相手を探して、つかの間の休暇を楽しみ結婚などに進んでいったりしたようです。
なので、祭りでは男性はより男っぽく、女性は女っぽくなるような踊りや舞の動作や恰好が多いのです。江戸時代、町中でも男性は女性の足元に色気を感じていたので、襦袢という身体のラインが出る物になってきており、お祭りでは襦袢を出すことが多い。同様に女性は男の色気をお尻に見出していたので、ふんどしという文化が出来上がったという説もある。
現代は消費社会を突っ走っています。消費というのは、つまり「お金の消費=経済的に回っている」かどうかに尽きます。経済を中心とした生活を否定はしないですけど、あまりにも食文化がお金の道具に成り下がっている現状があると感じます。いいものを贅沢に、あるいは曲がりものを大量生産し大量消費する社会に。日本は年間、食料消費全体の2割にあたる約1,800万トン、およそ11兆円廃棄していると言われています。「もったいない」のはもちろんですが、それだけ儲けを出す人が必要で、それだけお金が食物に使われている現状を考えてみてほしいのです。
今から人口が減り、消費が減ってくる。こういう時こそ、大量消費ではなく、贅沢の道具でもなく、身の丈に合ったレベルで、食を充実させていく事が、これからの豊かさのヒントになると思います。
お祭りには、本来の意味を理解し生活に浸透させることで、日常の充実感をさらに高めるチカラを持っていると思います。勤労感謝の日を例にとっても、その意味合いを辿れば農業と人間の深い深い関係が見えてきます。