皆さんは「おぼろ昆布」を食べたことがありますか? 「おぼろ昆布」は、酢に漬けて柔らかくした昆布を薄く削り出した加工食品です。似たようなものでは「とろろ昆布」があります。糸状の「とろろ昆布」はうどんやお吸い物に乗せられていることも多く、食べたことがあるという人もいるでしょう。
おぼろ昆布は、①昆布を醸造酢に漬けて柔らかくする〜②昆布の両端を切り落とす〜③専用の包丁で削る、という流れで加工されます。昆布の表皮からすきとったものは「むき込みおぼろ昆布」、芯に近いところは雪のように白い「太白(たいはく)おぼろ昆布」と呼ばれます。現代の名工・別所昭男さんが削る、たすきのような、帯のような「竹紙(ちくし)昆布」は上品な口溶けと旨みがあり、料亭でも使われている高級品です。
「とろろ昆布」は、機械削りでも作られますが、「おぼろ昆布」は、0.01〜0.05ミリという薄さに仕上げるため、機械削りができません。そのため現在も、職人さんによる手作業で削られています。残った芯は、押し寿司(バッテラ)の上に乗せる昆布に仕上げられます。バッテラの昆布は、おぼろ昆布加工の副産物なのです。
「おぼろ昆布」の研究をスタートしたのは2022年度からです。「おぼろ昆布」の一大産地・福井県敦賀市は、おぼろ昆布の登録無形民俗文化財の登録を目指しており、龍谷大学の地域公共人材・政策開発リサーチセンター(LORC)が実態調査に加え、今後の保護継承や発信に関する提案において協力することになりました。そのなかで、政策学部で地域経済学を専門分野とする私が、調査研究を始めることになりました。また、同年度は文化庁「食文化ストーリー」創出・発信モデル事業において「和食を支える『敦賀昆布ストーリー』創出・発信事業」が採択され、補助を受けました。
おぼろ昆布加工生産の研究はまだ始まったばかりですが、既存研究の整理や史資料調査、敦賀市の問屋さんや職人さんの実態調査などでわかってきたことをお伝えします。
福井県敦賀市は日本海に面した港町です。中世以降、北海道の昆布は敦賀港で荷揚げされ、琵琶湖の水運を使って大坂や京都へと運ばれていました。敦賀で昆布の加工生産が始まったのは、宝暦年間(1751〜1764)です。以降、敦賀はおぼろ昆布の一大産地となりました。
現在も全国シェアの大多数の生産量を誇っているといわれますが、温暖化の影響等で昆布の価格が高騰したこと、消費の落ち込み、担い手の減少、後継者不足により、おぼろ昆布の加工生産は衰退の一途をたどっています。
敦賀の職人さんは最盛期で600〜700人おり、コロナ禍前は120〜130人でした。コロナ禍の影響で廃業する方もあり、現在は100人未満で、平均年齢は70歳です。昆布を薄く削るには熟練の技が必要で、一人前になるには5〜10年の歳月を要するといわれています。
大阪府堺市や高知県高知市には、職人さんを社員として雇い、育成をしている問屋さんもありますが、敦賀ではほぼ全員が個人事業主です。志望者がいても、新人に教える時間のあいだ、職人さんは自分の仕事ができなくなります。また新人の職人さんにとっては、一人前になるまでの期間は収入を得ることが難しいという現状があります。
今後は、敦賀市民へのアンケート調査や、職人さんや問屋さんへのさらなる聞き取り調査を実施予定です。また、加工技術の製法を写真や映像として記録することも始めたいと考えています。
敦賀市からは、学生のプロジェクト参加も期待されています。昨年度は、関心があるゼミ生と一緒に調査や、福井市で開催された福井こんぶDayへのボランティア参加、レポート作成をおこないました。今年度以降も、ゼミ生とは調査を進めますし、敦賀市民向けに研究成果の発信なども進めていきたいと思います。
2024年春には、北陸新幹線の金沢〜敦賀駅間が開業。東京からもアクセスがしやすくなります。おぼろ昆布を観光産業にするためには、経済効果や文化的価値をあきらかにする必要があります。そのためにも私は引き続き、おぼろ昆布の「歴史」「流通」「製法」「職人」のそれぞれを掘り下げる調査研究をおこなっていきたいと考えています。