十六食目
『かもめ食堂』群ようこ著(幻冬舎文庫)
子供のころテレビのアニメは作品数も多くなかったせいか、人気のあるものが繰り返し放送されていて、ちゃんと観ていなくても何年かのうちに結局、全体を通して観たことになっていたような気がする。
よく観たものといえば、「一休さん」、「トムとジェリー」、「アルプスの少女ハイジ」、「スヌーピー」などの名前が挙がるが、そのなかに「ムーミン」があった。
カバのような主人公(トロールという架空の生き物であったのを知るのは大人になってから)を始めとした不思議な生き物たちが登場する物語で、幼心に陰鬱とした印象のアニメだと感じていた。
そのアニメがフィンランド生まれであることを知ったのも大人(それも随分な大人)になってからだった。今にして思えば、「トムとジェリー」や「スヌーピー」等と比べ暗い印象を受けたのはフィンランドとアメリカという文化圏の違いのせいだろう。
私がなぜムーミンについて詳しく知ることになったのか思い返してみると、どうやらある時期に我が国で「北欧ブーム」なるものがあったことが原因ではないかと思われる。
国を挙げての一大ブームのような物ではなかったが、たしかに一時期、「北欧の文化」をテーマにした様々な情報があちらこちらに溢れていた。そして今回紹介する『かもめ食堂』こそ、その北欧ブームの火付け役だったのではないかと私は考えている。
ただ、この作品は作家の群ようこが先に映画の脚本を担当し、映画公開の3年後に書籍化された物であるから、本当の火付け役は映画の「かもめ食堂」の方かもしれない。
製作当初から「舞台はフィンランド」、「主人公は女性3人」、「店の名前はかもめ食堂」というところまで決定されており、それをもとに群が脚本を執筆したことは監督の荻上直子や群自身へのインタビューでも語られている。
タイトルの「かもめ食堂」は主人公であるサチエがヘルシンキで開く食堂の名前で、物語はこの異国の食堂で出会ったサチエ、ミドリ、マサコという3人の日本人女性や店を訪れるフィンランドの人々の人間模様を主軸に書かれている。
読後の感想はタイトルに反して食に関する記述が少ないというものであったが、読み返していくうちにこの作品の特徴が良い意味での「普通さ」にあり、当初の私が抱いた感想は間違いであったことに気付かされる。
登場人物たちは、我々がそうするのと同じように朝起きてコーヒーを飲み、市場で買い物をし、食事の支度を整え、食べる。
決して極端に食べることの記述が少ないわけではない。ただ、それらのことが普通の生活の営みとして作品に溶け込んでいたため、当初のような感想を持ってしまったのだ。
もちろん、タイトルから私が幾分過剰な期待をしていたことにも原因がある。
群は登場する人物一人一人のバックボーンをしっかり書きながらも、それらの人々の心の動きには踏み込まない。
心理描写が少ないため最初は登場人物がどんな人間なのかよくわからず戸惑うが、読み進めていくうちに彼ら彼女らの言動からその人間性を次第に理解していくことになる(ただし、主要人物のひとりであるフィンランド人の青年トンミ君については、最後まで謎のままであった)。
心理描写が少ないと書けば作品として不出来なようだが、そうではない。
それは筆者からの指示がないということであり、解釈が私たち読み手に委ねられているということだ。
そのため読者は、それぞれが置かれている状況や価値観を頼りに登場人物に肉付けをし、それぞれに人物像を作り上げていくことになる。
ただ、このこともよく考えれば我々の日常では普通のことである。
誰だって本当のところでは他者の心の内なんて判らないのだから。
群の作品が多くの読者の共感を得ているのは、この辺りに秘密があるのかもしれない。
こう書くと作家として無責任に感じるかもしれないが、群は解釈を読者に丸投げしているわけではなく、ちゃんと作品を理解するための道標も用意している。
例えばこの作品では「おにぎり」と「シナモンロール」という二つの象徴的な食べ物がそれにあたるのだろう。
作中で主人公のサチエは店でおにぎりを出すことに強いこだわりを持っており、一向に人気が出なくてもメニューから外すこともしないし、現地の人の舌に合うようにアレンジを加えることもしない。
その一方、現地の食べ物であるパン菓子の「シナモンロール」は店を訪れる人々のあいだで美味しいと評判となり、それを目当てに再訪する人が出るまでの人気のメニューとなっていく。
群は先述のインタビューのなかで「毅然としている人を書きたかった」と語っているが、このサチエの美味しいものは美味しいと胸をはって「おにぎり」を出し続けながらも、日本食にこだわることなく「シナモンロール」などの現地の食べ物をメニューに加えている姿に、威張ることも迎合することもなく異国の地で異邦人として自然に生きる女性の姿を象徴させたのだろう。
食堂がテーマの物語となれば、苦労のすえに看板メニューを生み出したり、思い出の料理が登場したり、はたまたトラブルを料理で解決したりするものだが、この作品ではそういったことは一切起こらない。
それは群が書こうとしたのが大きな事件や人生の一大事に読者を巻き込むような物語ではなく、誰しもに起こりうる様な、それでいて読む者を勇気づけられるような、そんな物語だったからだろう。
その舞台がたまたまフィンランドであっただけなのだ。
繰り返しになるが、この物語は良い意味で“普通”の物語である。
だからこそ余計に「おにぎり」や「シナモンロール」というありふれた食事の魅力を再発見することが出来たのかもしれない。
結局のところ食べ物を美味しくするのは、その食べ物を取り巻くストーリーなのだから。
そうすると我々はこの物語の登場人物のように自らの生活と丁寧に向き合うことで、日々の食事を何倍も楽しむことが出来るはずである。
この作品を読んでおにぎりやシナモンロールを食べたくなる人もいれば、いつもの味噌汁やトーストの美味しさを再発見する人もいるだろう。
久しぶりに、能動的に物語を読むことを思い出させてくれる良い本だった。
写真/伊藤 信 企画・編集/吉田 志帆