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京都のロングセラーグルメの旅② 江戸時代から続く京都名物「湯豆腐」

津曲 克彦

ライター

京都のロングセラーグルメの旅② 江戸時代から続く京都名物「湯豆腐」

津曲 克彦

ライター

暖かくなり、お出かけが楽しみになるこの季節。京都の春観光といえば、お寺巡りは外せません。

京都のお寺を何度も訪れたことがある人なら、「お寺の周りって湯豆腐店が多い?」と感じられたことはありませんでしょうか?
たとえば、京都を代表する名刹として知られる左京区の南禅寺門前には、ズラリと湯豆腐の名店が並び、季節を問わずたくさんの人が訪れます。また、京都随一の観光地・嵐山にも、世界遺産の天龍寺周辺を中心に、京都らしい風情に満ちた湯豆腐店が点在しています。禅宗寺院の塔頭(たっちゅう)では、湯豆腐を提供するお寺もあるほどです。

なぜ、お寺の周辺に湯豆腐店が多いのでしょうか。それには、ある料理との関係があります。今回は、京都と湯豆腐にまつわるお話です。

なぜ京都のお豆腐はおいしいの?

そもそも、どうして、京都でおいしいお豆腐が作られるのでしょうか。それには、良質で豊富な水に恵まれた、京都の地形に理由があります。
豆腐の原料は、大豆とにがり、そして水です。「豆腐は水でできている」といっても過言ではありません。豆腐作りにおいて良い水とは、ミネラル分が少ない軟水のこと。ミネラル分が多いと、大豆のタンパク質と結び付きが強くなり硬くなってしまうそうです。だから、軟らかな豆腐作りには、京都盆地の下を巡るミネラル分が少ない軟水が必要なのです。

精進料理と豆腐の切っても切れない関係とは

もう一つ、京都でお豆腐が食べられるようになった理由は、鎌倉時代に日本へ入った禅宗との関わりがあります。
もともと、中国発祥といわれているお豆腐。日本に入ってきたのは、奈良時代だといわれていますが、明確な記録はありません。お豆腐が記録に登場したのは平安時代の寿永2年(1183年)のこと。奈良・春日大社の神主の日記に「春近唐符一種」という記録が残っています。この「唐符」とは豆腐のことで、このことから、豆腐が日本で作られるようになったのは、奈良・平安時代からだと考えられています。

このお豆腐を取り入れたのが、鎌倉時代から室町時代に日本に入ってきた禅宗の精進料理です。ご存じの通り、精進料理は、仏教の戒律に基づいて動物性の肉や魚介類を使用せず、野菜や穀物、海藻や種子といった植物性の食品だけで料理を作ります。しかしどうしてもタンパク質が不足気味になってしまうため、タンパク質が豊富な豆腐や湯葉を摂取するようになりました。江戸時代に出版された『精進献立集』という書物には、豆腐を使ったレシピが約9割を占めているといわれているほどです。
ちなみに、それまでの日本の食事は全般的に味が薄く、各自で好みの味付けをして調整していたそうですが、精進料理は肉や魚を使わない代わりに、味噌や醤油などでしっかりと味付けをしたものが多く、日本料理にも多大な影響を与えました。
当初は禅宗の僧侶の食事だった精進料理ですが、時代が進むにつれ、戦で疲れた武士たちの間でも食されるようになり、室町時代には茶店で豆腐田楽が売られたり、まちでとうふ売りが現れたり、町人までその文化が広がりました。江戸時代には『豆腐百珍』と呼ばれる豆腐のレシピ本が爆発的に人気を集め、全国津々浦々に豆腐文化が根付いたといわれています。

昔の湯豆腐と今の湯豆腐は違う?

豆腐料理のひとつである湯豆腐は、南禅寺の精進料理が起源といわれていますが、その根拠となる文献や資料はありません。ちなみに当時食べられていた湯豆腐は、現在、私たちが食べている昆布だしでお豆腐をゆでたものではなく、焼き豆腐を煮たもので、どちらかというとおでんのような料理だったといわれています。
それが、どういう理由で現在のカタチになったのかは不明です。しかし食文化が発達するにつれ、お出汁好きな京都人が今の湯豆腐を作り上げたのは想像に難くありません。
幕末期に著された『京案内書花洛名勝図会』には『丹後屋の湯豆腐は、いにしえよりの名物にして旅人かならずこれを賞味し…』と記され、この頃には南禅寺門前の名物として湯豆腐が人気を集めていたことがわかります。
江戸時代には既に京都名物の地位を確立していた湯豆腐。ぜひ、京都を訪れたら味わっていただきたい料理です。

山形・庄内地方の夏の味「南禅寺豆腐」とは?

最後に、こぼれ話を少し。
京都から約700km遠く離れた山形県庄内地方では、夏の味覚として「南禅寺豆腐」(なんぜんじ)を食べる習慣があります。南禅寺豆腐は、ドーム型の形状と大豆の甘い風味、そして軟らかな口当たりが特長で、暑い夏を乗り切る食べ物として親しまれているそうです。なぜ、そんな遠く離れた庄内地方で南禅寺の名が付いた豆腐が作られるようになったのでしょうか。
南禅寺豆腐は酒田市の南禅寺屋が元祖といわれています。かつて南禅寺屋の祖先が、お伊勢参りの途中で病に罹り、南禅寺で療養していた(住み込みで働いていたという説も)ところ、丸くて柔らかい豆腐に出合い、とても感動したのだそう。そこで、お豆腐の作り方を学び、庄内に持ち帰って販売したことがきっかけで、「南禅寺豆腐」と名付けられたといわれています。
交通網が発達した現代でも、車で約7時間かかる京都。庄内の人々は、南禅寺豆腐を通じて、京都らしさを感じているのかもしれません。一度、庄内を訪れたらぜひ味わってみたい味覚です。