龍谷大学短期大学部こども教育学科准教授・生駒幸子先生に、「絵本と食べ物」をテーマにお話いただく連載企画。今回は、同じくこども教育学科で「社会福祉」や「保育と人権」の授業を担当する中根真教授との対談をお送りします。取り上げる絵本は、中根先生が子どもの頃から親しんできた『くいしんぼうのあおむしくん』。先生は、いったいどんな思い出をお持ちなのでしょうか。
<書籍データ>
くいしんぼうのあおむしくん
作:槇 ひろし
画:前川 欣三
福音館書店
初版:1975年
<あらすじ>
ある日、まさおくんが帽子に見つけたあおむしくん。何でも食べるあおむしくんは、紙くずやゴミでは飽き足らず、家や船、まさおくんのパパやママ、町、国までまるごと飲み込んでしまいます。ついにはまさおくんまで食べてしまうのですが…。著者が絵画教室の子どもたちに語った話から誕生した、摩訶不思議な絵本です。
中根:私は、母が保育士をしていたこともあって、福音館書店の『こどものとも』や『かがくのとも』を毎月2~3冊講読してくれていました。今回ご紹介する『くいしんぼうのあおむしくん』も『こどものとも』で出版されたソフトカバーの1冊で愛読していました。現在、私は児童福祉や保育の研究に携わっていますが、絵本に親しんでいたこともあって、授業の中でも教材として絵本を用いる機会が時々あります。
生駒:そうなんですね! 絵本を研究する者としては、率直にとてもうれしいです!
中根:たとえば、ホームレス問題について考えるとき、加古里子さんの『あなたのいえ わたしのいえ』(福音館書店)という絵本を題材に、私たちの生活の中で家とはどのような役割を果たしているのかを紹介することがあります。この絵本では、家が人々の工夫を重ねて創り上げた大きな暮らしの道具だということについて丁寧に描かれています。ハウスレスとホームレスの違いに気づいてもらうなど、学生の皆さんに考えてもらう機会にしています。
こども教育学科の学生さんたちの多くは保育士や幼稚園教諭を目指しています。少し極端な例になりますが、将来、子どもたちとお散歩の際、路上生活をしている人に出会ったとき、「こんにちは」と笑顔であいさつできるのか、目を背けて通り過ぎるのか、学生時代の学びが分岐点になるように思います。そういう意味で、この絵本は、ホームレス問題について考える際、とても良い教材になってくれるんです。
生駒:なるほど。
中根:他にも、森田ゆりさんの『あなたが守る あなたの心・あなたのからだ』(童話館出版)を用いて、子どもの権利には「安心」「自信」「自由」の3つの権利があること、そして自分自身の子ども時代には3つの権利が守られていたのかどうかをふり返るレポートを書いてもらっています。この絵本は小学生向けで幼児には難しいのですが、「権利」を年齢や発達に応じて具体的にわかりやすく伝える創意工夫の起点となる教材としてぴったりだと感じています。
生駒:高等教育機関である大学で、絵本をきっかけに福祉の課題につなげてくださってうれしいです。それはきっと、中根先生が幼い頃から絵本に慣れ親しんでこられたからなのでしょうね。乳幼児のものと考えられている絵本ですが、大人にも訴えかける力がありますよね。
生駒:それでは改めて『くいしんぼうのあおむしくん』と出会ったきっかけを教えてください。
中根:私は滋賀県安土町(現:近江八幡市)の出身で、自然が豊かな環境で育ちました。浄土真宗のお寺に生まれ、お仏飯で育ててもらいましたが、子どもの頃の遊びといえば虫取りばかり。お寺の本堂の裏に山椒の木があって、アゲハチョウが卵を産みつけていたので、青虫をつついて、くさい臭いを放ちながら威嚇する行動が楽しくて(笑)。そんな青虫と戯れて遊ぶ少年時代を過ごしていました。
生駒:子どもの頃から、あおむしくんと親しんでおられたのですね。
中根:アゲハチョウの幼虫とこの絵本に登場するあおむしくんとは似ても似つかないものでしたが、私にとって青虫は身近な虫のひとつでした。だからこの絵本に惹かれたのだと思います。まさおくんが箱に入れてかわいがっていたのに、段々恐ろしい存在に成長していく姿、特に、自分が大切にしていたおもちゃやクレヨンをあおむしくんに食べられてしまったシーンは印象的です。自分がそんなことをされたら怒りに任せてしまってどう振る舞うか自信がないのに、まさおくんは以外と冷静(笑)。
中根:あおむしくんを捨てようとするパパとママに「すてないで!」と懇願するシーンは、子どもながらに優しい子やなぁと(笑)。町じゅうのゴミを集めてあおむしくんに食べてもらうことで、なんとかあおむしくんを地域に役立たせようとする姿がね。今ほどゴミの問題が深刻ではなかったかもしれませんが、何でも食べるあおむしくんに町じゅうのゴミを食べてもらおうというアイデアに感心しました。
中根:ところが、まさおくんが寝ている間に、あおむしくんはあらゆるものを食べてしまいます。まさおくんのパパやママ、家まで食べてしまって…。初めて読んだときには、正直ビックリしました。
生駒:私も驚いてしまいました。
中根:とんでもないやつだと思いながらどんどん読み進めていくと、今度は煤煙を吐き出す工場を飲み込んだことで町の人から感謝されるシーンがあって。でも、その町の人々もあっという間に飲み込んでしまう。こうした善悪の振れ幅の大きさに戸惑いを覚えたことが記憶に残っています。
生駒:あおむしくんが「良い存在」なのか「悪い存在」なのか…。どちらに気持ちを寄せていけばよいのか分からなくなります。
中根:そうですね。この点が、他の絵本と違う面白さ、不思議さをはらんでいるのだと感じました。私も子どもの頃に善悪というものを十分理解していたわけではなかったですが、共感を持って読むページもあれば、「なんじゃこれ」と思ってしまうページもある。それが、この絵本にどハマりした理由だと思うんです。
生駒:お恥ずかしい話ですが、私はこの絵本のことを全く知らなかったんです。それで、今回の対談を前に初めて読んだのですが、かなり衝撃を受けました。中根先生もお話されましたが、あおむしくんは時に人々に感謝されているのに、ひどいことをたくさんしてしまう。まさに善と悪が表裏一体となっています。絵本は明るくて楽しいものと思われがちですが、この絵本に登場するあおむしくんは自分の行動を止めようと思っても止められない。人間が複雑に抱え持っている善と悪を、あおむしくんに託して見事に描ききっています。
私は絵に注目して読んだのですが、たとえば、まさおくんが怒りの感情をあおむしくんにぶつけると、あおむしくんは本当に申し訳なさそうに「ごめんねごめんね」と謝る姿がなんともユーモラスで、また少しかわいそうですよね。ところが何もかも貪って「食」に勤しむあおむしくんは、目はつり上がり舌はグロテスクに描かれ、あおむしくんの中にある凶暴性が突っ走っています。
中根:私が一番印象に残っているのが、あおむしくんがまさおくんを飲み込んだシーンです。真っ逆さまにあおむしくんの体内に落ちるまさおくんをよく見ると、パジャマ姿になっています。あれ、いつからパジャマ姿だったっけ、とページをさかのぼってみて、「つぎのひのあさ」のページからまさおくんの夢の中に紛れ込んでしまっていたのか…と。わかったようで、わからない…少し頭が混乱しちゃうんです。小学生になっても何度も読み返していたのですが、あおむしくんのお腹のなかへ落ちたはずなのに、青空の下、まちのはずれで目が覚めるというラストシーンにいたる話のねじれはちっとも解消されませんでした(笑)。
生駒:幼少期の中根先生もそうですが、子どもって本当に絵をきちんと見ていますよね。
中根:何度もページをめくって絵を見直した記憶があります。本当に不思議な絵本です。
生駒:もともと、この絵本は「こどものとも」というペーパーバックでした(1975年10月号)が、2000年にハードカバーになって再版されています。初版から四半世紀経ってハードカバーで再版される例は滅多にありません。詳しくは福音館書店の方に聞いてみないとわかりませんが、中根先生のようなファンの方が一定数いらっしゃって、静かに読み継がれていったのではないでしょうか。
中根:この絵本が出たきっかけは、作者の槇ひろしさんが自身の絵画教室で子どもにお話した内容が元になっているそうですね。(福音館書店HPに記載)
生駒:あおむしくんはまるでゆるキャラのようにほのぼのした姿なのですが、大きな舌であらゆるものを巻き込むように食べるシーンはグロテスクです。
中根:本学も「仏教SDGs」を掲げていますが、世界的にSDGsへの関心が高まっています。持続可能な世界へ向かわなければいけない。でも、ロシアのウクライナ侵攻のように、人間は欲望を抑えられていないですよね。非現実的ですが、いっそのこと、こうした欲望全部をあおむしくんに食べてもらえたらと思ったりします。とはいえ、なんでも飲み込んでしまうあおむしくんの登場をただただ願っているだけでは、問題や課題は解決しません。
コロナ禍や戦争を経験している〈今、ここ〉というタイミングで、この絵本を改めて読みかえして感じたのは、あおむしくんという存在が一体何を象徴しているのかということです。あおむしくんは「もっともっと欲しい」の象徴、無限の欲望の具体的な姿です。食べ物だけでなく、お金や地位、名誉、権力など人間の欲望が底なしであることを象徴しているのではないかと感じました。逆に、その反対は何かと問えば、「もう十分、満足」、「もうええわ」という境地ですね。ふと竜安寺にある「知足の蹲踞(つくばい)」に「我ただ足るを知る」という言葉があることを思い出しました。
無論、欲望が全部ダメということではなく、成長や発展の原動力には必ず欲望がありますので、全否定はできません。しかし、程度の問題なのです。「腹八分目」という言葉があるとおりです。腹いっぱいにせず、あえてその手前で加減をする。欲望との適度な付き合い方やコントロールの方法など「トリセツ(取扱説明書)」が人間には必要ということで、その1つが仏教なんだろうなぁと。ヒートアップする欲望を冷却するクーラーのようなもの、あるいはフル回転する欲望にブレーキをかける何かが、わたしにも、あなたにも、そして、すべての人に必要だと思います。完全に、中年のおじさんによる、あおむしくん解釈になってしまいました(笑)。
生駒:「足るを知る」というのは、「もっと、もっと」と欲望に翻弄されている私たちには必要な認識だと思います。たいへん興味深いお話です。私はこの絵本のあおむしくんに託された人間存在の「光と闇」を意識します。自分でも食欲をコントロールできず貪り食う凶暴性を見せつつ、まさおくんに対してひたすら謝り続ける姿は、どこか憎めません。なんだか切ない気持ちにもなります。読んでいる子どもたちも、人間が抱えているこうした光と闇の部分を知っていくのではないでしょうか。切っても切り離せない「善きもの=光」と「悪しきもの=闇」を自分のなかにどちらも併せ持ちながら生きている私たちです。
この『くいしんぼうのあおむしくん』のようにメッセージがダイレクトには伝わらないタイプの絵本は、ナンセンス絵本といわれています。ナンセンスとは文字通り、意味が無いということです。それは大人がアタマで考える意味であり、実は意味の向こう側にある本質的なものを子どもはしっかりと捉える力があるのではないでしょうか。意味不明で読解が難しいからこそ、この絵本は読み継がれているのだと思います。
中根:あおむしくんの止められない欲望を見ていると、子どもながらに「あおむしくん、かわいそう…」と感じていました。
生駒:食べ出したら止まらない…私たちは皆、あおむしくんのような堪え性の無さを抱えていて、切なさも伝わってきますね。そして、初版から四半世紀後にハードカバーとして再版されたことは意味があると思います。私はこの絵本に、人間存在の多面性と不思議さを感じます。直接的に善悪を描いているわけではないのですが、物語に力があるから伝わるものがあるのでしょう。
中根:読んでいて楽しいから「好き」というわけではないのですが、不思議と惹かれる魅力に富んだ絵本でした。屈折していたのかな(笑)。
生駒:屈折しているのとは違うと思いますよ。分からないことに対して、先生が「それはどうしてだろう? なんで? なんで?」と掘り下げる、研究者のスタンスの原点がそこにあるのかもしれませんね。
中根:お褒めいただき、ありがとうございます(笑)。
【今回の対談者】
中根 真(なかね・まこと)
龍谷大学短期大学部教授
滋賀県出身。子どもの頃の食の思い出に「ふなずし」の樽漬けがあります。ふなの両方の目玉を古釘でくり抜くのがボクの役目でした。好物はちくわ、魚そうめん、料理しながらキッチンで味わう琉球泡盛のオンザロック。専門は社会福祉学。博士(学術、大阪市立大学)。社会の変化がとても速いので、保育や子育て支援の「温故知新」にこだわって学んでいます。