TOP / Health / Vol.1「ついに判明!村田斉潔氏はなぜ真冬でも半袖なのか???」
Vol.1「ついに判明!村田斉潔氏はなぜ真冬でも半袖なのか???」

村田 斉潔

龍谷大学アメリカンフットボール部ヘッドコーチ

Vol.1「ついに判明!村田斉潔氏はなぜ真冬でも半袖なのか???」

村田 斉潔

龍谷大学アメリカンフットボール部ヘッドコーチ

2017年1月、日本のアメリカンフットボールファンの間に衝撃が走った。

日本一のアメリカンフットボール解説者のひとり、村田斉潔・龍谷大学アメリカンフットボール部シーホースヘッドコーチが、1年以上の時を経てCS放送の解説席に復帰したのだ。

村田氏がトレードマークである半袖シャツで解説席に座ると、実況担当アナウンサーも「ついに登場」の言葉で紹介。いくつものブログで取り上げられ、Twitterで多くのツイートを生むなど、ちょっとした騒ぎとなった。

村田氏の人気にはもちろん理由がある。

マニアをうならせる詳細なプレー解説、圧倒的な取材量、そして贔屓のチームに決して肩入れしない公平な視点がそれだ。

反面、ソーシャルメディアを一切活用していない村田氏のパーソナリティは謎に包まれていると言って過言ではない。

この度、もぐらぼ編集部は村田氏への取材に成功。これまで知られなかった村田氏の姿をお伝えできることになった。

日本一のフットボール解説者のひとり、村田斉潔氏その半生とアメリカンフットボールへの思い、そして氏がなぜ真冬でも半袖なのか?について…

フットボールを始めたきっかけ

モグラボ編集部(以下、編集部):村田ヘッドコーチ、よろしくお願いします。さっそくですが、村田コーチがフットボールを始めたきっかけを教えてください。

村田ヘッドコーチ:子ども頃からスポーツ選手には憧れていました。高校では野球をやっていたのですが、僕の出身の愛知県は強豪校がひしめいていて、とってもじゃないけど甲子園に出るなんて…といった感じでしたね。
大学は京都大学(以下京大)に入学しました。京大には日本一を狙えるスポーツがある、おまけに甲子園の土が踏める可能性がある、それがフットボールです。その時は、フットボールについて存在を知っている程度の知識しかありませんでしたが…。

編集部:フットボールを始めてみて、最初は苦労されたのでは?
村田ヘッドコーチ:最初は、苦痛でしたね。もう痛くて痛くて。何が楽しいのか、全くわかりませんでした。今は「首から上を守る」、「頭を極力当てないように」が鉄則ですが、当時は頭が武器だったので。頭からガツガツいくわけです。本当に痛かったですね。

編集部:練習の段階で負傷する選手も多いのですか?

村田ヘッドコーチ:そうですね。僕の学生当時はサバイバルでしたね。一切手抜きなしの練習をしていました。フルヒット、フルタックルです。もちろん時代ということもありますが…。生きるか死ぬか、やるかやられるか(笑)それが、毎日でした。

ちなみに、いまコーチをしている龍谷大学(以下龍大)ではそんなことは絶対にさせませんよ(笑)。時々、実戦のレベルをあげるために、試合形式でやることもありますが、選手の健康を守るのが、僕らコーチの仕事でもあるので安全には細心の注意を払います。

現役時代の様子は?

編集部:それはすごいですね(笑)現役当時から、活躍されていましたよね?

村田ヘッドコーチ:僕が1回生の時、たまたま先輩が怪我で次から次へといなくなって、僕のポジションのラインバッカー(※)が手薄になったんです。「もう村田を出すしかない」という話になりまして、開幕戦からずっと出場していました。甲子園にも出て、勝って。そのままライスボウルを2連覇したので、1回生、2回生と日本一を経験することができました。

※ラインバッカー:アメリカンフットボールの守備ポジションの一つ。2列目に位置し、相手のラン攻撃をタックルで止めたり、相手攻撃の1列目のブロックを打ち破ったりするほか、パス攻撃の際のカバーも担当する、守備のかなめとなるポジション

編集部:それ以来、ずっとフットボール人生なのですね。

村田ヘッドコーチ:3回生、4回生の時は、怪我も含めて十分に活躍できなくて。4回生の時は、アキレス腱を切ってしまいました。大学の後半はあまり役に立てなかった。それが悔しくて、辞められなくて、社会人までやっているうちに、足抜けできなくなってしまったんです(笑)。

コーチ人生の始まり

編集部:社会人でも活躍されて、そのままコーチに?

村田ヘッドコーチ:僕は、1991~2003年までXリーグのサンスター・ファイニーズ(当時)に所属していました。2度の西日本優勝も経験しました。

龍大にコーチとして関わり始めたのは、1999年からで、龍大が2部の時代からです。2000年からヘッドコーチなので、18年間やっていることになりますね。
最初の5年くらいは、学生たちが、学校の行事を手伝ったりして稼いだお金で、僕を雇ってくれていました。チームとしては龍大の伝統を守りたいというのがあったみたいで、後輩へのモラルの指導や運営自体はOBの方がされていて、僕は純粋にフットボールだけを教えるというように役割分担していました。1部に上がることができて、大学が僕を職員として迎えてくれたという流れです。

編集部:龍大が1部に定着したのって、ここ7、8年くらいですか?

村田ヘッドコーチ:そうですね、2010年以降はずっと1部です。それまでは、1部に上がったり、落ちたりを2回繰り返し、3回目に1部に上がってからは、定着できています。

コーチとしてアメリカ修業へ

編集部:ヘッドコーチの間に、アメリカにいかれていたのですよね?どれくらい行かれたのですか?

村田ヘッドコーチ:2003年にアメリカのサウスダコタ大学へ行かせてもらいました。1シーズンですので、時期でいうと半年もないくらいですね。

編集部:アメリカ修業で得られたことは?

村田ヘッドコーチ:僕のことをコーチって選手は認めるというか、コーチって肩書きが付いたら、僕の言ったことを100パーセントやろうとするんですよ。それで、ある時選手に聞いてみたんです。「どう考えてもおかしいって思うことを言うコーチもたまにはいるだろう。それはどうするの?」って。「それでもやりますよ。それで結果が出なかったら、首になるのはコーチだから」って。これはすごく衝撃的でしたね。

編集部:組織が機能するっていう信頼があるんですかね?

村田ヘッドコーチ:そうしないと結局何が悪いのかわからなくなるんです。コーチが正しいこと言っても選手がやらなかったら、結果が伴わない。どっちが悪いのか分からなくなるから、選手は言われたことをやるっていう、指揮命令系統がしっかりしているんですね。

編集部:なるほど〜。

村田ヘッドコーチ:当時、選手の親御さんから「うちの息子は、家に帰ってきて君の話ばかりしているんだ。君のおかげで、すごくうまくなったといっている。ありがとう」とか。アメリカからの帰り際にはヘッドコーチに「今年のスタッフの中では、お前がベストスタッフだ」っておっしゃっていただいたりとか。そういう、嬉しい話がありまして。言葉とか人種とか出身国とか関係なしに、いい仕事をしたら認めてもらえるアメリカっていいなって思いましたね。

解説者としてのモットーとは?

編集部:今は、龍大のヘッドコーチと解説者を専門にされているのですか?

村田ヘッドコーチ:そうですね。その2つです。龍大のヘッドコーチが本業ですが、NFL(米国プロフットボールリーグ)の解説は、龍大に勤めることになった2005年より前の1991年からやっています。ですので、解説の仕事は大学側からも認めてもらったうえで、コーチ業をさせていただいています。

編集部:解説がある時でも、龍大の試合はあると思うのですが、どのようなスケジュールなのですか?

村田ヘッドコーチ:龍大の試合の直後には、次の対戦相手の分析と試合のプランニングに入ります。試合直後の2~3日が、寝ずに仕事をする時なんです。ここでできる限りの分析と準備をして、次の練習でプランを選手たちにインストールします。
僕らの試合は、2週間に一回なので、最初の1週間で一通り準備を終えて、残りの週で磨きをかける。その間に解説の仕事を入れるという感じです。

編集部:かなりハードですね。そんな中で、いつも村田さんの圧倒的な取材量からくる詳細な解説には感服します。こちらもかなりの準備をされていると存じます。

村田ヘッドコーチ:以前は関西で解説の仕事をしていたので、毎週ルーティーンになっていましたが、今は東京で解説させて頂いているので、2週間に一度の対応です。新幹線の移動中は、ずっと資料の読み込みをしていますね。

NFLの場合、32チームあって、毎年コーチや選手が入れ替わり、新しいケミストリーの話が出てきたりとか、いろんな裏情報が出てきたりとかするわけです。そういった情報をメジャーなものを含め様々なソースから集めますが、一番いい情報源は現地の新聞なんですね。現地の新聞記者っていうのは、やっぱり独自のネットワークを持ってやっているので。なるほど、こんなおもろいネタがあるんだっていうのはいっぱいあります。それをお金を払って買ったりしていますね。

編集部:そういうネタを解説の時に使うんですね。NFLの試合って、毎週14~16試合あって、結構ランダムにTVの放映が組まれますよね。それで、「前の試合ではこうでした」っていう解説ってしなきゃダメじゃないですか?見ているお時間はあるんですか?

村田ヘッドコーチ:それは見ますね、絶対。というのは、NFLのゲームを遊びで見ているわけではなく、あくまでコーチ視点で見ているので、とても勉強になるんですよ。さらにそこから、資料をたっぷり、とにかくしっかり読み込んでいきます。1シーズンで2000ページくらいは読みますね。
そこに、色々なコーチングのヒントが含まれているわけです。解説の仕事は、91年から初めているので、このようなインプットを27年間やっています。

編集部:コーチより解説の仕事の方が長いんですね。

村田ヘッドコーチ:そうです。解説を始めた頃は、情報を仕入れるのにものすごく苦労したんですけど、今は情報技術も発達していて、オンタイムでどんどん情報が入ってきます。ですから、資料を読み込んで読み込んで、映像をしっかり見て、自分の見方で、解析をして分析をして、ゲームに臨む。それがコーチとしての僕も鍛えてくれているって、信じています。

なぜ、真冬でも半袖なのか?

編集部:今日の一番聞きたかった質問があるんですけど。村田ヘッドコーチって、TVでみるといつも半袖ですよね。
ジータス(CS放送 日テレジータス)に初登場された時も、Twitterで半袖姿に興奮している人がたくさんいました。

村田ヘッドコーチ:らしいですね(笑)うちの選手にも言われました。「村田さん、半袖氏とか半袖くんとか言われていますよ」って。僕、Twitterとか基本的にやらないので、知らなかったんですが。

編集部:どうして半袖なんですか? 真冬でも半袖なんですか?

村田ヘッドコーチ:あー(笑)その理由は、できるだけ汗をかきたくないんですよ。運動着で汗をかくのはOKなんですが、普段着で汗をかくのがとにかく苦痛で、それだったら脱いでしまえっていう(笑)。ゲームを見ているとめちゃくちゃ興奮するんで、身体中汗をかいて、顔もてかってきて、脇もベタベタになってしまうんです。それが嫌で。

編集部:それが半袖の理由なんですね。これ、どこかでお話しされたことあります?

村田ヘッドコーチ:あ、ないです。汗をかきたくない、かくんですけど、かく量を減らしたい。そういうしょうもない理由なんで、興味があるのかな(笑)

編集部:いや、これは貴重な話ですよ。ありがとうございました!

続きは第2回へ。堂々とした体躯の大男が全力でぶつかり合う究極のスポーツ・アメリカンフットボールに見せられた村田氏が語る、アスリートの「食」とは???