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京都“ロングセラー”グルメの旅⑥ 都人が古(いにしえ)から愛して止まない「鮎」の話

津曲 克彦

ライター

京都“ロングセラー”グルメの旅⑥ 都人が古(いにしえ)から愛して止まない「鮎」の話

津曲 克彦

ライター

夏の訪れとともに、鮎漁が解禁となります。柳の葉を思わせるスマートな体に、瓜のような香りが漂う「香魚」を、京都の人々はこよなく愛してきました。現代と比べて流通が良くなかった昔の京都人は、鮎をどのようにして食べたのでしょうか。今回は、鮎にまつわるお話です。

光源氏、鮎を食べる

勝川春章筆『神功皇后と武内宿禰』 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

古くは、『古事記』『日本書紀』の時代から食べられていた鮎。「鮎」という漢字は、日本で作られた国字で、昔から占いによく使われたことに由来します。記紀でも、神武天皇東征や神功皇后遠征の際に、占いに用いていたことが記されています。ちなみに、祇園祭の「占出山(うらでやま)」には、右手に釣り竿、左手に釣り上げた鮎を持つご神体が祭られ、「鮎釣山(あゆつりやま)」とも呼ばれています。

京料理の源流の一つである「大饗料理(だいきょうりょうり)」では、ご飯や汁物、魚介の塩辛類である窪坏物(くぼつきもの)、貝類、生物、干物、葉物などが置かれ、酢や塩、醤(ひしお)などで、味をつけて食べていました。おかずのバリエーションも広く、特に魚貝類が豊富で、鯛や鮪、鱸、鮭、鯖、鯉、鮒などと共に、鮎も食されてきました。ただしこれらの食材の多くは干物や塩漬けにされていたようで、鮎も押し鮎(塩漬けにして重石で押したもの)にしていただいていたようです。

『源氏物語絵色紙帖 常夏 詞烏丸光廣』(京都国立博物館所蔵) 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

『源氏物語』の「常夏」の帖では、光源氏は息子の夕霧や親しい殿上人たちと、西川(現在の桂川)で獲れた鮎を取り寄せ、氷水の「水飯(すいはん)」などを食べながら宴会を催す場面が描かれています。この鮎がどのような調理方法で食べられたかは不明ですが、平安時代の食文化のことを考えると、やはり光源氏は押し鮎を食べていたのではないでしょうか。

ちなみに、京都では正月に柔らかなお餅に京都の雑煮に見立てた白みそ餡をごぼうと一緒に求肥で包んだ花びら餅を食べる風習があります。一説には、裏千家初釜の「菱葩(ひしはなびら)」を菓子化したものが由来といわれています。「菱葩」は丸く平らにした白餅に、赤い小豆汁で染めた菱形の餅を薄く作って重ね、ふくさごぼうを二本置いて、これを押し鮎に見立てたもの。鮎は1年で成長することから縁起のよい魚として正月の祝い膳にも供されてきました。京都における鮎文化の広まりを示す事例ですね。

アユモチさん、京へと走る

京都には、鮎が獲れる河川がたくさんありますが、特に良質な漁場として知られるのが、桂川です。嵐山から上流地域の「保津川」や、京北地域の「上桂川」などで獲れる鮎は「献上鮎」と呼ばれ、平安遷都から幕末まで、京都御所に運ばれ、朝廷に献上されてきました。現在も、名だたる料亭がこの桂川の鮎を使っています。鮎釣りが解禁される6月中旬、多くの釣り人が川に入り、友釣りを楽しみます。縄張り意識が強い鮎の特性を利用した友釣りは、京都市左京区の八瀬が起源といわれています(『本朝食鏡』)。
川漁師が獲った鮎は、「アユモチさん」と呼ばれる担ぎ手によって、京都まで急いで運ばれました。嵯峨・鳥居本には、かつて鮎の卸しや茶屋を営んでいた店があり、現在も「つたや」「平野屋」の2軒で、鮎料理を味わえます。

そんな鮎をこよなく愛した京都ゆかり芸術家といえば、北大路魯山人です。大正時代末期に、京都の丹波地域を流れる和知川(わちがわ)から東京にある星岡茶寮まで鮎を運んだという逸話があります。魯山人自身も鮎について「水が清くて、流れの急な、比較的川幅の広い川で育ったのでないと、発育が、充分でなく、その上、味も香気も、ともによくない。これが鮎のよしあしを決定する大体の条件である」(『鮎を食う』)と、自身のエッセイにも書いています。さらに、魯山人が和知川の鮎を運ぶ際、木桶に入れた鮎に柄杓で水をかけ続け、生きたまま運んだことも世間に注目されました。魯山人自身、アユモチさんが京都へ鮎を運ぶのに、途中の清水で水を足していたことを知っていたのでしょう。

魯山人、大量のアラに驚く

鮎の瀬越し

そんな魯山人は、幼い頃、魚屋が鮎の頭と骨ばかりをたくさん持って来たことに疑問を抱きます。魚屋に聞いてみると「京都の三井さんの注文で、鮎の洗いをつくった」と知ります。魯山人は「ずいぶんぜいたくなことをする人もいるものだなあと驚き、かつ感心」したと、自身のエッセイに記しています(『鮎の食い方』)。

魯山人ではないですが、私も「ずいぶんぜいたくなこと」だと感じた京都の鮎料理があります。それは、若鮎の内臓を取って骨ごと筒切りにした「鮎の瀬越し」という料理です。まだ骨がやわらかな若鮎の季節にしか出せない料理は、初々しい鮎の風味が楽しめるのだとか。

桂川以外に極上の鮎で知られるのが、意外にも鴨川です。源流の雲ヶ畑(くもがはた)もかつて皇室献上鮎の産地でしたが、堰(せき)や落差工が造られてから、鮎が遡上できなくなっていました。そこで地元の有志たちのネットワークによって、手作りの魚道が取り付けられ、少しずつですが鮎が遡上しているそうです。もし観光で京都を訪れた際、鴨川沿いを歩くとき、鮎が遡上していないか探してみてはいかがでしょうか。