20年前はおよそ230店舗。そして現在は80数店。これは、京都市内にある豆腐屋の数だ。豆腐が好まれる京都であっても減少の一途なのだから、全国で見ると推して知るべしだろう。逆風の時代、一軒の豆腐屋が左京区一乗寺に開店した。店の名前は「一乗寺とうふ」。豆腐のように真っ白なのれんが眩しく映る。
北野天満宮前にある明治創業の老舗豆腐店「(有)とようけ屋」で修行ののち、独立した。店主の万庭博昭さんは48歳。豆腐職人になったのは、なんと30歳になってからと言う。
「昔から豆腐づくりには興味があって、本を買ったりはしていましたね。当時は出町柳にある“こんにゃく”の製造元に勤めていたんですけど、より手づくり感のある豆腐を作りたくなって」
30歳の大晦日に会社を退社。偶然にも「(有)とようけ屋」がパートを募集していることを知り、千載一遇のチャンスと年明け早々、問い合わせたが、男性の募集ではないと断られてしまう。が、ここがいわゆる運命の分かれ道だった。
「豆腐屋の募集はそうあるもんじゃないと思っていたんですね。僕の記憶では2、3時間の間に7回ぐらい電話をかけたんですよ。同じ人も違う人もまちまちで出はったんですけど、最後の最後に「勘弁してくださいよ」と言われまして(笑)。今から思えば、それが僕の分岐点やったんやなと思います。その当時の専務さん、今の社長さんがそんなに電話かけてくるやつの顔、いっぺんみてみたいから、来てくれへんかと言われて、そのまま採用してもらったんです」
洗い物や豆腐のパック詰めから仕事を覚え、同年の節分の頃には早くも製造に関わるように。異例のスピードだった。それからは木綿豆腐に始まり、扱いが難しいニガリを使った絹ごし豆腐まで。職人の世界というととても厳しいイメージがあるが、「寛容に育ててもらった、いい時代やったと思います」と振り返る。
「体が元気やったら、もっとやってたと思うんですけど…」。豆腐づくりを始めて18年。体調を崩し、昨年6月に退社。病気は数ヶ月で完治したが、豆腐づくりにもう未練はなかった。
「お豆腐はもうえぇかなと。違うことをしたくなって」。なんでも、農業高校時代にプチトマトの栽培を学んでいた経験から、両親の実家がある岡山でトマト農園をするつもりだったそうだ。次は夫婦でできる仕事を、という考えからだったが、「そんなこと言わず、豆腐やったら?」。夫が作る豆腐のおいしさをよくよく知っていた妻の美保さんからの激励に背中を押された。それから1年弱の準備期間を経て、6月20日に開店。出店の地は自身が育った町、一乗寺に決めていた。
冒頭でも触れたが、豆腐屋には向かい風の時代、ましてやコロナ禍中での創業だ。背景には相当の想いがあったのではと聞くと、「大したことは何もないんですよ」と困ったように笑う。それでも、商いのために資産という資産はすべて手放した。「資本は僕の体だけ。でもまぁ、その方が楽しいかなと思ってね」。
「お揚げさん、ちょうだい〜」
豆腐や揚げたての揚げを求めて、開店早々、次々と客が訪れる。なかには遠方からの常連もいて、閉店時間を待たずにのれんを仕舞うことも少なくない。万庭さんは「豆腐屋が珍しいからちゃいますかね」と分析するが、もちろんそれだけではないだろう。
「これは(「(有)とようけ屋」の)社長、今の会長がおっしゃっていたことなんですけど、工場は“顔”が見える方がえぇと」。曼殊院通りに面したコンパクトな店舗兼工房はガラス張り。表から器具や製造風景が見える仕様だ。
豆腐づくりは前の晩から。豆乳づくりの前段階で、大豆を水に浸けるところから始まる。「水に浸ける時間は季節によってちゃうんです。秋なら12時間ぐらい」。「豆乳づくりが豆腐づくりの基本」と万庭さんは言う。「油揚げと豆腐では違っていて、揚げは豆が泡を吹く程度まで浸けています。お豆腐に使う豆は割った時に芯が残るようなイメージですね」。浸水後はそれぞれの豆を圧搾。理想は、さらっとしているけれど高濃度・低粘度な豆乳だ。
古巣に倣った、昔ながらの製造を貫く。ただし、基本の木綿豆腐だけはオリジナルにこだわった。木綿豆腐は大きな塊の絹ごし豆腐を作り、型箱に入れて圧搾したものが一般的な製法とされるが、店では絹ごし豆腐の成型に使う絹缶を使用する。それも、絹ごし20丁分ほどを絞って15丁ほどに濃縮。豆乳も普通の絹ごしに近い濃度こだわった。「そうすることで、甘みがあってやわらかく仕上がるんです」。
もうひとつ、「一乗寺とうふ」の名物が“お揚げさん”だ。
「“京揚げ”ってご存知ですか? 油揚げとはまた別物なんですよ」。確かに、こちらの油揚げはスーパーで見かける一般的なものと比べると分厚く、サイズも大ぶりに見える。簡単に言うと、木綿豆腐の水気を切って揚げたものが油揚げだが、製法によって呼び名が変わるそうだ。こちらの油揚げは京揚げと呼ばれるもので、京都では最も古い製法とされる。
「作り方は、まず、濃度の薄い豆乳にニガリを入れて櫂で合わせて、水と豆腐を分離させます。「腰かけニガリ」というんですけど、ニガリは一度にではなく少しずつ加えて、水の中に僕の小指ぐらいのおぼろ豆腐がいっぱい浮いている状態にするんですね。それから水気を切って深箱に入れ、ものすごく大きな木綿豆腐を作るんです。豆腐を手で切り分けたものを板に乗せてプレスし、揚げたものが京揚げです」
「せやし、お客さんの中にはお揚げが大きいという人もいるけど、そういうことではないんです。大きいのを売ったらお客さんが来るかなではなく、うちのは京揚げやから」
取材時、揚げたての京揚げを特別にいただいた。「僕は醤油で食べるのが好きやね」。揚げたてはとても香ばしく、ふっくらジューシー。噛むと豆の甘さがほんのり感じられる。油揚げは大好物で家でもよく食べるが、一般的な油揚げとは、やはりひと味もふた味も違う。
雨の日も風の日も。日々、淡々と繰り返される豆腐づくり。今日はいい豆腐ができた、そのような日はあるのですか?と尋ねてみた。すると、「それでは困るんです。同じじゃないと」と。「例えば、浸け時間であったり、ニガリの量、あとは攪拌の強さや豆乳を炊く時の温度。毎日、同じものを作るために、毎日、少しずつ、色んなところを変えています」。いつもと変わらぬ味。それが、豆腐屋の矜持であり、腕の見せどころなのだ。
「70歳ぐらいになったら子供も成人してるやろうし、それまでボチボチ、お豆腐を作ってやっていけたらと思っています。儲かるためにということは一切考えていないです。僕が何千万も借金してたらまた違っていたのかもしれないですけど」。豆腐と向き合える環境ということですね。そう言うと、「全部、手放したからできるんやろうなと思います。毎日、豆腐のことしか考えてませんし、豆腐の夢ばっかり見てます。休みの日も豆腐の夢見てるし、こんなんやったら休まんと豆腐作ってる方が気が楽やわ」と笑う。
最後に、日々、一心に豆腐と向き合う万庭さんが目指すお豆腐とは、どのようなものなのだろうか。聞くと、大豆の問屋でのエピソードを披露してくれた。
「問屋の94歳か95歳の会長さんに豆腐の試作品をお渡しする機会があったんです。それから何日か後に会長の部屋に招かれて。そうしたら「お豆腐って神聖なもんなんや、なんでか分かりますか」と。「豆ってちょっと黄色いやろ。ちょっと黄色いもんから純白を作らなあかんねん。おかしな考えを持ってたらすぐに豆腐に出るから、純粋な気持ちで豆腐を作ってください、白い豆腐作ってください」って言われて。
理想のお豆腐は何かと言われたら、僕は製造している最中もそうやけど、作り終わった後、今日の豆腐は白かったんかなぁって。味やかたち、色んな豆腐があるけど、僕のは白かったかなって」
開店は朝10時。真白なお豆腐が、今日もショーケースに並ぶ。
写真/伊藤 信
一乗寺とうふ
住所/京都市左京区一乗寺宮ノ東町47
電話/075-722-2036
営業時間/10時〜18時 定休日/水曜&不定休
もめん豆腐、絹ごし豆腐各200円、お揚げ200円など。
※価格等の情報は取材当時のものです。