1月24日は「すき焼きの日」。明治5(1872)年1月24日に、明治天皇が初めて牛肉を食したことにちなんで制定されました。
古代日本では、シカやイノシシなどの肉が食べられていましたが、6世紀に伝来した仏教思想の影響を受け、たびたび「肉食禁止令」が発布されました。公には肉を食べることはできませんでしたが、江戸時代には「薬食い」と称してこっそり肉を食べる人もいたそうです。
肉食が解禁されたのは、明治維新以降のこと。富国強兵を掲げた明治政府は、国民の身体づくりのため、滋養があるといわれる肉食を推奨しました。また、明治天皇は肉食解禁令を出し、自らが牛肉を食べることを宣言しました。その理由は、欧米諸国との外交において欠かせない会食の場で、西洋料理を食べるためでした。
天皇が牛肉を食べたことをきっかけに牛肉文化が一気に広まり、肉食は文明開化のシンボルとなりました。関東では「牛鍋屋」が続々とオープン。「牛鍋」はぶつ切りにした牛肉とネギのみを味噌だれで煮込む料理で、現在の関東風すき焼きのルーツといわれています。当時は食肉の処理技術が発達していなかったため、固い肉質で、臭みも強かったそうです。そのため、味噌とネギで牛肉の臭みを消し、火が通りやすいように浅い鍋を使うのが一般的でした。
やがて肉質が良くなると、薄切りの肉が使われるようになり、豆腐やしらたきなどの具材も加えられるようになりました。
一方関西では、独自の「すき焼き」文化が発展。関西のすき焼きは、牛脂をなじませた鉄鍋でまず肉を焼き、砂糖や醤油、酒などで味付けをして、野菜を加えるという手法で作られます。白菜や玉ねぎなどの野菜から水分が出て味が薄まったら、再び砂糖や醤油、酒を加えて味を調えます。
その頃、関東では「牛鍋」、関西では「すき焼き」と、作り方も呼び名も別のものでした。ところが大正12(1923)年に起こった関東大震災で、多くの牛鍋屋が被害に遭いました。復興のため関西から多くの人が流れ込み、関西風の「すき焼き」が関東に伝わりました。
関東で広まったのは、関西の「すき焼き」そのものではなく、醤油、砂糖、酒を合わせた「割り下」で煮込むという、いわば「牛鍋」のアレンジ料理。名称は「牛鍋」に代わり、「すき焼き」という名前で統一されるようになりました。
すき焼きを食べるときに、溶き卵にくぐらせて食べる理由もお伝えしましょう。昔は、熱々の具材を口に入れると火傷する人がとても多かったそうです。そのため、食材の温度を下げる目的で、溶き卵を使うようになりました。また、当時は牛肉と同じくらい貴重だった卵を使うことで、高級感を演出するという目的もあったといわれています。
甘辛く味付けされた肉や野菜に卵をつけると味がマイルドになり、美味しさが引き立つという効果がありますよね。そもそも、この食べ方は関西の習慣で、関東大震災以降、溶き卵を使うスタイルが関東でも次第に取り入れられるようになったそうです。
すき焼きの語源には、いくつかの説があります。江戸時代、関西では鉄板の代わりに農具の鋤(すき)を使って、魚や貝、豆腐などを焼いた料理が「すき焼き」と呼ばれていました。
また、薄く切った肉を意味する「剥身(すきみ)」を使っていたことから「剥き焼き」、杉の箱に魚介類や野菜などを詰めて箱に火をかけて味噌煮にした料理「杉焼き」に由来するという説もあります。
日本を代表する料理といえば、寿司・天ぷら・すき焼きが挙げられます。「すき焼き」は海外でも「SUKIYAKI」として知名度があり、インバウンド観光客に人気の日本料理のひとつです。
昭和36(1961)年にリリースされた坂本九の楽曲「上を向いて歩こう」は、アメリカで「SUKIYAKI」というタイトルで発売され、1963年には全米ビルボード誌・シングル部門1位を獲得。3週連続で首位の座をキープする快挙を成し遂げました。当時、アメリカで浸透していた日本語といえば「フジヤマ・ゲイシャ・スキヤキ」。約60年も前から、すき焼きは日本料理として広く認知されていたことがわかります。なお「SUKIYAKI」は、現在も世界各国で名曲として親しまれています。
1月24日の「すき焼きの日」には、いつもと違うご当地すき焼きに挑戦してみてはいかがでしょうか。群馬県で好まれる「豚すき焼き」、愛知県・尾張地方の、名古屋コーチンを鍋の上で引きずるようにして食べたことから名前がついた「ひきずり」、滋賀県の地鶏「近江しゃも」を使った「鶏すき焼き」など、全国には個性豊かなすき焼きがたくさんあるので、ぜひチェックしてみてくださいね。