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【特別対談】絵本と食べ物とナラティブ(物語)をめぐるおはなし(後編)~『どうぶつ会議』『ジャータカ物語』~

生駒 幸子

龍谷大学短期大学部准教授、博士(人間科学)

【特別対談】絵本と食べ物とナラティブ(物語)をめぐるおはなし(後編)~『どうぶつ会議』『ジャータカ物語』~

生駒 幸子

龍谷大学短期大学部准教授、博士(人間科学)

絵本と食べ物をテーマにした生駒先生の連載企画。その特別編として、龍谷大学学長の入澤崇先生との対談をお送りします。今回は後編。入澤学長が今日的な問題を考えるのに最適な絵本として『どうぶつ会議』を取り上げています。また、入澤学長がお釈迦さまの前世物語である「ジャータカ」を解説した『ジャータカ物語』では、食はどのように描かれているのでしょうか。


<書籍データ>
どうぶつ会議
文:エーリヒ・ケストナー
絵:ヴァルター・トリアー
訳:光吉夏弥
出版社:岩波書店
発行年:1954年

<あらすじ>
ゾウのオスカー、キリンのレオポルト、ライオンのアロイスが、北アフリカの湖のほとりで人間たちのニュースに腹を立てています。第二次世界大戦が終結し、世界平和維持のために国際会議を開いても、結論は出ません。そこで彼らは、動物たちが主体となって平和の道を示そうと、北アフリカの動物会館に人間を集め、最初で最後の動物会議を開こうとします。スローガンは「子どもたちのために!」。

<書籍データ>
ジャータカ物語
著:入澤崇
出版社:本願寺出版社
発行年:2019年

<あらすじ>
仏教文化研究の第一人者が読み解く、古代インドの物語。『イソップ物語』や『今昔物語』など、世界各地の説話や文学に影響を与えたとされるお釈迦さまの前世物語(本生経・本生譚)は「ジャータカ」と呼ばれる。インド各地の仏跡に刻まれた「ジャータカ図」の写真をオールカラーで掲載し、そこに描かれた物語を一話完結形式で解説する。


ネイチャーポジティブ宣言に込められた思い

入澤:この間(2024年6月11日)、学長法話を瀬田キャンパスでした際、『どうぶつ会議』という絵本を紹介したんです。

生駒:そうなんですね! 私も語り尽くせないほど大好きな絵本なので、とてもうれしいです!

入澤:この絵本も、幼い時に何度も読み返しました。動物と人間の政治家たちが、署名を交わすシーンが印象的です。動物たちが全ての国境をなくす、軍隊と大砲や戦車をなくし、戦争はもうしない。警察の務めは、学問が平和のために役立っているかどうかを見ること……。大人になって読み返しても、とても心に残る言葉が放たれています。

生駒:本当におっしゃる通りですね。

入澤:私たちは、生きるための「食」が欠かせません。私たちにとっての「食」とは魚や牛、鶏、豚などのいのちを取り込むことです。だからいのちを「いただきます」と手を合わせるのです。龍谷大学は仏教系大学として社会問題にどのように向き合っていくかを考える必要があります。現在、生物多様性の損失が国際課題に挙がっていますが、残念ながらお金儲けのための過度な森林伐採などによって、希少動物は住みかを奪われているのが現状です。

生駒:そうですね。

入澤:『どうぶつ会議』には、人間の視点とは全く異なる他の生命体からの視点を通して、人間の愚かさをあぶり出しています。この絵本に描かれた主題は、決して過去のことではなく、今日的な問題だと思います。人間にとって食と農は生きる上で大切ですが、当の人間自身が生命の基盤である自然環境を毀損していること。そのことに着眼することが大切だと思います。
龍谷大学では、2024年3月に生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せることを意味する「ネイチャーポジティブ宣言」を、日本の大学で初めて発表しました。この宣言のベースにあるのが、瀬田キャンパスで行われている生物多様性科学研究センターでの研究活動です。私の頭の中には、『どうぶつ会議』に登場する動物と人間との共生関係があります。このネイチャーポジティブも、ひとつのナラティブ、壮大な物語なのだろうと。だから、学生や教職員のみなさんと、自然環境を回復軌道に乗せるためのアクションを起こしていきたいと考えています。

入澤学長著(写真左)と、辻直四郎さん・渡辺照宏さん翻訳(右)の『ジャータカ物語』

入澤学長がインドで感じたこと

生駒:少し話を戻しますが、入澤先生が書かれた『ジャータカ物語』を大変興味深く読ませていただきました。岩波少年文庫にも同じタイトルで、子ども向けに「ジャータカ」を翻訳し編集した『ジャータカ物語』がありますが、訳者のお二人、辻直四郎さん、渡辺照宏さんはどのような方でしょうか。

入澤:辻直四郎さんは『サンスクリット文法』を著した方で、その文法書は私が学生時代に習ったサンスクリット語のテキストでした。同じく訳者の渡辺照宏さんは真言密教の第一人者でした。
このおふたりの『ジャータカ物語』は忠実に翻訳を行っていますが、私の場合は、仏塔の彫刻を主眼に、長いストーリーの中でどの部分に焦点を当てているかを注目して物語を著しました。撮影は、インドでの撮影経験が豊富な写真家、丸山勇さんにお願いしています。

生駒:本の中で登場する「猿王物語」は、欄楯(らんじゅん)* の円形部分に物語が絵で彫刻されているんですね。異時同図で絵が物語を分かりやすく示しているというのが、絵本とも共通点があってすごく面白いです。

*古代インドの仏塔などの聖域を囲んで俗世との境界として造られた、木や石の囲い。

入澤:この話の出だしはこうです。ある国の国王が美味しいマンゴーを取ろうとして森にいる猿たちが邪魔になるので猿たちを殺そうとします。そこから図像の話へと展開します。実は、円形の中に3つの話が表現されているんです。上部は猿たちを逃がそうとして猿王自らが木と木の間に橋となっているところが表されています。猿たちは猿王の背中を踏んで移動しています。中央部は、猿王の行動に感服した国王が疲れ果てた猿王を看護するために、部下に命じて猿王が落ちてくるのを助けようとするシーン。下部は、国王が猿王に教え諭されているシーンです。
この猿は結局亡くなり、お釈迦様に生まれ変わったという話なのですが、こうして連続する物語を1つの円の中に描いていて、一見しただけでは何が表現されているかわからないんですよ。だから語り手の存在が必要とされていたと推測がつきます。

生駒:このお話が、何百年にもわたって語り継がれているのでしょうか。

入澤:東南アジアではいまだにおじいちゃん、おばあちゃんから孫へこうしたお話が語られているそうです。

生駒:語り継がれるうちに、物語の内容も変化するのですか?

入澤:そうですね。一つの物語が別の物語を生み出すことはインドではよくあります。

生駒: 語られるうちに、物語がどんどん増えていくんですね。

入澤:お経も実は同じで、核になるものは同じですが、時代ごとに上手く編集しなおして新たな経典をつくることはよくあります。インドは音声文化なので、セットフレーズを新たに組み合わせることで、別の経典ができあがるんです。私たちは文字文化のなかにいるのでどうしても文字を追うクセがありますが、音楽のように諳誦する文化が根付く点にインドの面白さがあると思います。30年程前にインドを訪れた時、古代インドのヴェーダ(聖典)を受け継ぐグループがいたんです。もちろんテキストは何もありません。全て口伝えです。声の出し方や発声する際のアゴの位置などを指導していた光景に、音声文化の奥深さを感じた思い出があります。

生駒:そうした音声文化から文字文化に移行する際に、失ってしまっているものも多いのでは。

入澤:そうだと思います。

生駒:赤ちゃんは未熟な状態だと思われがちですが、空気の揺れや匂いに対して大人以上に敏感に反応するんです。よく夕方になると赤ちゃんは泣くといわれますが、それも理由があるようなんです。




生駒:話が変わりますが、先生はこれからもインドに行かれますか。

入澤:また行きたいですね。私たちは仏教が専門なので仏教の足取りを追うためにインドを訪れますが、段々と仏教の周辺が面白くなって。スピンオフですね。何というか、雑多な空間のなかに何かを探したい。そうしたマイナーな視点から仏教を見ていきたいと思います。

生駒:インドというと、私は遠藤周作を思い出します。キリスト教における神は、「裁きの神」というイメージです。でも遠藤周作が作品で描く神は、どちらかというと徹底的にゆるす「赦しの神」のような気がしています。これは、あくまでも私の解釈ですが。そんな遠藤周作が最後にたどり着いたのがインドを舞台にした『深い河』だったのが非常に象徴的だなと。

入澤:それこそ、遠藤周作にとってのナラティブだったんでしょう。

生駒:私も、一度インドへ行ってみたいです。

入澤:ガンジス川で葬儀が行われ、遺体が焼かれるわけです。その近くで沐浴をしている人もいる。そんな光景を目の当たりにすると「なんじゃこれ」と思いますよ。自分の持っている価値観が揺らぎます。ガンジス川は汚い川だけど、インドの人々にとっては「聖なる川」なんです。だから、私たちはつい「汚い」と「聖なる」に区別をするのだけれど、彼らにとってはその区別はないんです。本当にすさまじいですよ。遺体を焼くといっても完全に焼けないままガンジス川に流れていく。そこで獲れた魚を食べるんです。ちょっと色々と考えてしまいますね。

生駒:それこそ価値観を揺さぶられる。「どうなんだ、おまえは」と。

「自己犠牲の物語」の奥にあるもの

生駒:『ジャータカ物語』には、「食べる」をテーマにした物語もありますね。マンゴーが登場する『猿王物語』や自らの命を犠牲にするウサギの話など……。

入澤:自分自身の身体を捧げる。

生駒:現代人の感覚で言うと「自己犠牲」だと思うのですが、先生は「利他の精神」というふうに解釈されますか。

入澤:法隆寺の玉虫厨子には、飢えた虎の親子のために高台から身を投じ、虎に自分の身体を食べさせるお釈迦さまの前世の姿が描かれています。実はシルクロードには、こうしたいわゆる「自己犠牲」をテーマにした絵画が非常に多いんです。

生駒:そうなんですね。

入澤:こうした自己犠牲のススメのように見える物語は、誤解を受けやすいのですが、決して表面的な自己犠牲を推奨するものではなく、自分の自己中心性を自覚させるために、敢えてこうしたセンセーショナルな物語を描いているのです。単なる自己犠牲の物語ではなく、こうしたエピソードから、今の私たちにいったい何ができるのかと問いかけています。お釈迦さまは、誰もができない行為を前世で行ったから、仏陀となったという話なんです。もちろん私たちがお釈迦さまのような極端な自己犠牲はできませんが、他者の苦しみ悲しみに寄り添おうとする、そのような利他の気持ちを汲み取ることはできるのではないかと。

生駒:まさしく、自身の自己中心性を問われている。ハッとさせられますね。

入澤:『ジャータカ物語』はお釈迦さまの前世の物語ですが、前世のお釈迦さまの行為を、善政をしく権力者が模倣していた事例もあります。つまり、良い政治を行うための指針として。政治というものは、国民のためにあるもの。しかし、自分たちの組織のため、自分たちの利益のための政治を行うことになりがち。こうした自分中心主義ではなく、利他的な生き方が『ジャータカ物語』には描き出されているのです。

<参考文献>
『動物会議』エーリヒ・ケストナー 文 ヴァルター・トリアー 絵 池田香代子 訳 岩波書店 1999年
『ジャータカ物語』〈岩波少年文庫〉 辻直四郎・渡辺照宏 訳 岩波書店 1956年
『子どもの本は世界の架け橋』イェラ・レップマン 森本真実 訳 こぐま社 2002年


【今回の対談者】
入澤 崇(いりさわ・たかし)
龍谷大学 第19代学長

広島県因島出身。インドの片隅に生まれた仏教がどうしてアジア一帯に広まったのかを研究しています。
これまで中国・トルファンのベゼクリク石窟壁画の復元やアフガニスタン仏教遺跡調査などを行なってきましたが、「人として生きるとはどういうことか」と仏さまから問われており、怠け者の私は恥じ入るばかりです。