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ピクニックコーディネーターが教えてくれるピクニックのあれこれ

對中 剛大

ピクニックコーディネーター、ランドスケープデザイナー

ピクニックコーディネーターが教えてくれるピクニックのあれこれ

對中 剛大

ピクニックコーディネーター、ランドスケープデザイナー

おしゃピク(=おしゃれなピクニック)なんて言葉も流行りだし、ピクニックを楽しむ人たちが増えています。フォトジェニックで外国風のピクニックを指すようで、おしゃれな食べ物はもちろん、レジャーシートやドリンクジャー、カッティングボード、クッションなど、かわいいアイテムにも注目が集まっています。
ここ数年、BBQやキャンプ、グランピングブームがあり、アウトドアの楽しみ方も多様化。ここで改めて、「ピクニックとは何か」、「ピクニックの楽しみ方」について、見ていきましょう。世界で唯一!?「ピクニック コーディネーター」を名乗り、ピクニックの魅力を伝える對中剛大(たいなかまさひろ)氏に伺いました。

ピクニックとは?

ピクニックの始まりは、貴族の合コン!?

ピクニックの語源は、フランス語の持ち寄りの食事を意味するpique-niqueからきているといいます。現在のピクニックと思しきものは、1800年代に英国の貴族が、食を介した屋内で交流を行ったことだそう。食を持ち寄り男女の交流を行ったそうで、「現代の合コンのようだったのでは」と對中さん。当時は、男女が目を合わせることすらも敬遠される時代にあって、画期的なことだったようです。

公園が生まれ、労働者の癒しに

その後、ピクニックはイギリスやフランスで広がっていきました。まずは、紅茶文化が普及する1800年代初期。その後、ヨーロッパで産業革命が起き、労働者への癒しを求める声が高まる中、市民の健康と娯楽のために公共公園が作られたといいます。そして、公園でピクニックをする姿が見られるようになったとか。
次に、1900年代。車が登場したことで、食べ物を持って出かけるという文化が生まれたそうです。ピクニックのはじまりは、まだ近年のことだったのですね。

では、改めてピクニックと他のアウトドアとの違いを對中さんに定義してもらいました

ピクニック:宿泊なし、ご飯持ち寄り、屋外での食事。食を介した交流
ハイキング:野山を歩きまわり、自然と触れ合う。場所や歩くことを目的としている
キャンプ:屋外で宿泊。一時的に生活をする
グランピング:グラマラスキャンピングの略。宿泊場所も食事を用意してもらえるなど上質なキャンプ

ローカル×ピクニック

ピクニックコーディネーターって何してるの?

きっかけはピクニックの様子

「僕が初めてピクニックコーディネーターを名乗ったと思います」という對中さん。活動の目的は、「食と地域を通じて人の交流を促し、新しい可能性を生み出す」ということだそうだ。屋外の場所づくりはランドスケープデザイナーとしてつくることができますが、場所の賑わいをつくる仕組みはハードのだけではできません。ソフトが重要と考え「食」をキーワードに提案できないかと考えました。

具体的には、自国の郷土料理を持ち寄りその料理にまつわる風土や習慣、思い出など語り交流する「ピクニックサミット」、夢と夢を語り合い交流する「きっかけはピクニック」、自宅のマンションの屋上をバルとして開放し街づくりをする「うちの屋上バル」、住宅街のまち開きの前に居住予定者が災害時の非常食の備蓄や食事などをして交流する「サバイバルピクニック」などだそう。

うちの屋上バルの様子。近隣ビルの外壁をスクリーンに。この場所でしかできないアクティビティを取り込む

ローカルの食文化って素晴らしい

「食の台所」と古代より言われた丹波にある中野地区は21世帯の小さな集落。地域の方々が農薬を使用せずに作った食材を使って、レシピを即興で考え、地元のお母さんたちと一緒に作って、都会の方に食事を振る舞った。食事と労働の交換イベント「畑のキッチン」

夏至の日に開催した、瞑想と朗読、灯りと食のイベント「夏至の日に集う夜 at岐阜」。食材や器の竹にいたるまですべて地元の物を利用し、この日だけのオリジナルの料理を提供。目の前の灯りに集中しながら食べることで様々なことに気付くきっかけに

そもそもピクニックサミットに行き着いたのも、「ローカルの味が削られていく」という危機感を持ったからだそう。日本全国に、コンビニやチェーン店などが普及し、味の均一化が進んでいます。そんな中、地域独自の伝統料理やお母さんの味が受け継がれなくなっていると思ったそうです。

「手料理とは、歴史を伴いその人にしか出せない、いわばアイデンティティのひとつ」という對中さん。ヨーロッパ、それも田舎をよく訪れるといいますが、そこでしか食べられないものが根付いているといいます。また、言葉が通じなくても地域の食をみればどのような地域かがわかるし、おいしいものは世界共通だと考えているそう。
日本の地方にもそんな唯一無二の食文化があるはずなのに、失われていきつつある。「食を語れば、その人がわかる」はずなのだから、食をきっかけに交流ができるのだといいます。

宇治茶の一大産地である南山城村

新しい学びの場・お茶の間として開かれた「山のテーブル」

そのような流れから、2017年8月11日の山の日、對中さんは新たな拠点「山のテーブル」をオープンしました。京都府東南端に位置する、京都で唯一の村南山城村の童仙房にあります。もともと保育園だった場所を改装し、この場所をもう一度学びの場として、「ひと・もの・こと」をつないでいきたいといいます。この豊かな自然に囲まれた山の上にひとが集い、語らい、食と暮らしの愉しみを分かち合う。
それは、まさしくピクニック!