発酵食品のはじまりには、エピソードが伴う。たとえば、家畜の乳を子牛の胃袋につめて運んでいる際にチーズが生まれたと伝わっている。科学的知見の蓄積にしたがい、それらのエピソードには解釈が加えられる。チーズについて言えば、子牛の胃に含まれる凝乳酵素が作用し乳が固形化してチーズになったという具合である。それら多くのエピソードには、美味あふれる食誕生の華やかなイメージが感じられる。

はじめて口にいれる“勇気”

納豆という我が国の代表的な発酵食品がある。言うまでもなく、煮た大豆を納豆菌により発酵させたものである。ある種類のアミノ酸からなるネバネバ物質が特徴であり、どちらかというと東日本で好まれる。何らかの微笑ましいエピソードがあるにしても、この糸を引いた発酵食品をはじめて目にした人類が食欲にそそられたのだろうか。アンモニアや硫黄の臭い、そして、透明の粘液物質に包まれた煮大豆である。それらをはじめて口にした人間の大いなる勇気すらも想像してしまうのは筆者だけだろうか。

「納豆にはカラシを入れたい」

この納豆には、代表的なうま味成分であるアミノ酸が多く含まれる。生物学的な視点に立つと、アミノ酸には、生物の生存に欠かすことの出来ない窒素という元素が含まれる。この必要な元素の必要性をうま味というシグナルとして、生物の遺伝子の記憶に上手に包み込み、食として欲するような仕組みが進化してきたようにも感じられる。しかし、何かもっともらしい話のようにも聞こえるが、一方で、美味しいものを欲することと、必要な元素を欲することの間には、少なからず乖離があるような気がしている。なぜなら、それらを埋めるものが必要になるからである。その一つとして位置づけられるのが数々のスパイスであろう。もう一度、納豆を例にひくと、美味しく納豆を頂くためには、カラシといった重要な脇役が必要になるのである。いずれにしても、食経験やら生物進化やら、それらを記憶していくシステムの難解さには、まさに舌を巻く。