11月1日は「全国すしの日」。昭和36(1961)年、全国すし商生活衛生同業組合連合会により制定されました。
この日は、歌舞伎の演目『義経千本桜』の「すしやの段」に関係しているそうです。物語では、源平合戦で命を落としたはずの平家の武将・平維盛(たいらのこれもり)が、実は生き延びて、奈良・吉野の山中をさまよっていたという設定です。
維盛は、ある男性に出会います。彼は、とある寿司屋の主人で、維盛の父に恩がありました。そこで主人は維盛をかくまって弟子にし、娘と結婚させて婿入りさせます。維盛が「鮓屋の弥助」と改めた日が11月1日だったことから、この日が「全国すしの日」となりました。
ちなみに、吉野の伝統的なすしは、吉野川のアユとご飯を合わせて自然発酵させた「なれずし」だといわれています。
すしの起源は、東南アジアにあるといわれています。もともとは魚を保存するための発酵食品で、魚を塩と米に漬けて発酵させる方法が用いられていました。この技術は中国を経て日本に伝わり、約2000年前には「すし」と呼ばれる食品が誕生します。これが、現在の「なれずし」の原型です。
日本では、縄文時代後期に稲作が始まった頃から「すし」が作られていたともいわれていますが、最も古い記録は奈良時代のものです。正倉院文書や平城宮の木簡には、「鮓」や「鮨」といった文字が記されており、当時のすし文化の様子が垣間見えます。奈良時代には、アワビやタイを使ったすしが食べられており、平安時代になるとフナ、アユ、貝などが使われるようになりました。
江戸時代になると、ご飯にお酢で酸味をつけた「早ずし」が登場しました。京都や大坂では、箱に酢飯と魚介や野菜を入れて重石をかけ、数時間からひと晩置いて仕上げる「箱ずし」や「姿ずし」が作られるようになりました。
江戸後期には江戸の町で、「握りずし」が流行しました。酢飯に、江戸で獲れた魚介を乗せる「握りずし」は、握ったものをすぐに食べられる“ファストフード”として人気を集めました。当時の「握りずし」は、現在の2〜3倍ほどの大きさで、露天や歩き売り、屋台などで販売されていました。
当時は生魚の保存技術がなかったため、ネタは煮たり、酢で締めたり、醤油漬けにするなどの工夫が施されていました。江戸っ子に人気だったのは、コハダやアジなどさっぱりとした魚。一方、マグロのトロは腐りやすく脂っぽいことから敬遠され、汁物の具にするか、犬や猫のエサに使われていたそうです。
大皿や桶に盛り付けるときは、中央に松や竹の枝を立てて、すしをピラミッド状に積み上げる「杉形(すぎなり)積み」が基本でした。戦後になると、形が崩れにくい・下のすしが汚れないといった理由から、握りずしを横に並べる「流し盛り」や放射状に配置する「放射盛り」などの一段盛りが一般的になりました。
日本全国には、個性豊かな郷土すしが数多くあります。秋田の「ハタハタ寿司」、富山の「ます寿し」、滋賀の「ふなずし」、京都「さば寿司」、奈良などで親しまれる「柿の葉寿司」、岡山の「ままかり寿司」、長崎の「大村寿司」などそれぞれの地域の風土や文化が色濃く反映されています。
一方、世界では、日本のSUSHIが「おしゃれで、ヘルシーなイメージがある」という理由で大人気。とはいえ、海外でよく食べられているのは、日本の伝統的なすしとは異なる創作スタイルが多く、アボカドやカニカマ、キュウリなどを酢めしで“裏巻き”にした「カリフォルニアロール」はその代表例ですよね。
南米では、裏巻きずしにパン粉をまぶして油で揚げた「フライドロール」、マレーシアでは細巻きに衣をつけて揚げた「天ぷら寿司」、フランスやスペインではマンゴーやイチゴを巻いた「フルーツすし」やチョコレートをシャリで巻いた「スイーツすし」が人気なのだとか。どんな味なのか気になりますね。
海外の創作寿司を見るとちょっと驚きますが、回転寿司でのコーンやハンバーグ、牛肉は今や一般的になりました。いつか日本でも、揚げたすしやフルーツすし、スイーツすしが普通に食べられる日がくるかもしれませんね。
11月1日「全国すしの日」には、家族で回転寿司を食べに出かけたり、自宅で手巻き寿司を楽しんだり、食べたことのないおすしに挑戦してみるのもいいですね。