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7月7日は「コンペイトウの日」。とげとげの謎は科学的に判明されていない!?

Moglab編集部

Moglab編集部 取材スタッフ

7月7日は「コンペイトウの日」。とげとげの謎は科学的に判明されていない!?

Moglab編集部

Moglab編集部 取材スタッフ

7月7日は「コンペイトウの日」。七夕の日に織姫と彦星が会えるよう、星のかたちをした金平糖を食べて、全国に金平糖の川を作ろうという思いで、金平糖の製造・販売をおこなっている会社による「金平糖deつなぐ会」により制定されました。

金平糖は、砂糖の一種であるザラメ、液状の砂糖・糖蜜で作られる、星のようなかたちのお菓子です。語源は、ポルトガル語で「糖菓」を意味する「コンフェイトス(confeitos)」と言われています。

金平糖が日本にやってきたのは、1569(永禄12)年のこと。ポルトガルからやってきたキリスト教宣教師であるルイス・フロイスが織田信長に、フラスコ(ガラス瓶)に入れた金平糖を献上したのが最初だと言われています。この金平糖は、白色のみでトゲはなく、ごつごつした球のようだったようです。

江戸時代は、貴重な砂糖が使われていたことから徳川幕府への献上菓子となりました。1688(元禄元)年ごろから日本人により長崎で作られ始め、しだいに東へ伝わり、1800年代には江戸でも作られるようになりました。その頃には、カラフルな色に着色された金平糖が登場していたようです。江戸末期には、庶民のあいだでも食べられるようになりました。

明治期、西洋では「ボンボニエール」という器に砂糖菓子を入れて贈る文化があり、皇室ではその文化を取り入れて、金平糖を「ボンボニエール」に入れてお祝い菓子として使うようになりました。現在も金平糖を入れた「ボンボニエール」は、皇室のご成婚や即位式、園遊会で参加者に配られる引き出物や記念品として使われています。ただし、なぜ金平糖が用いられるようになったのかはわかっていないようです。
金平糖は、傾斜がついた大きな鍋に核となるザラメや砕いたもち米などを入れて、鍋を回転させながら熱を加え、少しずつ糖蜜を入れては混ぜるという作業の繰り返しで出来上がります。

スーパーマーケットで販売されている安価な金平糖は、鍋ではなく円筒ドラムを使い1晩で作られているそうです。

対して、手作りをする職人さんはその日の気温や湿度を見極めながら、糖蜜の量や入れるタイミング、鍋の温度や回転速度などを調整することで、星のかたちの金平糖を作っています。その作業にかかるのは、なんと14日以上だそう。

金平糖の凸凹は、「つの」や「イガ」と呼ばれています。「つの」の数は、16〜36個とバラつきがあります。江戸時代、幕府に献上された金平糖は「つの」の数が36個のものが選ばれたと伝えられています。

しかしいまだに、「つの」がつくられるメカニズムは解明されていません。考察は、明治時代の物理学者・寺田寅彦から始まっていますが、本格的な研究はほとんどされていません。

鍋に触れた部分が乾いて固くなったところに蜜がつきやすくなるため凸凹ができる、丸い砂糖の表面に乾燥した砂糖が付着するから、などさまざまな考え方があるようですが、科学的には決定的な答えはないようです。

スーパーマーケットでも見かける、身近な砂糖菓子・金平糖。日本にやってきてから450年以上経っていますが、いまだに星型の謎が解明されていないというのは驚きですよね。7月7日は、歴史や不思議に思いを馳せながら、金平糖を食べてみてはいかがでしょうか。