10月1日は「日本酒の日」です。この記念日は、1978(昭和53)年に日本酒造組合中央会によって制定されました。そして今年、2025年の「日本酒の日」は特別な意味を持ちます。というのも、2024年12月に日本の「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されてから、初めて迎える記念日だからです。
日本酒の主な原料は米・米麹・水です。9月に新米が収穫され、10月になると多くの蔵元が酒造りを開始します。つまり、10月は酒造りシーズンの始まりなのです。
今回は、10月1日「日本酒の日」にちなみ、日本酒・焼酎と文化に触れられる記事3選をご紹介します。お酒にまつわる記事を読みながら、今宵は一献いかがでしょうか。
近年、日本酒は辛口がブームですが、「辛口とはどんな味?」と、疑問を抱いたのが龍谷大学 名誉教授/農学博士の伏木 亨先生。伏木先生は、辛口の定義、成分や風味、味わい、そして辛口が好まれる時代背景について深掘りしました。
さらに、伏木先生の研究室では、ネズミに甘口と辛口の日本酒を与える実験も行われました。ネズミはどちらを好むのか? 辛口の酒を強制的に与えると、ネズミの体内では何が起こるのか……? みなさんは、どう予想しますか? 気になる結果は、ぜひ記事でご覧ください!
京都市・四条烏丸にある「京都 坊主バー」の店主であり、浄土真宗の僧侶でもある羽田高秀さんが、龍谷大学 心理学部教授の野呂 靖先生にインタビューを行いました。仏教には一般的に「不飲酒戒」と呼ばれる、お酒を飲んではいけないという決まりがありますが、日本の仏教者は飲酒に寛容なのだそうです。
記事では、お釈迦様は「絶対にお酒を飲んではいけない」とは言っていなかったこと、浄土真宗ではお酒はタブーではないこと、中国の仏教者はスープを隠れ蓑にしてお酒を飲んでいたという逸話など、仏教とお酒の関わりを紹介。
羽田さんによると、坊主バーには人生相談で訪れるお客さんもいるのだとか。「お酒は心を和ませる効果があるので、コミュニケーションのきっかけになります。親鸞聖人のエピソードでは、悩んでいる人にお酒をだしてなぐさめたというものがあるのですよ」と、野呂先生は教えてくださいました。
龍谷大学「地域公共人材・政策開発リサーチセンター(LORC)」で「風土とお酒」の研究を行った、政策学部 石原 凌河准教授。石原先生が注目したのは、鹿児島県奄美大島の「黒糖焼酎」でした。
黒糖焼酎は、サトウキビから作られる黒糖を原料とし、米麹で蒸留した焼酎で、製造が許されているのは奄美群島のみという、非常にユニークなお酒です。石原先生は実際に奄美大島を訪れ、観光物産協会や酒造会社で調査を実施。記事では、風土・文化と黒糖焼酎の関わり、地域での飲まれ方、そして国外への売り出し方について教えていただきました。
伏木 亨
龍谷大学名誉教授、農学博士
最近は辛口の酒がブームらしい。でも酒の甘口と辛口ってどんな味なのか。意外にも明確な定義がない。おいしい辛口の酒とは何か。酒にうるさい人たちの意見を総合するとだいたい次のようになる。
「口に含んだときにさっと淡い甘さが口の中に拡がりすぐに消える。味わいは存在感のある淡麗で、喉を通る頃には酒の存在さえ消えてしまう。」
特に、最後にすっと消えてくれるのが辛口の醍醐味らしい。「旨い酒は水のごとし」という有名な言葉は、水のように消えてしまうことを指していると私は理解している。
「甘い」が糖分やアミノ酸の甘味であることは明らかだ。アミノ酸は種類によって甘いものとうま味を呈するものがある。糖やアミノ酸が豊富だと甘い酒である。ここまでは科学的にも確かだ。
では、辛口(からくち)って何?
塩からいわけではない。唐辛子の辛さでもない。酒の辛口という言葉に対応する味が見つからない。どうして「辛い」と呼ぶのだろうか。これまでの味覚生理学では説明がつかない。
甘いの逆だからという説がある。「甘くはない」酒が「辛い」となったというのである。酒を好む人たちに言わせると、実際に辛口と呼ばれる酒には次のようなものがある。
(1) 十分に発酵が進み、酵母が酒の発酵原料成分を喰いきった味。原料が残っていないドライな味
(2) 雑味を除くために活性炭濾過などで余計な味を取り去った味。すっきりした味わいだが、薄からいと酷評する人もいる。
(3) アルコール濃度が高い場合も辛く感じる。
辛口には人間のエネルギーになる糖質やアミノ酸などの栄養素成分が希薄なのである。栄養素がないという味が辛口なのだ。
私たちの研究室では、実際にネズミに辛口や甘口の酒を与えてみた。驚いたことにネズミは甘口の酒が好きである。甘口と辛口の2本をそれぞれ給水瓶に入れてネズミのケージにセットすると、翌朝には甘口の酒の消費が著しい。特に雑味のないスムースな甘口ならばネズミは大好きである。専門家による酒の甘口の判定とネズミの好みとがよく一致するのは驚きだ。ネズミも酒の味が区別できるのである。ネズミは辛口は好きではないようだ。彼らは栄養素に敏感だから、辛口が栄養にならないことがわかるのであろう。
辛い酒を強制的にネズミに与えると、ネズミの体脂肪が消費される。血液中のケトン体が上昇するのである。血中ケトン体の上昇は体脂肪が使われたという証拠である。甘口の酒ではそのようなことはない。
辛口の酒を飲まされたネズミは身を削ってエネルギーを確保していると言える。つまり、糖分やアミノ酸のエネルギーが希薄なので、自分の体脂肪を使ってエネルギーを調達しなければならない。空腹時の人間と同じだ。特に、アルコールを飲むと糖の供給や利用が一時的に抑制される。甘い酒には糖やアミノ酸があるが、辛い酒には何もない。仕方なく自分の身体を削るしかない。辛い酒というのは、身を削る辛い(つらい)酒なのだ。辛口とは口だけでなく身体から発生する味なのである。
辛口にマッチする語感には、厳しい、極辛、淡麗、冷静、孤独、静寂、鬼ころし、男、など、身を削るにふさわしい厳しい語が並ぶ。響きに緊張感がある。安らかではない。人間も動物の一種である。エネルギーを消費するのは辛いのだ。
反対に、甘口と言われる味には、豊潤、濃厚、コク、幸い、暖か、温やか、和、旨いなど、安らかで幸福な状態を表す語が連想される。エネルギーが豊富で身体に活力が蓄えられるからである。辛いと甘いの語感の違いは一目瞭然である。日本人の語感は酒の甘辛の本質を理解していると言える。
酒の辛口を決める成分とは何か。アルコールそのものは辛い。糖分や糖に変わりやすいアミノ酸が少ないと辛口になる。発酵が十分進み、余分な糖類を残さないと辛口になる。蒸留して味成分を除いた焼酎やウォッカなども辛口に分類できる。
清酒の辛口は辛いだけでなくてしっかりした味わいがあると酒好きは言う。醸造の専門家によると、原料から醸し出される無数の微量の物質が清酒の風味を作り、味わいを増す。風味とは口から鼻に抜ける匂いである。
少し前の時代は辛い酒よりもむしろ甘い酒が好まれていたと年配の人は語る。戦後まもなくは甘いお菓子なら何でも売れたという。高度経済成長以前は貧しい時代であった。エネルギーもタンパク質の摂取量も十分とは言えなかった。 エネルギーが足りない時代には、みんな甘さに飢えていた。そんな時代に甘い酒が喜ばれるのもよくわかる。
今は飽食の時代だ。食べ過ぎてエネルギーは余っている。身を削る辛い酒もちっともつらくない。はやりの焼酎は超辛口。蒸留過程で糖やアミノ酸は除かれる。辛口嗜好は豊かな時代の象徴なのかも知れない。
出典「逓信協会雑誌」(平成18年5月号通巻1140号)