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CULTURE 2020.01.10 Mog-lab取材スタッフ

龍谷大学で仏教を学んだ実業家 「カルピス」創始者・三島海雲の利他精神

淡く白いビジュアルと、カラカラと響く氷の音に、あの日の記憶がよみがえる。「甘くて酸っぱい、初恋の味」といえば、そう!「カルピス」ですよね。この国民的ドリンクを生み出したのが、三島海雲という人物。京都の龍谷大学で仏教を学んだ彼の経営哲学とは、そして生き方とは。

「カルピス」誕生から100周年、龍谷大学創立380年、さらに大宮学舎も140周年というアニバーサリーイヤー2019年の締めくくりである1219日。

龍谷大学大宮学舎にて特別講義『「カルピス」の生みの親、三島海雲に学ぶブランドを通じた社会貢献』が行われました。「カルピス」の誕生秘話から三島海雲と仏教のつながりまで、多岐にわたった講義内容の一部をご紹介します。

カルピスの生みの親・三島海雲とは?

1878(明治11)年、大阪府箕面市の浄土真宗本願寺派寺院の長男として生まれました。そして、西本願寺文学寮(現在の龍谷大学)を卒業後、英語の教師になった海雲は、仏教大学(現在の龍谷大学)に編入。入学後まもなく、大学からの勧めで中国大陸へ渡りました。24歳の出来事です。

日本が農業から工業中心の社会に変わろうとしていた1902(明治35)年、希望に胸を膨らませ中国大陸に渡った海雲は、現地で教師を経験した後、雑貨貿易商の事業を開始します。仕事で訪れた内モンゴルでは長旅の疲れから体調不良に。その時、遊牧民から勧められたのが「カルピス」の原点である酸乳。「なんておいしいのみものなんだ!」と感動し、体調はみるみる回復、元気に仕事を続けることができたそうです。
 
その実体験をもとに、1915(大正4)年の帰国後、乳酸菌を活用した食品の事業化に取り組みます。諦めることなく研究を続け、たくさんの人たちの応援を力に変え、幾度も失敗をのりこえながら、牛乳もほとんど飲まれていない時代に、世にも新しい飲み物を誕生させることに情熱を注ぎました。

1919(大正8)年7月7日の七夕の日、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」を発売。それから100年もの間、「カルピス」は国民的ドリンクとして、子どもからお年寄りまで、みんなの笑顔を見つめてきたのです。ちなみに“カル”はカルシウム、“ピス”はおいしさを表すサンスクリット語の「サルピス」から命名、水玉のデザインは天の川、銀河の流星をイメージしたものなのだそうです。未来への希望をこの商品にかけた、三島海雲の想いがネーミングにも込められていたんですね。

三島海雲が未来に託した4つの基本価値

今回の特別講義の講師を務められた、アサヒ飲料株式会社 常務執行役員、マーケティング本部長であり、「カルピス」100周年プロジェクトリーダーの大越洋二さんは、三島海雲の教えをこう語ります。

三島海雲を語る上で最も重要なのは、100年以上も前に社会貢献の思いを抱いていたことです。まだまだ栄養状態が良くなかった日本で、飲料を通して国民のために何かしたかった。生涯をかけて国利民福(=国と人の幸せに貢献すること)への想いを貫いたのだと思います。

「カルピス」ブランドの社会貢献活動、国利民福という思想を象徴する貴重なエピソードもお話くださいました。

1923年、東京は関東大震災によって焼け野原となりました。被害をまぬがれた「カルピス」をどうにかみなさんのお役に立てたいと、三島海雲は金庫の有り金をすべて使ってトラックをチャーター、工場の木樽に入った「カルピス」の原液を全部出し、氷を調達して、冷たくておいしい「カルピス」を配りました。多くの人々が、一杯の「カルピス」から生きる希望をもらったと語り継がれています。

人のためになりたい、という一念が育んだ「カルピス」。100年経っても色褪せないロングセラーブランドは、ここ10年を見ても150%の成長を記録しているそうです。その伸び続ける数字の根底には、三島海雲が唱えた基本価値があると大越さんは言います。

「カルピス」が大切にしている基本価値は4つあります。“おいしいこと”、“滋養になること(現在は、健康的であることという解釈に拡大)”“安心感のあること” “経済的であること”。この基本価値というのは、お客様とのお約束、私たちにとっての憲法のようなものです。三島海雲は後輩たちにこの4つは絶対に守るよう託しました。ブランドにぶれない軸があることは大きな強みなのです。」

とはいえ、大切な約束を守るだけでは、移ろいやすい時代の中で生き残っていけません。創業者の精神を受け継ぐだけでなく、発展させていくことがブランドには求められます。
子どものおやつは好みの味にできる王道の濃縮タイプ「カルピス」、青春真っ只中の少年少女は「カルピスウォーター」、社会人になったら「カルピスサワー」、体脂肪が気になりはじめたら「カラダカルピス」…。4つの基本理念を守りつつ、新商品という挑戦を重ね、時代の変化に対応することで、人の一生に寄り添えるブランドへと成長してきました。

基本の仕組みがあること。そして、ブランドを守り続ける人を育てること。このふたつが掛け算になることで、ブランドは長く続いていく。子どもたちの明るい笑顔で溢れる明るい未来をつくりたい、という三島海雲が残してくれた信念をもとに、同じ志を持った人間が『ブランドを磨き、ブランドで挑む』と歩んだ結果、迎えられた100周年だったのだと感じています。

国利民福を貫いた三島海雲の人生と仏教

大越さんと対談を行った龍谷大学の入澤崇学長は、国利民福を貫いた三島海雲の人生と、龍谷大学との関連性について語られました。

龍谷大学の前身、西本願寺文学寮で学ばれた三島海雲、晩年には現代人に向けた『仏教聖典』の刊行にも尽力されています。この地で仏教の教えを学んだ三島海雲だから国利民福、という生き方をビジネスの場で実践できた。仏教の精神があったからこそ、世代を超えて愛され続けるブランドになりえたのではないかと思います。

龍谷大学創立380年のコンセプトに掲げた『自省利他』という新たな哲学は、三島海雲の生き方ともリンクするそうです。

自分を省みて、他を利する。自分自身のありようを省みることは、自分自身の能力を引き上げること。他者との関係性を重んじ、他者の幸せにつながることを考えて行動することは、三島海雲の生き方そのものだと思います。

三島海雲は改革運動を起こした龍谷大学の反省会という組織に所属しており、自分たちの考えをすぐ英語に翻訳して世界に発信していました。今、グローバル化がさかんに叫ばれていますが、私たちにとってのロールモデルは100年以上前、この時代にあったのです。

三島海雲は、英語も熱心に学び、漢文の素養があり、中国語も堪能だったと聞きます。語学をとても大切にするのは、龍谷大学の伝統的な特徴です。現代の学生諸君にも、三島海雲のように言葉の力を磨き、幅広い教養を持った人間になっていただきたいと願っています。

大越さんと、入澤学長の熱い想いに包まれた大宮学舎。そう遠くない未来、同じ学舎で仏教を学んだ龍谷大学生の中から、第二、第三の三島海雲が生まれるかもしれませんね。