絵本には、子どもたちが大好きな食べ物がたくさん登場します。一度食べてみたいと幼心に感じた人も多いのではないでしょうか。絵本研究者で龍谷大学短期大学部こども教育学科の准教授を務める生駒幸子先生に、絵本と食べ物の切っても切れない関係を語っていただきます。
<書籍データ>
パンやの くまさん
作・絵:フィービとセルビ・ウォージントン
訳:まさきるりこ
出版社:福音館書店
出版年:1987年
<あらすじ>
パンやのくまさんは、朝早く起きて、パンやパイ、お誕生日のケーキを作ります。パンがほかほかに焼きあがると、車にパンをつみこみ売りに行きます。パンが売れると、次はお店に帰りお店番。仕事が終わると、お店の奥の家に帰って、暖炉の前で晩ごはんを食べ、今日いただいたお金を数えた後、2階に上がって眠るのです。こうして淡々と、そしてきっちりと、パンやさんの仕事をこなすくまさんの絵本です。
今回ご紹介するのは、『パンやの くまさん』という、とても愛らしい絵本です。名作ですね。私も本当に大好きな作品です。
作者に関する情報は日本ではあまり詳らかになっていないのですが、この「くまさん」シリーズは6作が福音館書店、1冊が童話館出版より出版されています。『せきたんやの くまさん』は児童文学翻訳のパイオニアである石井桃子さん、『パンやの くまさん』から『うえきやの くまさん』までと『ぼくじょうのくまさん』は、間崎ルリ子さんが、新しい2冊はこみやゆうさんが翻訳されています。
主人公のTeddy Bear(くまさん)が、さまざまな職業について仕事に真剣に向き合うこのシリーズ。『パンやの くまさん』では、朝とても早くに起きて、大きなかまどでパンやパイ、お誕生日のケーキを焼いて、車で売りに行きます。勤勉に働き、誠実に暮らす気持ちよさ、美しさを、ぬいぐるみのように愛らしいくまさんが示してくれます。少し教訓めいた部分があると思われるかもしれませんが、不思議と押しつけがましさを感じないのは、やっぱりこのくまさんがとても愛らしいからなのかもしれませんね。
この絵本の特徴はたくさんありますが、絵本の判型にも魅力が詰まっています。ちいさな絵本なので、大人数の子どもたちへの読み聞かせにはあまり向いていません。家庭で、ひとりか少人数への読み聞かせがぴったりな絵本です。だからといって、決してちいさな子ども向けの絵本ではなく、3、4歳にふさわしい内容だといえます。
この作品に描かれているものはおなじみのパンはもちろん、パイやマフィンといった、出版当時の日本ではまだポピュラーではなかった食べ物も登場します。翻訳絵本は、子どもたちにとって異文化を知るきっかけ。この絵本を読んだ子どもたちのなかには、パイやマフィンがいったいどんな食べ物なのか、いろいろと想像を巡らせた人も多いのではないでしょうか。私もくまさんがマフィンを暖炉の火で炙って食べる姿に、思わず「美味しそう」と感じたことを覚えています。
この「くまさん」シリーズには、『パンやの くまさん』以外の作品にも、食にまつわるシーンが描かれています。
たとえば、クリスマスの定番絵本としても知られている『ゆうびんやの くまさん』では、ほどけかけていた小包を包み直して子どもに届けたくまさんに、「クリスマスパイとジンジャーエールをめしあがれ」と誘われるシーンがあります。また、一日の仕事を終えたくまさんが質素な食事をして眠りに就くシーンは、テーブルの上に並ぶ食べ物や赤々と燃える暖炉、大切に飾るお手紙など、描き込みがとても細かく、思わず見入ってしまいます。
私の家では、クリスマスシーズンになると、ツリーやオーナメントと一緒にクリスマスの絵本を20冊ほど引っ張り出して部屋に飾り、アドベント(クリスマスまでの4週間程度の期間)には、毎晩子どもたちにクリスマスの絵本を読み聞かせしていました。それは私にとって、宝物のようなとっておきの時間でした。
『ゆうびんやのくまさん』のくまさんも、自宅で丁寧な暮らしをしてクリスマスを過ごします。くまさんの誠実で優しい人柄も相まって「クリスマスは誰かの幸せを思う日なのだ」と教えてくれます。
このシリーズの翻訳に携わった石井桃子さんや間崎ルリ子さんは、英米の図書館活動に多くを学び、日本の読書運動に多大な影響を与えました。おふたりはそれぞれ自宅を改装し私設文庫を立ち上げ、子どもが良質な本に触れる環境を整備されました。石井桃子さんの「かつら文庫」はその後『東京こども図書館』になり、今でも多くの子どもたちがたくさんの絵本やおはなしに触れています。
もう20数年前のことになりますが、私も、神戸にあった間崎さんの「鴨の子文庫」を子どもたちと何度も訪れたことがありました。兄は文庫の中で本を読んだり、おはなしを聴いたりしていましたが、弟のほうは文庫のお庭で草むしりをしたりキックボードに乗ったり、なかなか本に触れようとしませんでした。私は「せっかく連れてきたのに…」とやきもきしていたのですが、鴨の子文庫のスタッフの方が「本を無理矢理に読ませるのではなく、本が身近にある環境にいることでじゅうぶん。子どもが読みたいと思うまで自由にさせてあげればよいのでは?」と言ってくださり、とても救われた気持ちになりました。弟もやがて自分から本を読むようになりましたが、それは、一重に鴨の子文庫での見守りのおかげだと思っています。
<参考文献>
・『ページをめくる指 絵本の世界の魅力』金井美恵子 平凡社 2000年
・『何にでもなれる「くまさん」と子ども』 間崎ルリ子 福音館書店宣伝課発行『あのね』2020年9月号
・『折々のことば 2699』 鷲田清一 朝日新聞 2023年4月10日