TOP / Trivia / 10月4日はいわしの日。『源氏物語』を書いた紫式部はイワシ好きだったって本当?!
10月4日はいわしの日。『源氏物語』を書いた紫式部はイワシ好きだったって本当?!

Moglab編集部

Moglab編集部 取材スタッフ

10月4日はいわしの日。『源氏物語』を書いた紫式部はイワシ好きだったって本当?!

Moglab編集部

Moglab編集部 取材スタッフ

10月4日はいわしの日。「1(い)0(わ)4(し)」の語呂合わせから、1985(昭和60)年、大阪府多獲性魚有効利用検討会(現・大阪おさかな健康食品協議会)が、安くておいしいイワシをアピールするために提唱し、いわし食用化協会(現・いわし普及協会)が制定しました。

イワシは、日本ではニシン科のマイワシとウルメイワシ、カタクチイワシ科のカタクチイワシの、3種類の総称として呼ばれています。食卓では、鮮魚としてだけでなく、煮干しやメザシ、ちりめんじゃことしてもおなじみですよね。脳の働きを良くするといわれているDHAや、血液中のコレステロールや中性脂肪を減らすといわれているEPA、カルシウム、ビタミンB2が含まれており、栄養が豊富な魚として知られています。

イワシは、海面近くを群れで泳ぐ回遊魚です。水族館で、水槽の中をダイナミックに泳ぐイワシの大群を見たことがある人もいるでしょう。かつては大量に獲れるため値段が安く「庶民の食卓の味方」といわれていました。近年は、不漁で値段が高くなる年もあれば、豊漁で安くなる年もあります。その理由は、乱獲とも、日本近海の水温変動によるものともいわれています。

イワシはいつから食べられていた?

日本では、縄文時代の貝塚からイワシの骨が多数出土しています。このことから、日本人は原始時代にはすでにイワシをたくさん食べていたことがわかっています。

奈良・平安時代には、イワシの干物は朝廷への献上品だったとされていますが、皇族や貴族など身分が高い人たちは口にしていませんでした。イワシの語源は、イワシは多く獲れるが鮮度劣化が早いことから「卑(いや)しい」からとも、「弱(よわ)し」からだともいわれています。イワシは、庶民が食べる下賤な魚であり、高貴な人が食べるのは卑しいとされていたのです。

紫式部はイワシ好きだったという説がある

平安時代に世界最古の長編小説『源氏物語』を書いた紫式部は、大のイワシ好きだったという逸話があります。紫式部は、『源氏物語』を執筆する前の20代後半、15〜20歳年上の貴族・藤原宣孝(のぶたか)と結婚しました。ちなみに、当時の結婚は一夫多妻制で、宣孝にはすでに3人の妻とたくさんの子どもがいました。

紫式部も夫も貴族の出身で、イワシは「自分たちが口にするものではない」という認識でした。しかし、紫式部はイワシが大好き。夫の留守中にイワシを焼いて食べたところ、帰宅した夫がこもったイワシの匂いに気づきます。夫にとがめられた彼女は、すぐさま和歌を詠んで切り返しました。

日の本にはやらせ給ふ石清水 まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ

現代語訳/日本で流行っている石清水(いわしみず)八幡宮に参らない人がいないように、こんなに美味しいイワシを食べない人はありますまい

京都府八幡市にある石清水八幡宮

石清水八幡宮は、平安時代は京の都と国家を護る神様として、皇室からあつく信仰されていました。紫式部は、石清水(いわしみず)の「いわし」と、魚の「イワシ」を掛けて和歌を詠んだのですね。その話が広まり、宮中の女房言葉でイワシのことを「むらさき」と呼ぶようになりました。

このエピソードは、江戸時代の近代的国語辞典『和訓栞(わくんのしおり)』などに書かれています。しかし、室町〜江戸初期に成立したとされる『御伽草子(おとぎぞうし)』では、紫式部ではなく、平安中期の歌人・和泉式部(いずみしきぶ)の話として書かれています。エピソード自体が後世の創作だったという説もあり、紫式部が本当にイワシ好きだったのかは、はっきりしていません。平安時代の貴族もこっそり食べずにはいられないほどイワシが美味しかった、と伝えたかったのかもしれませんね。

イワシの旬は、主に刺身やつみれなどで食べられるマイワシが6〜10月、煮干しなどに加工されることが多いカタクチイワシは9〜1月ごろ、干物やめざしで店頭に並ぶウルメイワシは10〜2月。
煮る、焼く、フライにする、スパゲティに合わせるなど、和洋のさまざまなアレンジで美味しく食べることができます。10月4日「いわしの日」は、栄養たっぷりの美味しいイワシを食べて、“食欲の秋”を満喫しましょう!